”あたらしい公共”考現学
コロナ禍に近所や都内をよく歩いていて、
気になるものを写真に撮っていたりしました。
ただし、きれいに写真を撮る習慣が全くないので、インスタグラムが大変苦手。
…なもので、携帯の中の写真も
・フレーミングがちょっとおかしい斜めっている写真
・ズレてる写真
・反射がヒドイ写真、ばっかり。
このnoteに載せてる写真もちょっとな、と思いながらシブシブ使ってます。
そんな中から今日グーグル「思い出」機能が通知してくれた写真を通して
ここんとこ少しばかり気になっている「公共」ってことを考えてみたいな!っておもいます。
通りに面した家のドアに鏡
それが👇この写真です。
これ気になりませんか?
私は、めっちゃんこ気になります。
桜の写真は1枚も撮らないのに
これは写真に収める自分の興味のありか。
この鏡は、家主のためのものなのか?
ドアの内側の鏡なら出かける前の身だしなみチェックとして納得します。
しかし外側って?
家に帰って来たときに見る鏡?
(それって、お疲れ顔では??)
…サテ?ハテナ🤔?
なんか特別な理由があるのかな?
家主さんの”ソノココロ”が気になります。
プライベートと公共
鍵のかかる内側がプライベートとするなら
ドアの外は(敷地内としても)公共とも考えられるわけで。
…とするとこの鏡は「公共」のモノ?!
この家🏠の前を通るとき…
なんとなく髪型をチェックしたりする人がいるんだろうか?
宅急便の人がこの鏡でハッ!と我に返るのだろうか?
なんらかの静かな”波及”がありそうで気になります。
効果測定をしてみたい…
家の外に時計
お次はこれ👇
家の外に向けてつけられた時計です。
AIならこの二つ📸を同じフォルダにはしないでしょうね。
AIが立ち入れない私の微妙な好みとふりわけ。
この時計も何なんだろ?
通りに面して設置されていたので
家主さんは振り返らないと見られない。
…ってことは、やはり外向き(公共)時計なの?
駅の時計と同じ立ち位置?
通勤・通学途中の人、毎朝これで時間チェックしているのかな~。
(とすると、時間合わせとか責任重大)
私はここに勝手に”メッセージ性”を感じるんですよ…
てか少なくともこの二つに共通の何かを感じるんですよね。
それが「公共」なんですよね~。
外に向けて家を開くとか”縁側”とかでもなくて
”極私的公共”っていうのかしら?
見落とされた狭間・スキマっていうのかしら?
"neoコーキョー”の亜流派宣言
というのも先日おもしろいZINEを見つけて思いついたんですけどね。
みかけが”おしゃれっぽい”とか余白が多い写真のZINEとかでもなくて
もう見た目がジャンルレスっていうか、見たことない系。
一瞥して「ああ、アレね〜」みたいに見限れないオーラ…
それが『neoコーキョー』です。
特集が「アプリの地理学」、こりゃ買っちゃうね。
以下『neoコーキョー』の「コーキョー」私の解釈です。
運営者の辻本達也さんの紹介に「考近学」って書いてあったので
「考現学」に近いのかな、と。
「考近学」とは、辻本さんの造語とおもいます。
「考現学」とは?
このように考古学からはじまって、
過去→現代と横軸が広がったのが考現学。
更に「越境を誘発する」現場へと縦軸が広がると
「考近学」になるのかもしれません。
…と「neoコーキョー」という言葉からヒントをもらって
”neoコーキョー亜流派”を勝手に自称。
最近の興味を「公共・コーキョー」という括りで
いったん頭におさめてみようとおもいます。
創造と破壊のチャイ屋
カップを”割ってチャイ”
なんでもね…お店を初めてから10年の京都のチャイ専門店『ワッテチャイ』
チャイを供するお茶碗・カップ👇は、
お店の方が成形して焼いて全部自作してるんだそうです。
ちゃんとカップを投げ入れて割れるように大きな缶カラが用意してありました。
インドでも小さいカップで1日何杯も飲んで割る習慣あるらしいです。
割られた器は、また再生…創造⇔破壊が永遠のループ。
チャイは目の前の鍋で作ったそばから注いでくれます。
”チャイ酔い”よろしく、その日饒舌止まらずで…。
場所や空間全体を作品ととらえて相手に体験させるアートのことを
「インスタレーション」って言うけどそういう感じ?
フランス語だと"アート"って芸術以外に「技・方法」の意味もあるもんね。
いやいや~Yeah~!
ひっきりなしにダラダラ飲むお茶習慣・場って、
外とウチとの越境…「コーキョー」じゃありません??
インドのチャイもそうだけど、
アジアの人って外で延々とお茶してるイメージあります。
生活とお茶が”いっしょくた”
カフェ=サードプレイスなんて一時言われてましたけど、
”第3の”でも無い境界があいまいなのがお茶だよなぁ。
雑談で聞いたおもしろかった話。
(チャイに)酔っぱらっておりましたので、
その場に居ついてお店の方にグイグイ話しかけました。
その中で面白かったのが
関西にある「インド人がタンドールで焼く鰻」。
繁盛しているそうです。
商売を続けるための創意工夫の知恵がすごいらしい。
なんか見たことないなぁ〜っていう視点は、
いつでも自分のZINEのヒントになる。
「感じない・考える派」なので、
仕組みが既にオモシロイもののほうが好み。
歩ける範囲で実物を調べたり体験したりを原点に。このnoteもどこかで歩いて私のZINEを見つけた、手にした人(現物を介した)につながるといいなぁ、っおもいます。
それが、私の“neoコーキョー亜流派主義?”かなぁ。
あ!主義なんて強固で言葉として古いわね。
おほほ。
ま、お茶でももう一杯☕