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「小さな力で大きなパワーを出したい」という気持ちは、キャッチボールもコーチングも同じである

最近週に2回はキャッチボールしている。Amazonでキャッチャーミットを買って、友人と公園に行ってボールを投げ合うのが最高の娯楽。おかげで最近二郎にもいけてないし、サウナもまだ今月1回しか行ってない。森に行く頻度も減ってる。そのくらいキャッチボールにはまってる。

どうにかして速い球が投げられないか日々研究している。どうしてこんなに夢中になるんだろう。少し考えてみる。

ボールを投げる快感に取り憑かれている。いい球を投げられた時の身体に残る「全部の力ボールに伝えたったで感」というか、「速い球を投げるのに力は必要ないんですよ感」というか、自分がそんなに力を入れたつもりではないのにボールが「スーーーン!!!!」と飛んでいく感じ。

あの感覚が好きで好きで仕方がないから、どうにか味わえないかと毎日試行錯誤している。

最近は家で壁に向かって靴下を丸めたものを投げている。それをみた1歳半の娘が僕の真似をして靴下を振り回すようになった。そのくらい投げている。

どうにかして自分が持っているポテンシャル(パワーや身体の大きさ)をボールに伝えられないか、最近の自分の興味はもっぱらここにある。どうしてこんなに夢中になるんだろう。同じような感覚がビジネスをしているときにもある。

僕はコーチビジネスをしているから対話を通じてお客さんに価値を提供することが仕事だ。経験上、お客さんに喜ばれる、いや感動してもらえるような対話はびっくりするくらい提供者であるこっち側に「感動させてやろう感」がない。

リラックスして、楽しんでいて、自分は喋りたいことを喋って聞きたいことを聞いているだけなのに、相手の熱量がどんどん高くなり、笑う回数が増え、脳の回路そのものをお客さんと共有してるんじゃないかって気分になる。

いい対話は脳がシンクロする。めちゃめちゃ深く考えている自分と何も考えていない自分が同居している。そういうときは時間が経つスピードが恐ろしく速い。

この間まさにそんな気持ちで対話できたことがあって、これは仕事の電話じゃなかったけれど、日が変わる前くらいに電話をかけて「そろそろ1時間半くらい経ったかな〜?」って思って時間を見たら3時36分だった。夜中の。

あまりに自分の感覚と経過時間がずれていてびっくりしたから覚えている。いい対話は時間を溶かすし、大きな価値を生むし、何より力感がない。キャッチボールに求めていることは形は変われどこんな感じだ。

いい感覚を追い求めることに夢中になり、大きな力を出すために全身の連動性について考え、結果としてボールを投げ合った友人ともいい時間が過ごせる。なんとなく似ている。僕は人生を通してこの感覚を追い求めているのかもしれない。

ビジネスで「大きな価値を提供したい」と思えばできることはいくらでもあるけれど、僕は「小さな力で大きな価値を提供したい」と考えている。だから「やったほうがよさそうなこと」はたくさんあるけれど「自分の目的に沿った本当にやるべきこと」は少ない。

僕は日々のコーチに向けた発信で「対話はクライアントとの相性がほとんどだよ」と言っているけれど、これもそうで。どんなクライアントでもある程度満足させるための対話の方法論はすでに確立してる。コーチングであったりカウンセリングであったり、「どんな人でもプロとして一定ラインまで満足させますよ」という技術は溢れている。

だからプロを目指す人の多くは「プロとして一定の技術を要していないと活動する資格がない」と思うのかもしれない。そういえばこの間オーストラリア人の友人に「フリーのライフコーチをしているよ」と言ったら「ライフコーチの技術はどこで学んだんだい?学校に通ったの?」と言われて返答に困った。

確かにフリーランスとして生きているということは『個人で生計を立てられるくらいの技術を持っている』=「その技術はどこかで学んだのかい?」という回路になるだろうなあと。

でも僕の理論は違う。ライフコーチングの技術が一定水準にあるから生計を立てられるわけではない。自分がその技術を「どこで」「誰相手に」「どんな状態で」使うかを見極めるからこそ大きなパフォーマンスを発揮し、報酬を得て、生計を立てられるのだ。

だから僕はライフコーチとしての経験は7年あるけれど、ライフコーチのプロフェッショナルではない。僕はおはなし屋なおとのプロフェッショナルだ。僕が「リラックスして大きな価値を提供できる」環境を作ることに長けている。というかそこしか考えていない。

だってライフコーチングなんて個人的で属人的なもの、「誰にやっても一定の成果が出る」なんて無理じゃない?いや、実際に『ライフコーチのプロフェッショナル』としてやっている人がいる以上それは無理じゃないんだろうけど。僕の場合は違う。

お客さんを喜ばせるために何か技術を頑張って身につけようとは思わないし、お客さんの期待に全部応えるつもりもなければ、頑張って貢献してお客さんに満足してもらいたいとも思ってない。「プロのライフコーチにコーチングをお願いしたい」という人を相手にするなら確かに勉強も技術も努力も必要かもしれないけれど。

僕は力感なくできることを仕事にしたくてこの仕事を始めた。頑張って貢献しても意味がないし、フリーでやる旨味がない。個人で活動する旨味とは「プロセスにとらわれない」ことであるのに、その前提条件があるからこそ「自分にしかできない大きな力の出し方」ができるのに、その権利を行使せずに生きていくのは勿体無い。

どうすればもっと楽に、どうすればもっと大きな力が出せるのかを探求する日々だ。きっとこの本質はキャッチボールもコーチングセッションも変わらない。「どんな人が投げてもスピードが出るフォーム」が存在しないから楽しいわけで、探求しがいがあるわけで、小学345年をソフトボールチームのベンチで不貞腐れながら過ごしたデブちゃんは30歳になってグローブを新調し公園で友人とキャッチボールを楽しんでいる。人生何が起こるかわからんね。

でも全て繋がっている。球速が5km上がるたびに、僕のビジネスも1つレベルアップしている。気がする。スピードガンなんて持ってないからしらんけど。


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