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かもがわカフェ・夜

『かもがわカフェ・昼』はこちら

 踏み締める度に鳴る木の音を感じながら、かもがわカフェの階段を登ってゆく。左右の壁を見ると、映画やら美術展やらの、数年前のポスターが所狭しと貼られていて、こういうのを見ると、その場所が積み上げてきた時間の流れを感じる。ちなみに、階段の麓で、入り口のドアを開けてみれば、アニエス・ヴァルダの『顔たちところどころ』と対峙することができ、毎回アニエス・ヴァルダおばあちゃんのキュートな笑顔を思い出してしまう。

 お昼のかもカフェはどちらかというと、常に人で賑わっており、常連さんがランチやコーヒーを求めてきたり、若い女性たちがお店の素敵な雰囲気を感じに来たり、マダムのような女性がまさしく「ランチ」をしに来たりする。老若男女が絶えずお店にやってくるので、お昼時は常に満員状態だ。一度、マダムがランチが出てくるのを待つ間、カウンターのぼくの隣の席でプレミアム・モルツの瓶を飲んでいるのを見かけたことがある。その姿がカッコ良すぎて、痺れて、「ぼくにもひと口いただけませんか?」と聞きたくなったが、いくら酒狂いのぼくとはいえ、そこらへんの理性はまだ保っているようだ。


 夜のかもカフェは雰囲気が全く違う。広い窓から日光が差し込み続ける日中に比べ、少ない照明で落ち着いた空間を作っているせいももちろんあるが、そもそもお客の顔ぶれが急におじさんたちで埋められる。トイレに飾ってある、おそらくマスター・大輔さんのお子さんが描かれたと見える、かもカフェ新聞にも、「常連はおじさんばかり」とあるように、常連さんはおじさんたちばかりなのである。京都の洗練された文化を作ってきた成熟した大人たち…つまりは京都における一流の文化的なおじさんたちが夜のかもカフェのカウンターに集まる。

 ぼくがエビスの瓶ビール(小)を2本ほど空け、ミックスナッツをチョビチョビつまみ、ハイボールを飲み干し、ウイスキーのロックをちびちびとなめていると、どんどん常連さんたちが集まって、思い思いの話を始める。いつもは寡黙な佇まいで自分の店に立っている彼らも、かもカフェにくると満面の笑みで猥談を繰り広げている。例えば、常連の誰かが女性を連れて来て窓際に座ると、カウンターではみんなが寄ってからコソコソと何かを話している。しかし、猥談と言っても、それは全く下品ではないのが不思議だ。「ランジェリー」なんて言葉も聞こえてくる。上品さやエレガンスさえ感じさせられるのだ。中学2年生のようなその会話を横で聞く僕たち『逆光』若者チームはご満悦の表情で眺めている。


 そんな夜のかもカフェの素敵な雰囲気をお借りして、来る水曜日に『逆光』チームがイベントを開催する。六曜社地下店のマスターとして、そしてフォークソングライターとしてそれぞれの世界の第一線でご活躍されている、オクノ修さんのライブだ。そして、我らが須藤蓮とのトークもある。普段はなかなか見ることのできないフォークシンガーとしての修さんの顔、かもがわカフェの特別な空間、世代を超えた「京都人」たちの対話。こんな場所を作ることに関われ、ぼくは今、幸福に浸っている。

 京都の大人たちによって、僕たちは、京都の深い夜へと導かれる時間となることだろう。修さんが曲の中で「夜がそこまで」と歌われているように、この素晴らしき夜はもうそこまできているのだ。


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