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「ゲームを語る」のシンギュラリティ

とあるゲーム研究者がとある界隈で軽く炎上しています。

いろいろ引用したいところではあるんだけど、米光先生の言が、コンテキストを表現する上でとても象徴的なので引用しておきます。

「ゲームって嘘説がはびこりがち」

「体験のアーカイブは、もう絶望的に難しい」
「なるべく多くの声や資料を残し、それについてたくさん語って」
「それらが一覧できる環境がいい」

ほんとそれですね。

「ゲームを語る」という行為は、いつ頃からこんなにめんどくさい世界になってしまったのだろうか。

エンタテインメントシステムの研究者が考察してみました。

ゲームを語る、を語る。

ゲームを語る、という行為自体を「いちプレイヤー、消費者として語る」という行為は、実は幼稚園児でもできます。

自分の博士論文時代、2003年ごろの幼稚園でのヒアリング調査によると、ゲームに出会う年齢は4歳。そのほとんどが友人やきょうだいといった「話題についていきたい」というモチベーションでゲームと出会います。

「ゲームが面白いからゲームを買う」という行動に出ることが「はじめてのゲーム」になることは(ロジカルに考えても)ほぼない、という現実があります。

さて自分が記憶している最も古い「ゲームを語る記憶」は、小学校4年生(10歳)の小学校に通う通学路での出来事でした。1983年7月15日に発売された家庭用ゲーム機の雄「ファミリーコンピュータ」についての話題が鮮明に記憶に残っています。

クラスでいけ好かない友人(?)たちが、買ってもらったファミコンについて自慢し続けていました。自分はゲームといえばインベーダーが駅ビルに展示された時に「1機だけ」やらせてもらったり、駄菓子屋のアップライト筐体を後ろから覗いていましたが、家にPC-6001mkIIがくるまでは「こんにちわマイコン」付録の紙キーボードと「マイコンBASICマガジン」(ベーマガ)、あとは近所の兄の友人ナカザトくんのP-6のみが頼りでした。

さて彼らはこの前まで「マイコン/パソコンってすげーな」という話題の中心にいました、便宜上、サイトウくんシミズくんと呼びます(元気かな?)。僕はベーマガに乗ってる2000行ぐらいのゲームプログラムを打って(写経)改造して遊ぶのに夢中でした。

サイトウくん:ファミコンってすげーんだよ、『ROMカセット』さえ入れ替えればどんなゲームでも遊べるんだ。
シミズくん:パソコンみたいにテープでロードしたりしないしな
自分:ファミコンの『ROMカセット』の『ROM』ってリード・オンリー・メモリーってことでしょ。読むことはできるけど、新しいプログラムは作れないってことだよ(だからパソコンでゲーム開発するほうが無限にゲームが作れるんだ……)」
……というやりとりが記憶に残っています。

もちろんゲームもいっぱい開発していたので、ゼビウスに夢中になったりドット絵を見て真似てみたり。

その後、26歳でゲーム開発者になった自分としては「10歳の頃から視点が違うんだよな…」という振り返りができるのですが、立場や経験、そのプレイヤーがみている世界のモデリングによって「ゲームを語る」の意味や中身が変わってくることがわかります。

研究だったら文献学的なアプローチをするんですが、これはブログなので、今日はこの主観ナラティブ視点を、ちょっと深めてみます。

『ROMカセット』だってあやふやになる

あとの時代から見ると「ゲームカセット」を「ROMカセット」と呼んでいたかどうか、ということすらあやふやになっていきます。「ROM」は当時は電気電子分野の用語でそこそこに普及していましたし、「CD-ROM」の一般化が1985年です。1983年の小学4年生が日常的に使っていたのかどうか?などを客観的に評価しようとすると主観でしか評価しようがありません。

文献学で調査しようとすると、当時の児童誌「コミックボンボン」(講談社)、「コロコロコミック」(小学館)を調査するしかありません。徳間書店「ファミリーコンピュータMagazine」(ファミマガ)が発売開始たのは1985年、現在の「ファミ通」のもととなる「ファミコン通信」(月刊誌→隔週刊)は1986年6月6日発刊です。

整理するとこの時点で、いちプレイヤーである子どもたちの主観、理解、使っていた言葉といったレイヤーと、そのゲームにお金を出していた消費者(おそらく親)は一致していません。親の知識と、ゲーム用語を流通させていたメディアでの認識や使おうとしていた用語も異なります。

そして、子どもたちがアクセスできる情報メディアは有限です。
コロコロを買っていたのか、ボンボンだったのか、ベーマガなのか、ジャンプ放送局なのか、これらのメディアによって子どもたちが主観で有している「辞書」は大きくことなっていきます。

メディア側が仕掛けていた「体験」

ところで、この手のメディアが当時どれぐらいの距離感でゲームを扱い、仕掛けようとしていたかは、今年に入ってコロコロコミックが漫画として語り始めています。

「名人」や「裏技」といった言葉がどのように生まれたのか?を一次発信であるゲーム開発者、そして二次発信であるゲームメディアが作り出していった様子を描いています。

当時、主観で参加していた子どもたちの視点では、メーカーや編集部の思惑によって熱狂がどのように設計されていったのかを記述することはできません。そして子どもたちの体験や発見によってバグや裏技が共創されていったのか、という投稿メディアの歴史を想像しないと、すべてを語ることはできません。そしてそれは「真実」とは異なるかもしれないのです。

さらにここには「無くなったメディアの歴史」は描かれません。例えば「ボンボン」や「ファミマガ」は廃刊していますので、令和の現代にかつての昔話を語る体制はありません。具体的には「裏技」を「ウルテク」と呼んでいた時代があります。新しい言葉を作ったり、普及させようとしていた時代もあるけれど、そこは「売れたものが勝ち」「生き残ったものが語る歴史」でしかない要素もあるのです。

この時点で「ゲームを語る」という要素に
・プレイヤーとして体験したかどうか
・消費者として購入したかどうか
・隣のメディアから見てどう感じたか
・開発者なのか消費者なのか
・周辺知識
・どんなメディアを購読していたか
・投稿メディアに参加していたか
といった要素が絡んできます。

現在でも、VTuberやゲーム実況者として「ゲームの面白さを伝える」という立場の人と「それを見ているだけの人」では異なりますし、「ゲームを作っている人」と「ゲームを売りたい人」でも異なります。

真実はどこにあったか?という視点で見ても、
・設計として「確定稿」があったか
・デバッグやバランス調整などのQA過程で何が判断されたか
・名前や定義がないキャラクターの設定
・一連の体験に名付けられた名前
・そもそも設計者が認識していなかった例
・リリース後にプレイヤーが命名した例(裏技など)
何が「真実」であったのかを定義することはとても難しいことです。


ゲームを語る「読者」自体が育つ

ゲームの体験そのものがプレイヤーを変えていきます。これは書籍「白井博士の未来のゲームデザイン」では「動的ペルソナ」として扱っています。

例えば、もっとわかりやすい例もあります。扱う言語と対象年齢です。

学年誌や児童誌でないメディアの場合は、読者が時代によって成長していくことも多くあります。どのような対象だったのかを思い出すことも主観を捉える上では重要なファクターになります。なおファミ通は最近まで(2021年)原稿にフリガナを振っていました。

2021年11月4日 - 桜井政博のコラムが終了したことで、ふりがなの付いた記事が絶滅した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E9%80%9A#%E6%B2%BF%E9%9D%A9

ゲーム史を語る専門家も登場する

かつてのメディアで「真実」とされていたものが、近年に「あれはプロモーション上の表現」とされるケースもあります。
そのような事実関係を収集する方々もいらっしゃいます。

遠藤さんは僕の中ではヒーローでいて欲しかったけど、本人が「違う」って言ってるものを信じ続けるわけにもいかないですよね。

真実とは時に残酷であり、受け入れ難い。
聞こえのいいストーリーには裏がある、と思った方が良いのかもしれないです。
だからこそ研究や調査はクリティカル(批評的)なのです。いつもいつも「会心の一撃」になる必要はないんですけど。

ゲームエクスペリエンスの技術的特異点

こうしてみるとゲームエクスペリエンスを語るうえでのエポック(時代)とかシンギュラリティ(技術的特異点)が10年ごとぐらいにきていると考えたほうがいいのかもしれません。
調ざっくりですが、

1980 駄菓子屋時代:その地域の駄菓子屋が情報流通の拠点
 「ハイスコアガール」などで一部語られています
1990 ゲーム雑誌時代:雑誌と攻略本がメインメディアでした
2000 掲示板時代:ネットの掲示板による情報が最速最強
2010 動画時代:ニコニコ動画やWikipedia、Twitterも2011年以降に力を持ちます。ゲーム史研究が注目されて多くの研究者が増えたのもこの時期です。
2020 マスメディア広告の逆襲時代

2024年現在、Wikipediaや動画、X(Twitter)といったSNSの他、どのような技術的特異点が生まれているでしょうか。任天堂がオウンメディアでのリリースに加えてダイレクトに動画でリリースを行うようになり、広告は一次発信が中心になり、あとはYouTuberやVTuberといった配信者が直接マーケティングを担当するようになりました。その一方で実はテレビやマスメディア、大手メディアがそれまで扱ってこなかった情報を扱うようになりました。かつてほど、TVや雑誌といった広告を中心としたマスメディアに力がなくなり、個人や小規模企業者である配信者、そしてKindleなどに代表される独自出版やWebオウンメディアといったパーソナルメディアが強くなった影響があると考えます。
また、かつてのゲーム開発者が退職年齢に入っており、当時の企業がなくなっていたり、退職したことで口伝が語られやすくなったことも背景にあると考えます。
(もちろん、固く守秘義務を守り続ける方々もいらっしゃいます)

歴史を俯瞰しないとわからなくなる例

歴史を俯瞰しないとわからなくなる、という点もあります。
「ストリートファイターII」には「ストリートファイター」初代(1987)があります。ボタンの強弱を空気圧で測るという斬新すぎるゲームシステムで当時は体感ゲーム機を扱っている大型ゲームセンターにごく短い時間導入されただけで「雑誌の上で『面白そう!』と思うけど実際にプレイした人はいない」という作品でした(私はわざわざストリートファイターが置かれているゲームセンターでアルバイトしていました)。同じような特殊筐体を使ったアーケードゲームにトラックボールを使った「マーブルマッドネス」や4人同時プレイを実現した「ガントレット」があります。当時のカプコンは必ずしも海外ウケを狙った作品や特殊筐体を使った作品が多かったわけではなかったですが、明確に意識をした作品は印象的にプレイヤーの記憶として残っています。「ファイナルファイト」が1989年、「ストリートファイターII」の初リリース日は1991年3月7日とあります。ミッドウェイゲームズ「モータルコンバット」が1992年です。家庭用ではコナミ「イー・アル・カンフー」(1984)、アイレム「スパルタンX」(1984)、アーケードでは「空手道」(1984)が「元祖」といってよいのではないでしょうか。なお「任天堂アーケードアーカイブス 空手道」で遊べます。いい時代だ…。

商業的な都合を考えないとわからなくなる例

発売された作品のリリース日がWikipediaに残っているので、歴史上のタイムラインをここまで復元できるのですが、実際にはマーケット、市場の流通はそこまでキッチリとしていなかったという体感もあります。

商業的な都合を考えないとわからなくなる例は多くあり、それが「正史」として語られる例もあります。

インターネットやソフトウェアの時代ではわからないかもしれませんが、「人気なのに遊べない」という状況が多くありました。

一方ではマーケットやプロモーション、流通上での都合などは「正史」ではなく、担当者の印象とか主観とか聞こえの良い武勇談であることも多くあります。

例えば現在では有名なメーカーですが「人気ゲーム機のコピー基盤」を主力商品にしていたゲーム会社はたくさんあります。スティーブ・ジョブズだってATARIから最初の仕事をもらったときはゲーム「Breakout」基板の部品を減らす仕事だったといいます。

ゲームの誕生は改善や工夫、コストダウンや利益増大化、そして真似やコピーや模倣やインスパイアであり、他者からの情報流入や没になった企画書を隣の会社に持っていって成功した例などもたくさんあります。就職活動のときにアイディアを盗まれた例もあります。そういった「本当に黒い黒歴史」は正史としては語られないでしょう。

あとの世からみたらわからなくなる例

「ROMカセット」のようにあとの世からみたら「どうしてそんな用語が子どもたちに普及していたのか」のような「わからなくなる例」も多くあります。例えば駄菓子屋で流通していた「カッチン」(電子ライターの点火装置を使った不正技術)やハイパーオリンピックの「定規」など、非常に破壊的なチート技術もありました。ネットゲームの時代においても、RMTのようなチートが行われるからこそ、時短アイテムや課金が開発されたりする経緯があります。そのような用語や技術は「遊び」の文化においては、整理され、絶滅していくミームになる可能性は高いですが、文化においては重要な意味を持っているのかもしれません。

商業としての需要や正史だけで語ることができるわけではないと考えます。

海外から見たらわからなくなる例

今回の吉田寛先生の例は、(若干乱暴ではありますが)現代においても「海外から見たらわからなくなる例」を描いていると感じます。

現代で言われるポリコレなどを別として、「当時の日米比較文化研究をしていた方々が書きそうな論文」という視点は持っていてもいいと思います。

https://etd.ohiolink.edu/acprod/odb_etd/ws/send_file/send?accession=bgsu1277062605&disposition=inline

例えば、
・エドモンド本田
・ボーナスステージの車破壊
このあたりはステレオタイプを強化したゲームのビジュアルデザインでしょう。

リュウ・ケンのデザインで「いちプレイヤー視点で気になる視点」といえば
・ケンは眉毛黒いけど、染めたの?
・リュウとケンではどちらが強いの?
など、ビジュアルデザインだけとってもいろんな謎がありますし、ゲームデザイン上のバランス調整要素でも配慮を味わいたい要素があります。

しかし「いちプレイヤー」にはブラックボックスの中身は想像するしかないのです!

リュウ・ケンのキャラクター設計に深く立ち入るなら、やはり今も生きている、デザイナーさんに突撃インタビューするのがいいと思います。

まとめ「語られるゲーム」こそが文化

以上、「ゲームを語る」のシンギュラリティを5,000文字超えでまとめてみましたが、振り返ってみると、
・ゲームをプレイヤーとして語ることは可能
・学者は学者としての仕事をすべき
・開発者は卒業したら何を語るべきか
…といった2020年代特有の問題を言語化できたように思います。

僕自身もプレイヤーとして語りたいことは(それこそ小学生のように)山程ありますが、ゲームの産業の中でいろんな「事実」や「黒歴史」そして、学者として研究者として、エビデンスがあり、再現可能な科学としてのアプローチを保つことができれば理想だなと思います。

語られるゲームこそが文化であり、ゲームは語られない限り新しいプレイヤーには届き辛いのであり、語られるゲームを作れるかどうか?それが「未来のゲーム」を作っていく大事な要素であるかもしれません。


それは生成AIの時代もそっくりではあります。

さてこれからもAICU mediaは「語られるエンタメ」としての生成AIクリエイティブんl世界を言語化していきたいと思います!

…見事に宣伝乙なオチになった!買ってね

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