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大きめのお風呂を掃除する

 自宅の小さなお風呂を掃除するだけでも面倒くさくて、ついつい汚れが溜まりがちであるにもかかわらず、どうしてその何倍もの広さのある銭湯を掃除したいなんて思うだろうか。濡れる、暑い、汗をかく、しんどい、疲れる。銭湯のお掃除を想像するだけでこれだけの感情を予測する事ができるというのに。

 しかし、僕はとある日の午前10時に源湯の前に立っていた。源湯のお掃除をするためだ。疲れることなんて百も承知だったが、営業開始前の浴場に立ち入るなんて経験は、銭湯で働くか、よほどの常連にでもならなければできない。物好きな僕の好奇心は、この珍しい経験を逃さなかった。

 汗をかいて良いように、多少濡れても良いように、着てきた白シャツとスラックスから、ロンTとステテコに着替える。ポイントはステテコだ。何年か前にユニクロで購入した、葛飾北斎の『富嶽三十六景』が描かれたステテコだ。銭湯といえば富士山。富士山といえば銭湯……かもしれない。僕のクローゼットの中で一番銭湯的な装いだ。ロンTはなんのこだわりもない、ただのくたびれたロンT。これ以上ロンTについて語ることはない。

 しまった。パンツの替えを忘れた。いかに銭湯的なステテコを用意するかということがあまりにも楽しく、夢中になり過ぎたせいで、ステテコからパンツへ水が染み込んでくるという事態を想定する事ができていなかった。こうなると、なるべく水がかからぬよう、細心の注意を払うしかない。それでも水がしみ込んできた時はその時だ。コンビニにでも買いに行こう。

 人間の垢は湯船の上部内側に溜まりやすいという。あとは、カランという洗い場の蛇口まわり。もしあなたが「銭湯における3大赤の溜まりやすい場所を教えていただけますか?」と聞かれた時のためにもうひとつ、垢の溜まりやすい場所を挙げるなら、桶と椅子の表面である。

 ということで、湯船をこすり、桶や椅子、シャンプー等のボトルを洗い流し、洗い場のカランや鏡をひとつずつ磨いていく。もちろん壁も床も磨く。浴槽からバケツに水をくみ、磨いてきたモノたちに水を放って流していく。かけるのではない。放るのだ。バケツの中から水の塊が宙を飛び、形を少しずつ変えながら壁に当たって飛び散る。片手でバケツの上の方を持ち、もう片方でバケツの底に手を添え、そのままバケツを前方に押し出す。このコツをマスターすれば、水の塊は目的地に向かってまっすぐと飛んでいく。ちなみに、目的地付近あるいはその道中に人がいないことを確認してから水を放らなければ、誰かのパンツが水浸しになってしまうのでご注意を。

 銭湯では、営業日は毎日掃除がなされるそう。4人で片方の浴場を掃除し、それでも1時間近くかかった。慣れた人だけで掃除をした方が効率がいいとはいえ、それでも重労働には違いない。やはり、何においても自分が経験してみないとわからないことがある。ひとつは、銭湯を毎日きれいに掃除してくれている誰かがいるおかげで、僕たちは気分良く銭湯に入る事ができる。ついでに言うと、おいしい飲み物を作り、届けてくれている人がいるおかげで、僕は掃除の後にコーヒー牛乳を買ってひと息つく事ができた。もうひとつ分かったことは、よほどふざけたりはしゃいだりしない限り、パンツは無事であるということだ。とはいえ、僕は運がよかっただけなのかもしれない。もしこれを読んでいるあなたに銭湯掃除の機会が訪れた時は、替えのパンツを用意しておくことを推奨させていただく。


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