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僕が思う「教育」【2024年5月22日】

みなさん、こんばんは!! 

早くも5月が終わりそうですね。
いやぁ〜、早すぎる!

今日は「教育」について、僕が思ってることをつらつらと述べてみたいなと思います。

「教育」ってなんだと思う?

皆さんは、こう聞かれたらなんて答えますか?

いや、そんな一言でまとめられるほど「教育」はシンプルな営みではなく、もっといろんな要素が複合的に絡み合っている営みであることは理解しつつ、

僕の暫定的な回答は、

「出会えてよかった!」をいかに生み出すか。

だと考えています。

「出会い」というのは、もちろん人だけに限らないと思っています。

言葉、景色、感情、考え、価値観、空間、音楽、その他もろもろ、、

そういったものと「出会えてよかった!」と思える機会をデザインする営みのことを、僕は「教育」と呼ぶのではないかと考えています。

もっと、簡潔にいうと「場創り」

そして、その場をどうデザインするかが最も大事。

僕らは、結局、どんな場を創り、そこでどんな出会いを生むか、しか届けることはできないだと思います。(言い過ぎかな??)

そのための手段として、授業があって、行事ごとがあって、イベントがあって、ワークショップがあって、セミナーがあって、遊びがある。

いろんな場を体感して、いろんな考えや価値観に触れ、いろんなワークショップを受け、いろんなセミナーやイベントに参加し、たくさん遊ぶ。

そうした一つ一つの経験が、場をデザインするために活きてくると思っています。

だから、「教育」に携わりたいと思う人ほど、いろんな経験をした方がいい。

いろんな「出会い」を体感した方がいい。

人は、自分が受けてみたものや身につけてきたもの、考えてきたもの、学んできたものの範囲内でしか誰かに届けることはできない。

だから、人がやらなそうなもの・ことほど経験した方がいい。

変なやつだって言われても、いいじゃないか。

世の中を変えるやつは、変なやつだ。

だから「変える」は「変」という漢字を使うんだ。(知らんけど、、)

身体全体を使って、この地球全体を教室にして、日々を全力で生きてる人こそ、本当の教育者なんじゃないか。

そこに分野とかは関係ない。

せまーい教室の中で、教科書をペラペラめくりながら、知識だけ蓄えて、あたかも正解を知ってるかのように振る舞う人が、果たして本当の教育者なのか?

「出会い」は価値だ。

日々、新たな「出会い」を求めて、全力で生きていきたい!

今日も読んでいただきありがとうございました!

ちょっと過激な文章だったかな?

さて、明日のテーマは「先生になりたい危険性」です!

どうぞお楽しみに!!

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