こどもをつくるのは親のエゴ、でいいじゃない
おおかみはガン家系である
というのもあって、NHKのドラマ「幸運なひと」を視聴した
ところが、引っかかったのはガンの話ではなくて、余命短い夫とその妻、医師の、このやり取り
最初に聞いたときは「へっ?」即座には意味が分からなかった
ので、再放送を録画して確認。なるほどと唸った
「生まれてくるこどもがかわいそうだから、こどもはつくらない」
というフレーズはときどき耳にする
ドラマの妻はこどもを持とうと決心しているので、方向は逆
だけど、言っていることは近いものがある
こどもの幸せ視点でものを言ってる
しかし、医師の言うとおりだ
そんなこと、わかりようがない
自分は気が進まないけど、生まれくるこどもは間違いなく幸せになる
こどもはきっと喜ぶだろうから、こどものためにこどもをつくろうって話
おおかみも聞いたことがない
未来のことはわかりようがない
ましてや生まれくるこどもの心境なんてわかるハズがない
それを理由にするのは、結局は自分のやりたいことを体裁よく言葉に綴っているってことなんだろう
おおかみは、そんな言い訳をしている人を非難するわけじゃない
むしろ言い訳をせざるを得ない社会に疑問を感じる
社会からの有形無形のプレッシャーがなければ、こどもをつくらない言い訳をする必要すらない
こどもをつくるのは個人の自由だ
こどもをつくれというプレッシャーをかける社会
その一方でこどもを排斥する社会
明らかに矛盾してる
この矛盾は、こどもをつくることを選択した人も、つくらないことを選択した人も苦しめるかと
こどもをつくる/つくらないの選択は容易じゃない。考え出すときりがない
…というか、正解はどこにもない
おおかみがちょっと気になるのは
「生まれくるこどもがかわいそうだから、こどもはつくらない」
というのが、ド正論な美辞麗句であることだ
ド正論をかざされたとき、ドラマの医師のように反論できる人は少数だろう
ドラマのように、こどもをつくる選択をした人の背中を押すならまだしも、つくらない選択をした人を否定できない
ド正論な美辞麗句は、鬼に金棒
答えのない問いを考えて、考えて、もう考えるのも面倒というとき
ド正論な美辞麗句は、人を思考停止に陥れるのに最強の武器になりかねない
まわりの声に戸惑ったり、頭の中が煮詰まったりしたら、感じてみるのも良いかもしれない
令和風には、Don't think, just do.
昭和的には、Don't think! Feel.
って感じ…ちょっと違うか?
そこらに転がって…はいないけど、どこかであかちゃんを抱っこしてみるとか
公園でこども達をボーっと眺めてみるとか
障害児の活動をサポートしてみるとか
私には、こどもは無理って感じるかもしれないし
やっぱりこどもは欲しいって感じるかもしれない
考え疲れて、ド正論な美辞麗句にすがっているよりは、気楽で有意義な時間が過ごせるんじゃないかな
こどもをつくるのは個人の自由
自由だけれど、社会を持続させるのに、こどもは必要
今、社会を支えている大人たちも、やがては社会に支えられるときがくる
それぞれの選択を尊重して、それぞれをサポートできれば素晴らしい
こどもをつくる選択をした人は、将来の社会を形作るこどもを育て
こどもをつくらない人は、社会の一員としてこどもの成長を支える
そして成長したこども達が形づくる社会は、どちらの選択をした人も支える
さて、おおかみはと言うと「あかちゃん沼は少子化を救う」に書いたように、Marylandであかちゃん沼にハマり、帰国後にこどもをつくった
たぶん、あれやこれや考え出したら悩みの沼にハマっていただろう
「案ずるより産むが易し」のノリだった
そして、こどもの幸せ視点で考えることは…あったような、なかったような
そんなこと考え出したら、悩みの沼から抜け出せなかっただろう
おおかみはこどもが欲しかったから、こどもを作ったわけで、完全に親のエゴだ
親ガチャとか言われたら、返す言葉もない
自分が幸せになれると思えば、こどもをつくるし
自分の幸せに関係ないと思えば、こどもはつくらない
完全に親のエゴ
けど、それでいいんじゃない?
きっと、こぶた達はこれからの社会を、世界を、地球を、宇宙までも支えてくれる
…たぶん
たのむぞ、こぶた軍団!
読んでくれただけでも感謝感激😊 もしサポートいただけたら、年金の足しにします(まだもらえないけど…)