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愉快な映画を観たいでしょ?:『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス、イヴニング・サン別冊』

  鮮やかな色彩を持ち、愉快で小気味よく、テンポの良い軽やかな映像で不思議な世界観を表現した『グランド・ブダペスト・ホテル』の監督ウェス・アンダーソン。彼の最新作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス、イヴニング・サン別冊』は2022年の1月28日(金)に日本で公開された。僕は可能な限りいちばん早い上映回でこの映画を観たいと思ったので、公開日の午前中、京都シネマへと趣き、最前列中央に席を取った。

 20世期のフランスにある架空の街に「フレンチ・ディスパッチ」誌はある。癖の強い記者たちによって人気を博しているこの雑誌は、編集長の心臓麻痺による急死、そして彼の遺言によって廃刊が決定する。編集長の追悼号にして最終号に収録される、芸術や国際問題、美食などの記事について、それぞれの記事を独立させたオムニバス映画のように、しかし「フレンチ・ディスパッチ」誌としてのある種の一貫性を持った構造をしているところがこの映画の興味深い点だ。この映画は壮大なセットの中で展開する、108分のコミカルな映画の形をした「雑誌」なのである。

 ウェス・アンダーソンの映画は何しろテンポが良い。テンポの良い映画はワクワクする。断片的なひとつひとつの映像の尺は比較的短く、ウェス・アンダーソン的な世界がスクリーンに映っては消えてゆく。鮮やかで華やかな色使いや、対象を真正面からまっすぐと映し、縦方向や横方向へ直線的にカメラを移動させる。この直線的で直角的な、幾何学的な視点の移動、そして鮮やかな色の映像の間にしばしば挟まれるモノクロであったりアニメーションであったりする映像は、アンダーソンの不思議な世界観を強調し、非現実的なものへとする。
 いくつも並べられた箱のような空間の中にいる人々を、等速直線運動的な横移動カメラは動く。今しがた見ていたものはすぐさま画面外へと消えてゆく。そんな理由で、視覚的な情報量が多すぎる。映画としての視覚的なイメージを拾いながら、字幕も読まねばならない。目をグルグルと動かし、働かせ、酷使したとてそのスピードについてゆくことはできない。

 この映画は1度観たくらいじゃ、その映画のおぼろげな外観しか掴むことができない。しかし、そのおぼろげな外観の中の住人、つまり登場するキャラクターの印象は強烈だ。この映画の物語を生み出した張本人である「フレンチ・ディスパッチ」誌の編集長を演じるビル・マーレイが画面に映る時間は短いが、その存在感は確かなもので、好々爺ビル・マーレイは映画に柔軟さを加える。囚人画家のミューズとして肉体を露わにし、様々なポーズを取る、無表情で気の強いレア・セドゥは官能そのものだ。そのレア・セドゥをモデルにしながらも、難解な抽象絵画を描く囚人画家、ベニチオ・デル・トロ。葉巻をふかし、強いカリスマ性を持つが、「筋肉が恥ずかしい」と度々口にし、女の子には弱く、どこか頼りのない学生運動リーダーのティモシー・シャラメ。豪華で贅沢なキャストによる色濃いキャラクターたちは観客を高揚させ、彼らがいることでウェス・アンダーソンの不思議で非現実的な世界観は成り立っている。

 そんなキャラクターが構築する世界を追うことに必死で、それぞれの断片的な物語が面白いかと聞かれ、面白いと自信を持って答えることはできない。しかし、絵本や劇のように愛らしい映画のイメージに観客は魅力を感じ、その映像に喜びと興奮を感じ、ウェス・アンダーソンに心を掴まれるのだ。


 さあ、『フレンチ・ディスパッチ』の2回目ははいつ観に行こうかね。

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