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『自分らしさを絶対に殺したくなかった』ぼくがこの4年間でやってきたこと



こんにちは。おはなし屋なおとです。
ぼくはフリーランスのコーチで、独立して4年目の27歳男です。東京の端の方で同じ年の奥さんと仲良く暮らしています。




独立する前はアスリートとして実業団選手をしていました。ハンマー投げという競技をやっていたのですが、『ハンマーさえ投げられれば自分は幸せに違いない』と信じて疑わずにがんばってきたものの『どうも自分が欲しかった人生が手に入ってないな』と一念発起、アスリートをやめフリーランスの世界へ飛び出した経歴があります。




ぼくはもともとかなり変わった性格をしたひねくれた人間だったのですが(全く自覚がなかったけど)こんな自分でも『自分らしくいられる場所があるはずだ!』と思い探した結果『みつからなかったので自分でつくろう』という結論になり、それが結構あっけなくできてしまってこの3年間くらいは幸せに暮らせているので、今日はそんな話をしようと思いました。





冒頭でも触れましたが、この記事は後半から有料記事になります。理由はシンプルで『この記事にはぼくにしか出せないから有料にしても読みたい人は読みたいはずだ』と思ったからです。自分の人生で学んだことを数時間使って書きあげて、お金にならないはずがないと信じています。




そしてこうやってシンプルに『自分の経験してきたことがちゃんとお金になり、それで生きていけることほど幸せなことはないよね』という価値観を自分の背中を通じて『自分らしく生きたい』人に届けばいいなと思ったのです。




心が反応した人は、『自分の未来への期待』も込めて有料部分を購入していただけると嬉しいです。それでは本編に入っていきます。




今日の記事ではぼくが『自分らしさを殺さずに幸せになる方法はないか』と必死こいて考えたこの数年の試行錯誤をお伝えします。




『自分らしさを絶対に殺したくなかった』
おはなし屋なおとの4年間の試行錯誤




まずはじめに、『自分らしさを一番殺してしまう場所はどこか』という問いの答えが【仕事】でした。なぜ仕事で自分らしさを消してしまうかというと、『お金』が絡むからです。




どうやら人は(ぼくだけかもしれないけど)お金が絡むと自分らしさを見失ってしまうようです。ということでぼくは自分らしさを発揮して生きていくために【お金と幸せを可能な限り切り離して考える】ことからはじめました。




①自分の幸せを死守する



まずは自分にとっての幸せを自分で守ることです。自分の幸せを守るためにお金がかかるということは、自分で自分の幸せを守る力がないということです。お金というものの特性は交換なので、交換する必要がある=幸せに他人が影響するということです。


まずは自分が幸せになるためには何が必要なのかを考えるところからはじめました。




①-1 なにがあれば幸せなのか定義する



ぼくにとっての幸せは

1表現をすること
2大好きな人と一緒にいること
3なんやかんやうまく人生が回ること

ぐらいかなあと漠然に考えました。



実業団選手をしていたときも、ハンマー投げを通して自分を表現することが楽しかったわけだし、自分が結果を出すと大好きな人達が喜んでくれるのがなにより嬉しかったから10年近くも続けていたわけで、自分としては表現することはマストなわけです。




ここ数年を振り返ってみても、うまく行っていないと感じているときは表現活動をあまりしていなかったし、なんやかんやうまく進んでいるな〜と感じているときは何かしらの発信活動をしていました。ぼくの人生には表現することがマストなようです。こうやって無心でキーボードを叩いているこの時間も結構幸せだったりします。




表現することさえ出来ていれば、大好きな人との関係性も築くことができますし、なんやかんや人生がうまく回ることもこれまでの人生で実証済みだったりします。と、いうことはぼくにとっての幸せは『表現し続けること』で得られると言っても過言ではないのかなあと思いました。





①-2 お金を使わずに
叶える方法を考える



そしてここがまず一番最初に大事なところです。みんな幸せになるために仕事を作ろう!起業しよう!というと何も考えずにすぐ『100万円ほしいです!』とか言っちゃいます。



たしかに100万円あったら幸せかもしれないけど、100万円ないと幸せを維持できない人は幸せになるハードルがものすごい勢いで上がっちゃうよ。




自分にとっての幸せが定義できたのなら、その幸せの定義を『いかにお金を使わずに満たすか』が大事になってきます。お金を使わずに幸せになれる人は、お金を持ったらもっと幸せになれるからです。お金を使わないと幸せになれない人は、お金がないと不幸な人になってしまうのです。




①-3 まずは幸せな貧乏をめざす



ぼくはちょうど40ヶ月前くらいですかね。実業団をやめ、仕事がなくなり、収入が途絶え、たべるものにも困ってしまうような時期がありました。



厳密に言うと当時同棲していた彼女(今は嫁さん)が働いていたので、食うには困らないのだけれど手元にお金が全く無いから彼女が帰ってくるまで何も食べられないという状態です。




そんなときでもぼくは幸せでした。当時大学生だった今でも交流のある後輩二人(よりによってこいつらも全くお金が無い)とぼくの家に集まり、なんか食えるものはないかと家中をあさり(後で彼女に死ぬほど怒られた)、見つかったうどんのスープをお湯で溶かし、3人で回し飲みして空腹を防ぎました。(ふせげなかったけど)




こんな状態でも心は満たされていました。『ひもじいよ〜』といいながら3人でスピーカーを囲みラップをして遊んだあの時間は、今でも宝物のように大事に心のにおいてある思い出です。




あの日のぼくは間違いなく『幸せな貧乏さん』でした。お金がなくても幸せになれるのだから、お金がなくなったところでぼくは不幸にはなりません。この考え方が結構ぼくの中では大事だったりします。




幸せをお金から切り離せた瞬間でした。1年ほど前に一度収入が途絶えてしまい(完全にバーンアウト)困った時期がありましたが、そのときも『まあうどんスープでしあわせになれたしな、まあいっか』と開きなおって生きていくことができました。




『自分らしく生きていきたいなら、幸せとお金を可能な限り切り離そう』
まず一番最初にぼくが伝えたいことです。





②自分で責任を取る



そして次は『責任』です。ぼくは今独立を目指すコーチさんに『どうやってコーチングで生計を立てていくか』ということを教える機会が多くありますが、『責任を取る』という覚悟がみんなないからたくさん勉強したり資格をとったりしてしまうんだな、と心から感じています。




いくら勉強をしたところで、いくら大層な資格をとったところで、もしセッションの途中であいてのことを傷つけてしまったらそれは『コーチの責任』です。だれもあなたのことを守ってはくれません。




自分で商売をする以上は『自分で責任を足らなければいけない』のがこの国のルールです。(どこでもそうなのだけれど)




どのみち自分で責任を取らなければいけないのなら、どこかで『えいや!』と挑戦しなくてはいけないタイミングが来ます。どれだけ準備をしても、どのみちリスクを取らないと商売はできないのです。




そして自分の行動で引き起こしてしまったすべての出来事は自分で責任を取らなくてはいけないのです。どうせ自分で責任を取るのだから、思ったようにやっていいよね?というのがぼくの考えです。




ぼくは『自分で責任を取る』という言葉をネガティブな脅し文句ではなく『どのみち責任を取らざるを得ないのだから好きにやってOK』というポジティブな意味で捉えています。




②-1 決定権は常に自分にある



自分の人生を決めるのは常に自分である。言葉で言うのは簡単だけど、本当にその言葉の意味を理解して行動をしていますか?過去の自分に問いたくなります。



今の人生は過去の選択が積み重なった結果です。決定権は生まれたときから自分にあったのです。小さな決定を少しずつ積み重ねていった自分が今の現実を作っているのであれば、今とは違う決断を少しずつ積み重ねていけばいいのです。



自分がどう生きようと、何をしようと、責任は自分で取らなくてはいけません。みんなと同じ道を言って失敗しても、みんなは責任をとってくれません。いつまで他人の人生に隠れるの?どうしようもなく人生ははじまっているのにさ。





②-2 『普通は〜』と一生言わないと決める



ぼくは普通では考えられないような生活をしています。



毎日好きな時間に起きます。ぼくが出勤しなくていいのはこんなご時世だからではありません。今年が始まる少し前からずっと家で仕事をしています。先月は家から一歩も出ずに199万円を稼ぎました。本業は主夫です。



こんな話、誰も信じない。理解できない。でもそれがぼくの現実です。いま大きめの商談が進んでいて、これがうまく行けば来月は月収500万円を超えそうな勢いです。でも本業は主夫です。




こんな規格外な生活がしたかった。だからぼくは『普通は』『常識的に考えて』という言葉を使うのをやめました。



こんな人生普通じゃないから。ふつうたくさん稼ぐ人は忙しくて、家庭を犠牲にして、がんばって、成功していくものだと思ってるかもしれないけど、ぼくはそれがいやだったから。




家庭を一番大事にして、好きな場所に住んで、好きな人とだけ仕事をする。狭い世界で幸せに暮らす。ぼくはそんな生活が欲しかったのですが、誰も作り方を教えてくれなかったので自分で描きました。人の言うことは無視して自分でたくさん妄想しました。




叶いました。それもかなりあっけなく。言葉遣いを変えると世界は表情を変えてくれるのかもしれません。



自分がしあわせになれる世界を思い描いてみてください。それが『普通』でないのなら、『常識的』でないのなら。その言葉はもう使わない方がいいかもね。




②-3 どんな結末も引き受ける



たとえば、月に100万円稼ぐとするじゃないですか。ということは厳密に言えば違うかもしれないけど『あなたに100万円払った人がいる』ってことじゃないですか。1万円のサービスが悪かったら『次は買わんとこ』で終わるのかもしれないけど、100万円だったらそうはいかないじゃないですか。



たとえばお金返してほしいなら文句言うより裁判起こすじゃないですか。100万円だったら弁護士さんやとっても勝てばお釣りが来るからね。そんな危険が生じるんです。月収100万円の生活って。裁判所がぐっと近くなる(気がする)人生を歩むことになるんです。



怖くないですか?法律は守ってくれるものではなくて守らないといけないものになるんです。法律に基づいた契約書も今までは読んでサインすればよかっただけなのに、作って読んでもらってサインしてもらってその効力を理解していないといざとなったときに恐ろしいことが起こるんです。


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