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しかめっ面deレコード収集 第3回「給料日の葛藤」

今は昔……、と言うには少しばかり最近のことのように感じるけれど、これは今年の6月10日の話である。たいてい、ぼくはお給料が入ると、給料前数日間の、我慢を虐げられる生活の中で溜まった鬱憤を晴らさんとばかりに、レコード屋をめぐることを習慣としている。この日もいつものように、某出版社での勤務が終わると、レコード屋が密集している京都の街の方へ自転車を走らせたのであった。


まず手始めに訪れたのは、“Art Rock No.1”。ここは京都市役所の裏のほうのビルの7階にあるレコード屋である。どうやら聞くところによると、最近移転したという話で、雑居ビルにしては多少なりとも爽やかさを感じるような、でも白い電気に照らされた店内の壁には山下達郎の「For You」には7,000円の値が付けられているという、いわば普通のレコード屋だ。とはいえ、店主さんが几帳面なのだろうか、きっちりとジャンル分けされた店内は本当にレコードを探しやすい。そんな店の一角にある「City Pop」と名付けられたコーナーで、ぼくはユーミン(荒井由実)の「コバルト・アワー」を900円で掘り出すことに成功し、レジに向かった。そして、「1枚10円ですが袋はご入用ですか?」という店主の申し出を断り、「コバルト・アワー」のジャケットを道ゆく人に見せびらかしながら歩いた。

ユーミンの「コバルト・アワー」



しかし、気がついた。ぼくは今日、レコードを入れて持ち歩くことのできるサイズの袋を持ち合わせていないということに。そして、ぼくの今日の本来の目的地は“タワーレコード”であり、いくら新譜のレコードばかりを取り扱っている“タワレコ”とはいえども、ユーミンのレコードを裸で抱えて店内に堂々と入ってゆくことは好ましくないということに。それでとりあえず“トラドラレコード”に入り、「Japanese」の棚から、1000円以下の頃合いのよいレコードを見つけ出し、袋をもらってから、目的地のタワーレコードへと向かおうとぼくは目論んだ。


その結果、ぼくはトラドラレコードで加藤和彦の「ガーディニア」という、かねてから探していた1枚に運命的に出会うことに成功し、中古のレコードに4,800円という決して安くはない金額を支払い、無事に袋をもらって店をでた。経済的な観点から申せば、予定をしていなかった4,800円という出費は痛々しく、必然的にぼくの表情はしかめっ面になってしまう。けれど、加藤和彦の「ガーディニア」は、ぼくの人生の中で必ず手にするであろうレコードであることに決まっているのだから、40歳になってから手に入れるよりは、今のうちに手に入れておくほうが、それだけたくさん聴けるわけだし、DJでも使えるわけだし、儲けもんだとひとりごちることにした。


さて、本来の目的地に到着するまでに使った金額は5,700円。それでもぼくは本来の目的を諦めるわけにはいかない。『徒然草』の「仁和寺にある法師」は自分が思い違いをしたせいで本来の目的を果たせなかったことで有名だけれど、ぼくは「仁和寺にある法師」とは違う。そんな思いを胸に、四条河原町近くにあるOPAという商業施設の9Fまでエレベーターに乗り、最近できたプリクラの店でタムロする女子高生たちに「君たちはレコードなるものを知ってるのか?知らんだろうなぁ」と言いたいところをグッと堪え、タワーレコードへと勇足で入っていった。目的のものは30秒で見つかった。Kan Sanoの「Tokyo State Of Mind」という1枚。これは1年ほど前にリリースされたアルバムで、特に2曲目の「image」という曲のソウルフルでダンサブルなメロディが素晴らしく、DJプレイでかけてみたいと思った。その時から、レコードとしてリリースされたら必ずや手に入れようと思っていた1枚だ。そんな1枚をゲットし、最近できたプリクラの店でタムロする女子高生たちに「君たちはKan Sanoを知ってるのか?知らんだろうなぁ」と言いたいところをグッと堪え、エレベーターに乗って地上へと降りた。


四条通り沿いには“JUEGIA”というレコードショップがあり、ここがまた素晴らしい。1階がスタバなどとあまり外見が違わぬカフェになっており、その地下にレコード屋があるものだから、ぼくはこの店の存在を知るまでに少し時間を要してしまったのだけれど、中古から新譜まできっちりと揃っている。特に今は、毎月再発盤としてのリリースが続いている山下達郎のレコードたちが賑やかに店内を盛り上げているから、ファンのぼくは店に入ると当然気分が良い。だが、今日の目的は山下達郎ではなく、大貫妙子である。彼女の名盤「Sun Shower」は中古屋で買うと、だいたい4,000~5,000円、高い場合は7,000円ほどもするのだけれど、ここだと新譜が約3,400円で手に入れることができるという情報をかつての下見で得ていたぼくは、一目散に大貫妙子の「Sun Shower」を手にとる。しかしその時、なぜかは知らんが、「松原みき」という名前がぼくの目にとまる。松原みきといえば、シティ・ポップ再ブームのきっかけを作ったと言われる「真夜中のドア」で有名だ。そんな名曲の12インチ・シングル盤がぼくの目の前にある。今日はたくさんレコードを買ったのに、またさらに2,500円ほどもするレコードを買うことは許されるのだろうか。いくら今日は給料日とはいえ、次の給料日まで穏やかに過ごすことはできるのか。しかし、「真夜中のドア」のシングル盤だ。いつ外国人が買い占めて、例えば竹内まりやの「プラスティック・ラブ」のシングル盤のように、片面1曲しか入っていない12インチのレコードに7,000~8,000円という値段が付くようになるかはわからない。ということで、ぼくは大貫妙子と松原みきの2枚を抱えてレジに向かい、「もう袋はあるので要りません」と言ってから店を出た。


大貫妙子の「Sun Shower」


ところで、よくお金を使った後は、やってしまったという悔いの気持ちと、それでも欲しいものを手にできた嬉しさがせめぎ合い、その攻防戦で生じた熱によって体温が上がり、だから高揚してしまう。これだから、ぼくはレコード屋へ通うのをやめられないのだ。


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