豊かだなあと思うとき
豊かだなあと思うとき。朝起き布団を上げて「今日は何をしようかな」と思いながら電動ブラシで歯を磨くとき。
寝起きの前歯をウィーンと磨く。遠くで娘がピアノのおもちゃで遊ぶ声が聞こえる。日によってばらつきはあるけれどだいたい8時半。
まだ半分寝ている頭はひとつのことを集中して考えられないので、あちこちに思考が飛ぶ。昨日の夜考えたことがポンと浮かんでくる。
ひらめきは大体この時間にやってくる。寝る前に頭の中にぶち込んだいろんなこと同士が結びついて回路を作る。
口をゆすぎ終わる前にだいたいのやることが決まる。決まらなかったら今日はそういう日だ。
淡々とやることをこなそう。そんなふうに自分の1日を舵取りする感覚が好きだし、とても豊かに感じる。
豊かだなあと思うとき。アップルウォッチでお金を払うとき。
腕時計をぴぴぴ、で買い物ができる。なんてハイテクノロジー。
昔からスーパー銭湯でもらうバーコード付きのリストバンドが好きだった。ぴ。あの時の興奮がいまやどこでも味わえる。ぴ。
僕はもともとお金を払うという行為が好きだった。ぴ。自分が楽しいと思えることにお金を払えると気分がいい。ぴ。
そういえばクレジットカードを初めて持った時も緊張した。今もカードを出すときはちょっと緊張する。ぴ。
お金に触れている時間が好きだ。お金は面白い。稼ぐのも使うのも貯めるのも増やすのも全部おもしろい。ぴ。
お金のことを考える時間は僕を豊かにしてくれる。ぴ。お金を腕時計で使えるなんて世界線、想像したこともなかった。
もう使わなくなったものをメルカリで売ってファミマのアイスコーヒーに変えてグイッと飲む。すごい時代だ。ぴ。
僕はこの時代を楽しんでいる。
豊かだなあと思うとき。娘のおむつを2人で替えるとき。
おむつがおしっこでパンパンになっている状態のことを僕たち夫婦は「オムパン」という。
オムパンは見つけた者が責任をもって替える。
中をちらりと覗いて、中身が匂いのする固形物だったとき、僕たち夫婦のコンビネーションは爆発する。さささ。
ピタリと息をあわせた連携プレイ。妻は万が一に備え娘の腰の下にペット用のおしっこシートを滑り込ませ、僕はおしりふきを濡らしに洗面所へいく。ささ。
何も言わずとも自然と連携が取れるこの瞬間、僕はこの女性と結婚したことを強く感じる。
僕たちは娘を育てるというプロジェクトに全力を注いでいる。つまり全力を注げるだけの余力があるということだ。この余力に豊かさを感じる。
オムパンは豊かさを教えてくれる。
豊かだなあと思うとき。文章を書いているとき。
僕にとって文章を書くということは、将来必ず上がるとわかっている株を買い続けることと同じだ。
書いた量と豊かさは比例する。書くことで豊かになり、書いたものが豊かさを連れて戻ってくる。
多くの人はきっと気づいていないのだろう。
「ネットで他人読んでもらえるだけの文章を書ける」ということはこの時代においてどんなスキルを身につけるよりもお金に直結する。
ただ、お金につながるまでの道が長いのと書くことと稼ぐことをリンクさせることが難しいので、なんとなくそのイメージが湧いていない人がほとんどだ。
文章でお金を稼ぐなんて「一部のめちゃめちゃ文章が上手い人だけができること」だと思われている。
そんなこと全然ないのに。僕の書く文章は今でも下手くそのままである。全然完成していないからすぐに文体が変わる。
書く事が上手な人はこんなに頻繁に書き方を変えたりしない。でもお金を稼げている。なぜかはわからない。でも書き続ければ儲かることだけは知っている。
だから今日も書く。儲かるのことはいいことだし楽しい。
そして今はTikTokやYouTubeが流行り倒しているおかげで、どんどん書ける人が減ってきている。
ゆっくり落ち着いて日本語の文章を読める人は想像以上に少ない。信じられないなら試しにYouTubeを3ヶ月ほどやってみるといい。
視聴者とのコミュニケーションレベルの齟齬に驚く。義務教育ってなんだろうと本当に思う。怖いくらいに。
圧倒的に文章を読める人が減っている。もともとの数を僕は知る由もないけれど、特にここ数年は長い文章を書いて読める人の数が減っている。
この事態を僕はチャンスだと思っている。というか確信している。
確信しすぎているから、他の人に「書きなよ」とあまり言いたくない。
ライバルを増やしたくないという気持ちもあるし、書くことに対する確信度を持っていない人に持たせるのは至難の業だからだ。
僕にとって文章を書くことは今この瞬間を豊かにし、絶対に上がる株を誰よりも安値で買い、その恩恵を受け続けることと同義だ。
動画が流行れば流行るほど文章を書ける人が減っていく。動画を作るにも台本が必要なのに。
その面白い動画を作る人たちは読んで書ける人なんだよ。見て楽しむ分にはなんの努力も必要ないけどね。
コーチングセッションだって、日頃から文章を書いている人といない人の差は歴然だろう。
ボキャブラが違う。言葉の瞬発力が違う。ただ笑顔でうんうんうなっている事だけがコーチングではない。
クライアントの状態を「クライアントとは別の視座から表現する」ことが大切で、その力は文章を書く力と源泉が同じだ。
書いているとセッションの質が明らかに上がっていることを感じる。走り込みと同じ。
やってる人はやってる。やってない人はやってない。違いは見たらすぐにわかる。
質の高い対話を2時間も3時間も続けるには体力が必要だ。ぼーっとしていても体力は付かない。走らないと。
書くことは僕の全てである。書いている時間は幸せだ。全てが向上する。書けば書くほど上手くなる。
書けば書くほど自分を知る。ほらまた知った。自分を毎日超越していくことは最高の娯楽である。
書いた後の自分に会いたくて書いている。新しい文体と出会ったとき僕はまたこう思う。
今日も豊かだなあと。
今日も豊かにいこう。おはなし屋なおとでした。
いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。