「臭い」のは、文化の違い問題。

 何度かここ(note)に書いたが、私の夫は日本人ではなく、日本育ちでもない。そして私が今暮らしている国は、私の国でも夫の国でもない。私たちは縁あって日本からとある国へ移住し、平和がバラバラに破壊されるまでは本気で永住を考えていた。(今は一刻も早くこの腐れ縁を切りたくて仕方がない。)
 正直なところこの国のことは最初から好きではなかったのだが、稼ぐ力さえあればそこそこ快適かつ自由に暮らせる場所だったので(稼ぐ力がなければ悲惨な目に遭うが)、たとえ好きになれなくても馴染もうと努力はしていた。現地の言語も勉強し、文化を理解しようと努めた。

 だが、どうしても馴染めない、耐えられないものがある。それは「臭い」だ。この国の人々は料理に恐ろしい量のニンニクを多用しており、それは調理過程において、外国人である我々にとっては鼻が曲がる程の激臭を放つ。夕方になると各家庭から強烈な悪臭が漂ってくるので、台所の排水溝をきっちり塞ぎ(階下から臭いが上がってくる為)、換気扇フル回転にてなんとか毎日をやり過ごしている。
 また、雨の多い季節になると、人々の服からはこれまた凄まじい雑巾臭が放たれる。(勿論、全員ではないが。)同僚から漂ってくる雑巾臭が原因で頭痛と眩暈が発生する為、レモンやミントのアロマオイルを垂らしたマスクを装備して働いたこともあった。
 「どうしてこんなに臭いのに、この人たちは平気なんだろう?全員副鼻腔炎か何かだろうか。」
 私も夫もこの国の「臭い」には全く馴染めず……いや、正直嫌悪していると言っていい。何故人々がこの凄まじい「臭い」を全く気にせずに生活できるのかわからず、常々疑問に思っていた。

 ところが、悪臭に顔を顰める側だった私が、夫から「臭い」と言われる事態が発生したのである。
 正に青天の霹靂。

 正確には、臭いのは私自身ではなく、私が漬けている「糠漬け」である。相当臭いらしい。だが、私にはその臭さがさっぱりわからない。幸運なことに海外に居ながらもフレッシュな糠を手に入れられる環境なので、小さめの瓶に糠床を作り、毎日美味しい糠漬けを食べられる幸せを噛み締めていたのだが……物足りなくなって糠床をさらに増やしたところ、臭いに耐えられなくなったらしい夫から苦情が出た。
 氏曰く、「家中が臭い。とんでもなく臭い。どうしてこの臭いがわからないのか。いくら糠が瓶に入れられてると言っても、腐っているのだから臭いを防ぎきれる訳がない。家に瓶詰めの死体を隠しても、その腐敗臭で発見されるでしょう。それと同じ。」
 言葉通り「手塩にかけて育てた」私の糠床をそんな物騒な例えで貶されるのはとても悲しいのだが、我慢しきれなくなった末の発言なのだから仕方がない。それにしても、どうして私には夫が言う「臭い」がわからないのか……嗅覚に問題は無いはずである。食べ物の腐敗にはすぐ気が付く方だし、生来非常に神経質なので異臭に対しては大変厳しい。
 恐らくこれは、「文化の違い」問題である。それも、私と夫にとっては、初めてで最大の問題だ。今まで長いこと一緒に暮らし、多少価値観の違いがありながらも議論を重ね、お互いの理解を深め、尊重し合い、小さな溝には橋を架けて仲良く生活してきたのだが……まさかここに来て、私の大好きな「漬物(の匂い)」が巨大な壁となり、妖怪ぬりかべの如く私と夫の間に立ちはだかるとは。人生本当に何が起きるかわからない。
 そもそも育った環境が私と夫では全く違う。小さい頃から漬物を食べ、漬物に慣れ親しんで生きてきた、漬物大好きな私。一方、漬物が生活の中に無く、ピクルスも嫌いな夫。他の文化圏の人にとって、漬物(特に糠漬け)は恐ろしく臭い物なのだろう。夫に指摘されるまで、全く気がつかなかった。

 そこで話が冒頭に戻るのだが、この国の人々がニンニクの激臭や、生乾きの服から漂う悪臭を気にしないのは、「気にしていない」のではなく、単に「気がついていない」のではないだろうか。乳幼児の時代からニンニク臭や雑巾臭を生活の一部として受け入れていれば、それは「家庭の中で発生するお馴染みの匂い」であり、「危険でも何でもないので放っておけ。」と脳が指示するのであろう。
 だが、私にとってその両者は「家庭の中では発生しない異質な悪臭」であり、さらに雑巾臭などは「健康を害するばい菌の毒素」と認識しているので、脳が「大変危険!拒絶せよ!」と全身にアラートを発令するのであろう。
 脳が本能的に臭いを拒否をしているのだから、理性を最大限に駆使しても歩み寄ることはできない。こればっかりはどうしようもない。私たちがこの国を出ていくまでは、じっと我慢するしかないのだろう。

 帰国後には、小さなワインセラーを買って、その中で糠床を育てよう。異なる文化圏からやってきた夫と糠漬けとの共存を目指して、私は小さな決意をした。

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