【短編/全3回】箕形原物語(3) 〔1000文字〕
約束
あれからしばらくして、甲斐武田の侵攻は予想を遥かに超えた現実となった。
風雲急が告げられた夜のこと、鳥居が戦支度をしていると成瀬がやってきて、「よぉ、物見役らしいな。儂も参るぞ。」と、にやけて言った。
「お主は到来した織田方の目付で新井本坂と言われておろうが。」鳥居は背中で言って舌打ちした。
「さぁな。聴いとらんわ。」成瀬はとぼけて、「あの約束は覚えておろうな?良いな、この戦で勝負じゃぞ。」と鳥居に迫る。
「おい、あのな…………。」ようやく振り返り、「此度の戦のこと分かっておろう。我らはもはや最期かも知れんのだぞ。」鳥居の表情が曇る。
「さればよ。戦を前に腐るとはお主らしくもない……。」成瀬も突っ掛けた気勢を削がれた。
「…….……。」
結局ふたりはいつも通りの掛け合いにならなかった。
しばらくの、沈黙。
鳥居は成瀬に、くいと盃を手渡し、酒を注いだ。
◇
翌日、鳥居率いる前哨隊は武田方と衝突し、総崩れとなった。
生き残った二騎の武者は行き会う。手にした首級は同じく三つ。互いに、にやりとする。
「お主は戻って殿に報せよ!今に箕形原は屍の山となる、絶対に来てはならん、死んではならん、とな!」成瀬は鳥居に言い放つと馬を返す。
「さぁ儂はもうひと働きじゃ!この大勝負、もらったわ!」単騎は赤い大軍に飲み込まれていき、やがて鳥居から見えなくなった。
◇
死に者狂い
「……先を越されたか……。おぉ、先立たれてしもうたか……。」成瀬の功名(討死)の報せを聴いた鳥居は従者に、
「のう、お主、陣に引き返して酒井殿や朋輩に、勝負は成瀬殿の勝ちじゃったと伝えてくれ。」と告げ、馬の脇を蹴った。
(いや……、まだ勝負はこれからか。)
手には三尺の野太刀。単騎駆け、向かう地は再びの箕形原。
◇
「死に者狂い」
鳥居の勢い凄まじく、たった一人で武田の旗本 土屋昌続隊を一時押し返すも、奮戦虚しく最期は四方から槍尽めにあった。
鳥居は敵信玄をして「比類なき剛の者」と言わしめ、味方の誰もがその死を惜しんだ。
この箕形原の戦で徳川方は、成瀬藤蔵正義、鳥居四郎左衛門忠広をはじめ、河澄源五郎、長谷川紀伊守、加藤二郎九郎ら多くの精鋭たちを失うこととなる。
◇
しかしこれは、戦いの端緒に過ぎず、
この者たちは確かに勇者であるが、名は残っていない。
了