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「教育」とは。【2024年6月12日】

皆さん、こんばんは!

昨日、リリースした教育座談会シリーズも、ありがたいことにたくさんの人からお申し込みをいただいたり、SNSで拡散していただいたりしました。

本当にありがとうございます!

まだ、確認できてないよ!という人は、ぜひこの機会にご確認いただき、もし都合が合う日程があればご参加いただけると、めちゃくちゃ喜びます!!飛び跳ねます!!

こちらのnoteを読むだけでも、相当価値があると思います。損はさせません!ぜひ!


今日はね、とっても前置きが長くなりそうです。

ぜひぜひ、まだ画面を閉じずに楽しんでいってくださいね!!

そして、昨日はこんなnoteを書きました!

本当に胸が痛くなる、悲しいニュースで、嘆きたいこともたくさんありますが、そうは言っても、やっぱり改善するために考えて動いていきたいわけですよ。

そして、僕なりに考えた、もうめちゃくちゃざっくり案ですが、学校現場にも医療現場の看護師のように、「早番制と遅番制」を導入しよう!という提案をさせてもらいました。

そしたらね!

それを見てくれた友達が、連絡をくれて、「こんなのがあるよ!」って教えてくれたので、ここでも紹介したいと思います。


マレーシア🇲🇾の話。

マレーシアでは、教師という職業は子育てをしながら続けやすい「女性に適した仕事」というイメージが強いらしいんですね。

マレーシアは、学校が二部制になっていて「午前の部」と「午後の部」に分かれ、教師の働く時間が短いことが、子育てとの両立を容易にしてきた一因であると言える、と。

マレーシアの二部制は、
「午前の部」が 7時25分-13時15分
「午後の部」が 12時50分-18時10分

教員がワークライフバランスを実現する上でメリットとして考えられる、らしいんだよね。

ただ、2010年代に入って教員を取り巻く状況が一変し、教師の多忙化がクローズアップされてきたみたい。

ある調査によると、教員は週平均57時間、最長で週80時間程度働いているということがわかったんだと。

なんでなんだろうか。これは、まだ調べられてないのでわからないけど、今もマレーシアは二部制を採用してるのかな??

これらは、二宮皓「世界の学校」という本に書いてあったと友達に教えてもらったので、早速書いました!笑

教員の二部制。
結構いいと思うんだけどなぁ〜!


はい、というわけで前置きはここまで!

本題に入っていきたいと思います!

今まで、「教育」について、このnoteでも何度か書いてきました!

ここで、書いてることももちろん自分の考えだけれども、改めて「教育」とはなんなのか。

ある2つの話を用いて、考えていきたいと思います。

まず、1つ目。

「教育」を英語にすると「education」になります。

いろんな諸説がありますが、「education」はラテン語の「educere」に語源があると言われています。

「educere」の意味は「引き出す」

もっと細かく見ていくと、

「e」は「外に」という接頭語で、「ducere」は「導く」という意味。

「外に導く」だから「引き出す」

つまり、「教育」という営みは、「引き出す」ところに本質があると言えますね。

何かを身につけさせるとか、何かを教えるとかじゃなくて、その子の中にあるものを「引き出す」こと、その子の能力を「引き出す」こと。

更に辿れば 「educatio 」というラテン語に行き着くのですが、この語は、

「大きくするeducare」
「引き出すeducere」


この二つの動詞を派生させているようです。

引き出して、大きくする。

教育という営みは、

『この子をどんな子にしたいか』というよりも『この子はどんな子か』

に目を向けることなんじゃないのかなと思います。

「この子はどんな子か」

ここから始めるのが「教育」なんじゃないのかな、と思います。

こんな力を育みたい
こんなスキルを身につけさせたい

今の教育は、そんな枝葉の部分が先行しているような気がします。

大事な根幹は、きっとここにある。

「この子はどんな子か」

そして、2つ目。

これは、教育に携わる人なら全員知っておいた方がいい人物。名前すら知らないと恥ずかしいくらいのレベルだと思います。

(と、言っても僕もまだまだ深いところまではわからないのですが、、、)

「大村はま」

ぜひ、初めて知ったよという方は調べてみてください。教育界、特に国語科において偉大すぎる人物です。

ここで、大村はま先生の言葉を用いたいと思います。

「教えるということは、自分の言葉を伝えることではなく、子どもの言葉を引き出すことである」

「教育とは、子どもに何かを教えることではなく、子どもの中に眠っているものを目覚めさせることである」

大村はま先生の言葉

やっぱり、「引き出す」というところに、教育の本質がある気がしてなりません。

何かを身につけさせようとしていませんか?
いろんな鎧を着させて、武装させようとしていませんか?

「引き出す」ための、手札をどれほど持っているでしょうか?

「引き出す」ための、引き出しはいくつありますか?

どれだけ立派な経歴があっても、どれだけ素晴らしい言葉を話せても、「引き出す」ことができなかったら、何の意味もない。

これは、僕自身にも当然言えること。

まだまだ、この辺りの哲学は足りていないです。

そもそも「引き出す」ってなんなんでしょうか。

どうやったら、子どもの中にあるものを「引き出せる」のか。「目覚めさせられる」のか。

ぜひ、自分でも考えてみてください!

僕もまだまだ、頑張っていきたいと思います!

今日も読んでいただきありがとうございました!

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