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育休とお金》2004年、育休中の年収は-100万円 そして今は貧乏を楽しむ隠居ライフ

2004年6月。給与明細が郵送で届いた。支給額は8万円。

さすが、育休を取ると減るもんだなぁ~と感心した。
けれども、よく見ると8の前に小さく”-”がついている。なんと、これ、

マ・イ・ナ・ス だった…。

5月分給与はマイナス8万円だった。
4月はまるまる年休を取得し、5月から育児休職。5月分の給与は無くなるのは覚悟していたケド、まさか-8万円とは思わなかった。
備考欄に振込先が書かれてなければ、気づかなかったに違いない。

当時は育休中の金銭面での補助は、こどもが1歳になるまで。
そして夫婦のどちらか片方しか育休を取れなかった。

おっぱいの都合もあり、末っ子のウー誕生からの1年はママぶたが育休を取っていた。おおかみはウーが1歳の1年間、育休を取得。

1年目のママぶたは、少しでも手当があったので、マイナスになることはなかった。けれども通算2年目になるおおかみは、手当がだった。

住民税は前年度の所得にかかるので、給与0でもしっかり請求される。さらに、給与引き落としの各種保険料や積み立てなどなど。合わせると8万円になっていた。

おおかみの口座から、会社の口座へ。毎月8万以上が飛び立っていった。
育休中、会社に飛んでいったお札は100枚近くになった。
まあ、積み立ては自分のためだけど…。


あれから19年。もちろん、あの1年分の給与が、いま目の前にあればありがたい。
だけど、19年経ってしみじみと感じる。あの1年間の休暇はプライスレス。
休んだのは大正解。まったく後悔はない。

それは、仕事も、子育てもあきらめずにすんだから。

仕事は、サラリーマンなのに出世を目指す必要がなかった。2人で1.5人分稼げばよかったから。ママぶたが働いてくれたおかげだ。

出世から解放されたサラリーマンは無敵。仕事を選り好みできる。

社内FA制度を最大限活用して、まったく毛色の異なる部署から部署へ。
飽きっぽいおおかみ。数年おきにいろいろな仕事に飛び込まなければ、窒息していたに違いない。

子育ては、贅沢を言えばもっともっと会社を休みたかった。
今は育休中にそれなりの補助が出るようで羨ましい。実質10割とか夢のようだ。それならママぶたと2人で2年とってた。まちがいない。

それでも1年の育休と2年の短縮勤務で、こぶた達とたくさんの時間を共有できた。これは何物にも代えがたい。

今になってやろうと思っても、どうやってもできない。

ついでに趣味のバドミントンも、育休中に長女のブーがスポ少に入ったのを良いことに、コーチとして羽を打つことが出来た。次女のフーもその流れでバドラーになり、おおかみのアキレス腱を切るほどの腕前になった。

もうひとつの趣味、チャリ旅も長男のウーと箱根や富士五湖に出かけた。

仕事も、子育ても、趣味も。あきらめた感がないから、満足度100%だ。
これは幸せなことだと思う。

いまは家族に囲まれて、貧乏な隠居生活をエンジョイしてる。


子育てについて、社会変容の歩みは遅い。マイマイくらい遅い。
それでも19年前に比べれば、育児休暇の諸制度は進歩している。

せっかく進歩した制度。多くの人が有効活用して、幸せな親子が世にあふれると良いなと思う。


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