見出し画像

烏が師匠から親友へ

最近、わたしのポジションが宇宙鳥になったので

烏さんは師匠ではなく、親友になりました。

空の想いを飛ぶのが
少し上手くなってきたからでしょうか。

わからないんだけど
肉体の想いにしがみつかなければ
刻一刻と身体が光ってゆくのを感じています。

昔は、

肉体が必死に生き抜いてきた
経験や痛みを

手放してなるものか、

それこそがアイデンティティー
共感力、人間の奥行き、自分の物語

とも思ったものですが(恥)。

にしては重たいな、と思って
ぜーんぶ手放しちゃったら案外

あ、そんな過去にしがみつかなくても
私って消えないわ

ってわかった。

痛みに共感できなくなることへの葛藤はしばらく続くけど
それもまたプロセスとして感じながら

空っぽな鳥人間でもなんとかなるし
なんかは感じてるし、愉しいことを
この日記は私に教えてくれています。

記憶にとらわれてない時ほど
新鮮な気持ちでいられる気がします。

そして自分だけでは
どうにもならなかったことがあったのに

集合意識のおかげで癒されてることも
日々実感しています。

目の前にいるあの、許せなかった人は
許されなった私、でもあったのだと体感し、、、

具体的なことは
思考が探してきた目くらませみたいなもので

大事だったのは、もっと存在的なもの。

目くらませのそばに寄り添うように常にいてくれた
自分自神の存在。

私は私でここにいていい、
あなたもあなたでそこにいていい、という許可。


それだけが記憶の積み重ねで
ずっとわからずに

私か、あなたか、で戦っていたのだと
わかってきました。

「みんなが各々の身体のスペース分だけ
自由に感じること、表現すること」

を許可できなかったことへの怒りは

他でもない、自分自身へと向き
身体を必要以上に重たくしていた。

まだ間に合うなら、どんどん空っぽになって
烏さんと一緒に、空で遊びたい。

身体に溜まっている記憶の浄化にコミットする。

それは今きっと、多くの人が取り組んでいること。

ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?