『『罪と罰』を読まない』を読みました。

 『『罪と罰』を読まない』(岸本佐知子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美)を読みました。『罪と罰』を読んだことのない作家四人が、その断片を参考にして『罪と罰』の中身をああだこうだと推理してゆく……という、アヴァンギャルドかつ非常に親近感を覚える内容の対談本です。

 親近感を覚える……そう、私も『罪と罰』を読んでいません。正確には、最初の1ページで「つまんなそう。」と思い、脱落しました。中学生か高校生の頃だったと思いますが、「何が、つまんなそう、だこのスカポンタン!」と、若かりし頃の自分の後頭部をスリッパで引っ叩いてやりたい、と思いました。『『罪と罰』を読まない』では結局最終的に四人の作家が『罪と罰』を読んで評論するのですが、『罪と罰』、絶 対 に 面白いと思います。分厚さと文字数とロシア人の長い名前に圧倒されている場合ではありません、『罪と罰』、必読です。人生で一度は読むべきでしょう、私はまだ読んでいませんが。社会人になるとあのボリュームの本に手を出すのは時・体力ともにキツいので、徹夜で読書しても死なない学生時代に挑戦しておくべきだったと思います。

 そして『罪と罰』だけでなく、この『『罪と罰』を読まない』自体が、とっても面白いです。既に『罪と罰』を読んでいる人は抱腹絶倒すると思いますが、読んでいなくても心から楽しめました。
 私自身は三浦しをん氏の書く文章が好きで、三浦氏のエッセイを読んでこの本の存在を知りました。残念ながら他の三人の作家の本はきちんと読んだことがないのですが(吉田篤弘氏の『圏外へ』だけが途中で放り出されたまま積読になっています……。)、四人の作家のうち何方かのファンであれば、『『罪と罰』を読まない』は必読書です。
 例えば以下のシーン、作家視点で「婆さんをいつ殺るか」を推理しているのですが、三浦ファン的にはたまらないし、岸本佐知子氏も吉田篤弘氏もノリノリで面白いです。

 篤弘「もし、しをんさんが、六部構成の長編小説で二人殺される話を書くとしたら、いきなり第一部で殺りますか?」
 三浦「いえ、殺りませんね。」
 岸本「どのくらいで殺る?」
 三浦「ドストエフスキーの霊を降ろして考えるとーー

 ドストエフスキーの霊って……!イタコか!
 また、「武蔵も臭そうだよね。」「一大スペクタクルな葬式宴会」等、岸田氏の発言が私の笑いのツボを突きまくりでした。すっかり岸田氏のことが好きになったので、彼女のエッセイも買う予定です。

 最後に、三浦氏の後書き『読むのはじまり』で、「ああ、私は本当にこの人の書く言葉、本に対する姿勢が好きだなあ。」と思いました。以下抜粋します。

「名作を読んでいないからといって、あるいは、読んだけれど大半を忘れてしまったからといって、恥じたりがっかりしたりすることはないのではないかと思います。読んでいなくても「読む」ははじまっているし、読み終えても「読む」はつづいているからです。そういう「読む」が高じて、気になって気になってどうしようもなくなったときに、満を持してページを開けばいいのではないでしょうか。本は、待ってくれます。だから私は本が好きなのだと、改めて感じました。

 私なんぞ今までに読んだ本の内容はかなり忘れている自信があるし、こんな状態で果たして本を読んで理解したと言えるのだろうか……と落ち込むこともあるのですが、重要なのは本の内容を丸暗記することではなく、純粋に読書を楽しむことや、美しい言葉で心を満たすこと、そして、本の中から人生を強くしなやかに生きるための栄養を吸収することであると、改めて実感しました。
 『『罪と罰』を読まない』、良書でした。

 ただ一点、「本は、待ってくれます。」という一言に対して、反論というか、思うところがあります。本は確かに待ってはくれるのですが、ヒトの命と体力は有限なので、読める時にどんどんガシガシ読んだ方がいいです。人間いつお陀仏になるかわかりません。おそらく私も死ぬまでに読みたい本を全て読みきることはできないと思います。でも、出来る限り読みたい、だからこそ生にしがみつくのです。
 読めなくなった時、私の人生は終わりです。


この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?