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社会人の成り損ない

4月1日というのは年度が変わる節目の日で、(大半の人が)二度と背負うことはないだろう「学生」という肩書を降ろし、新たに「社会人」という肩書を背負いなおす、そんな日だ。入社式があったり、初めて会社に出社して仕事をしたりして、4月1日の夜には「新社会人の皆さまおつかれさまです」なんて言葉をよく聞くもんだが、今年は4月1日が土曜日なのでなんだか違和感を感じる。同級生の友人は「今日から社会人になります」だとか、「勤務地の都合で親戚の家に引っ越す」だとか言っている。


ぼくもほんとうは今日から社会人であったはずなのに、社会人になり損なってしまい、まだ学生の肩書を降ろせていないでいる。というのも、大学の卒業発表の日、ウェブ上の学業成績表の不足単位の欄に「2」という数字があったからだ。大学4年の後期になってまで「14」という不足単位を残し、「そんな中途半端な残り単位数がいちばん危ない」なんて言われつつ「いやぁさすがに大丈夫だと思うんですけどねぇ」なんて会話をいろいろな場所でしながら、楽しくて仕方がないバイトに勤しんだり、映画の宣伝をしたり、酒場を呑み歩いたりしていたら、案の定、留年をしてしまった。


あと2単位なのだから、最短で半年後に卒業することが容易にできる。半年間、自宅で受講できる適当な授業を履修し、今までどおりバイトをしながら、2単位を大学にもらって卒業する。でもそのあとはどうする? と不安になる。せっかく新卒というカードを維持できているので、昨年はロクにやっていなかった就職活動なるものをやってみようかと思ったが、もう準備を終えて戦いに出ようとしている24年卒の人たちと戦っても勝ち目がない。学費も自分で稼がねばならない。ということで、1年半の休学を決め込み、その間に学費の貯金をして(家の周りには飲み屋がたくさんあるので、すぐにお酒を飲みに行ったり、レコードとか本を買ってしまうので貯金ができる自信は全くない)、きちんと就活をして、2年後に卒業するという計画を打ち立てた。それでも「計画」というのはうまくことが運ばないから「計画」というのであって、2年後の、ましてや半年後のぼくがどこでなにをしているのかまったく想像がつかない。


とはいえ、京都で2年ものモラトリアムが与えられたと考えれば、それは贅沢なものであるように思える。なんせ、京都で学生を名乗って入れば小さな特権がそこらじゅうに転がっているからだ。京都は学生にやさしい町と言われるように、安くおいしく居心地の良い飲み屋が点在している。こんな留年の失敗談は酒の肴になるし、酒場で出会ったおじさんが酒の1杯2杯を奢ってくれたりするかもしれない。楽しくて仕方がないバイトも3つほどあるし、待ちに待ったプロ野球も開幕した。なので、ぼくはせっかく留年したのだから、この留年に染み付いている蜜をこれでもかというほど、余すところなく吸って、あと2年間ご機嫌に暮らしていくのだと思えば、今から楽しみで仕方がない。というところまで書いて、今日、4月1日はエイプリルフールだということを思い出したが、留年という事実はエイプリフールごときでは嘘にはできないようだ。

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