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銭湯はワンダーランド

 船岡温泉、つまりそれは某夢の国に勝るとも劣らないテーマパークである。

 大きな唐破風のついた建物は、国が有形文化遺産に認めているらしく、某シンデレラ城には無い渋みと威厳を持ってたたずむ。横開きの扉をガラガラと開け、ワンコインでお釣りが返ってくる程の入園料を払う。浴室の扉を開くと、そこではあまたのアトラクションが僕たちを待っている。浅風呂、電気風呂、泡風呂、水風呂にサウナ、薬風呂から露天風呂まであるのだ。洗い場で下準備を終えれば、時間の許す限り、心と身体を温める。

 せっかく船岡温泉に来たからには、全ての風呂に浸かりたい。夢の国で全ての乗り物に乗ることは叶わないかも知れぬが、船岡温泉ではそれが可能なのだ。良い湯加減の浅風呂に浸かりまったりとする。電気風呂に入ってみると、ドッキリ道具のビリビリペンのような刺激がお湯を伝い、全身で痺れとくすぐったさを感じる。スプラッシュマウンテンのクライマックスのように落ちてくるお湯を肩に受ければ、凝っているのかいないのかよくわからない肩がなんとなく気持ち良い。

 人間はなぜサウナに入るのか。夏は猛暑日だの真夏日だのといって、暑さを忌み嫌い、冬には氷点下だの異常現象だのと言って寒さを拒む。それでいて、銭湯にいる人々は、暑いのをわかっていながらひたすら暑さが満ち満ちている空間に入ってゆき、汗を流しながらひたすら耐える。しばらく耐えて、限界が来たのか、その暑い空間を出たかと思えば、今度は冷たい水の中に身を投じる。極端に暑い感覚と、極端に寒い感覚を交互に耐えることによって、その中間点を模索し、自分の身体がその中間点に達することで快感を覚えるのだろうか。苦行のような時間をひたすら耐えずとも、快いと感じる瞬間はそこら中に転がっているのにもかかわらず、人間とはつくづくマゾヒスティックな生き物なのだなぁ……ということを考えながら、サウナと水風呂の中でしみじみとしてしまう。

 露天風呂が満員だって、薬風呂にでも入っていればあっという間に人がいなくなっている。スプラッシュマウンテンに乗りながら、スペースマウンテンの順番待ちをするようなものだ。そうして全ての風呂を堪能した僕は、自転車で鞍馬口を東に進み、頃合いの良い頃に向きを変えて北上する。そうして辿り着いたのは御旅飯店。ここでも横開きの扉をガラガラと開くなり、ワンコインの中瓶をもらう。ゴクリ。ゴクリ。ゴクゴクゴクリ。


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