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長すぎる寄り道④(近江塩津駅ーJR大阪駅)

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同じ滋賀県内だというのに、琵琶湖を北と南に隔てるとこんなにも天気は違っているのだろうかと驚いてしまうほど、近江塩津は天気が悪かった。悪天候も悪天候。雨かひょうかあられかよくわからないものが降りしきり、空はチャコールグレー1色。この空を視覚的に表すなら、Adobeのイラストレーターを開き、図形ツールで四角形を作り、それをグレー1色に塗りつぶしてしまえばよい。印刷に出すときも、モノクロで刷ることができるから、低価格でお財布にもやさしい。そんな感じの色をした空の下、僕は近江塩津駅のベンチで、次に乗るべき電車を待ちぼうけながら「村上ソングス」を読んでいた。


近江塩津駅は琵琶湖の真北に位置しており、琵琶湖の東を走る琵琶湖線と琵琶湖の西を走る湖西線が合流する場所である。そしてそこから、敦賀や石川の方へ1本の線路が伸びる。まるでトーナメント表の線みたいだ。本来、トーナメント表では、合流地点から先へは勝負に勝ったどちらかしか進むことができないけれど、電車は違う。琵琶湖線の電車も、湖西線の電車も進むことができ、さらにいうと逆から電車がやってくることもある。これが、トーナメント表にはないけれど、電車は持ち合わせている数少ない魅力のひとつである。


そんなことを言っているうちに、電車がやってきた。少しでも暖かい場所へ入るために電車に乗ろうとしたが、行き先を見てみると、これはどうやら琵琶湖の東側を通って大阪へ向かう電車であるらしいとわかる。僕は今、琵琶湖を1周しようと琵琶湖の東側を通って半分の地点までやってきたのに、来た道をまた戻るというのは意味がわからない。なので、その電車を見送り、それからしばらくしてやってきた湖西線を通り、大阪へ向かう電車に意気揚々と乗る。


この電車は北の方からやって来た新快速列車であり、京都・大阪・神戸を通過して姫路まで向かう。いったいどこからやって来ているのかはわからないが、きっと気が遠くなるほどの距離を走るのだろうということは間違いない。僕は窓側の席に座り、原稿用紙を取り出し、再びペンを走らせる。


琵琶湖が見えた。絶景だ。夕陽に照らされて水面がほんのりと赤く染まった琵琶湖。なんだか初日の出と同じ類のありがたみを感じてしまう。えびせんみたいな色をしていて、美味しそうにも見える。酒のつまみになりそうな景色を横目に、僕の乗る電車はものすごいスピードで走ってゆくが、僕は生憎、酒を持ち合わせていない。こんな時に、ポケットにウイスキーの小瓶でも忍ばせておけばよかったと悔やんだが、仕方がない。


しかし、本当によい眺めだ。誤って琵琶湖があるのとは反対側の席に座ってしまって、空席があれば今にも移動をしたいのだけれど、それでもこちらの席から見える琵琶湖の景色も素晴らしい。それだというのに、琵琶湖の方の窓側の席に座っている人は、みなスマホを見ていたり、新聞を読んでいたりで、誰も外の景色なんて見ていない。2人か3人がチラチラと外の景色に目をやるだけで、あとは誰も見向きもしない。なぜなのだろうか。もしかすると日常的に湖西線を利用しているので、琵琶湖なんてものは見飽きており、もはや大きな水たまりくらいとしか思っていないのだろうか。あるいは、滋賀県民の心の中にはいつも琵琶湖があるので、わざわざ外の景色など見る必要がないのだろうか。京都に住む僕が、京都駅を訪れる度に、わざわざ京都タワーの写真を撮ってはSNSにアップしないのと同じ感覚であろう。そうこうしているうちに琵琶湖は徐々に遠ざかり、僕は滋賀から離れ、京都を通過して、あっという間に梅田へたどり着いた。


このようにして、難波ー奈良ー京都ー琵琶湖1周ーJR大阪駅という長い1日の寄り道電車旅は終わりを迎えた。陽は沈み、あたりは暗くなり、駅には仕事帰りのサラリーマンで溢れかえる。そんな彼らと、お互いの長い1日を労い合いながら酒の1杯でも飲みたいものだ……と思いながら、僕は何人ものサラリーマンとすれ違い、JR大阪駅の改札に切符を通した。

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