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花を買うということ

私の実家にはお花がたくさん咲いている。

玄関の近くの植木鉢や道沿いにカラフルな花達。
父のお手製ブランコの隣には紫陽花。
これは祖母の趣味だ。
母は、堀井のそばの(多分父に貰ったであろう)赤バラを
私が物心ついた時から、何年も育てている。
父は、私が生まれると同時に庭に植えた花桃の木を、
満開になると毎年写メで送ってくれる。 

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お花畑、という響きが身近だった。
福岡へ来て一人暮らしを始めてからというもの
花との関わりが極端に少なくなった。
大学2年生の頃からだろうか、お花を頻繁に買うようになった。
始めは、お花にお金を払うという概念がなかった。
なかったといえば嘘になるかも知れないけれど、
薔薇や、カーネーションや、かすみ草を買うのはなんとなく理解ができる。
他人へのプレゼントの為に買うのも理解ができる。
だけど、家で摘んで花束にできるようなお花達を
自分のためにお金を払って買うことに抵抗があった。

何かを買うとは、
その人の手間にお金を払っているのではないか。

種を植えて育てたり、花屋の店主が買い付けたり、
枯れないようメンテナンスしたり。
丁寧に拵えるこの手間を。 

部屋に花があると、日常に色が差され明るくなる。
お花を買う時、家族が丁寧に手入れをしていた姿が思い浮かぶ。
お花に愛情が持てる人はきっと、人にも同じように愛情が持てるはずだ。
うちの家族は愛情表現が苦手な人たちばかりだけど、
花を愛でる姿勢が、私や弟へ愛情を注ぐのと同じに見えた。

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私が花を買うのは決まって、自分の心に余裕がある時だ。
そう気付いた。
きっと、愛情も同じだと思う。
自分の心に余裕が生まれた時、ずっと受けていた愛情に気付き、
返答できるのだ。

私にとって花を買うという行為は、
愛情を受け取ること
なのかもしれない。
花瓶に挿して飾るという行為は、
その愛情を大切に、いつまでも咲いていて欲しいと願いながら
その愛を重んじ、自らを労って暮らすことの現れなのかもしれない。
ドライフラワーにしてまで大切にするのは、
水分がなくなってしまっても、形として残るから。
人間の愛情も目には見えないけれど、何かが残っているはず。
お花を買うことはこれから先も、
私に自分の価値を思い出させてくれて、
守ってくれるときがきっとあると思う。
 

この自粛期間のお供に何冊か本を買った。
その中にお花の本がある。
これまで花言葉が気になる度にインターネットで検索していたけれど、
手元に欲しくなった。
四季のうちいつ咲くのかや、道端に咲いてる花も載っている。
図鑑のような、でも花言葉も載っている本 。


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祖母の育てるピンクの秋桜。
花言葉は、『純潔』『愛や人生がもたらす喜び』らしい。

こういう、隠された言葉にとても魅力を感じる。
知っている人、調べた人にしか分からないメッセージ。 
祖母は秋桜の花言葉を知っているのだろうか?
知識で祖母に勝ったことがないから、知らなかったら自慢気に教えてあげよっと。

敢えて就活に絡めて考えると、
仕事は作業の連続だ。
それなら楽しんでできる作業がいい。
手間を愛おしく思えるような。

きっと分かってくれる人はいる。
そう信じて丁寧に拵える。
そんな仕事を私もしたいなあ。
今日もまた、スーパーの帰りにお花屋さんに寄ってしまう。
おうちにいる時間が長い今、お花を買ってみよう?

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