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サッカー日本代表から学ぶ、組織論とビジネス論。

先日、FIFAワールドカップ・カタール2022がアルゼンチンの優勝で幕を閉じました。確固たる組織力に、圧倒的な個の力を持ったチームが結果を残した大会になったと思ってます。

日本代表のドイツ・スペインのアップセットは素晴らしく、とても感動しました。同じ国民として、ここまで「日本人が誇らしい」と思ったのは初めてで、日本人としてのアイデンティティを実感し、世界に対して「もっと日本の価値を広めていきたい」とも思いました。
ただ、目標のベスト8以上にあと一歩届かなかったことは残念だし、悔しい。4年後は望んだ結果を出すべく、サッカーファンとしてこれからも応援したいと思ってます。

※過去記事↓

自身としても、今回のW杯は、例年以上にのめり込んで観てました。学生時代から比較すると、サッカー自体も大きく進化しており、とても興味深く、改めて奥が深いスポーツだなと思ってます。
特に今回は、Abemaでの全試合放映はもちろん、DAZNでの解説番組などに加えて、有名サッカージャーナリスト達のYouTubeでのコンテンツなど、サッカーを見るプロの見方のお陰で、より深く楽しめるコンテンツも多かったことも自分のサッカー再熱を冗長させたと思います。

そういうコンテンツで学んだ内容を踏まえて、自社の経営や組織作りにも通ずることが非常に多いと思いました。そんな気づきを今回まとめてみました。


可変する状況への適用力・対応力。

今回の日本の大国撃破の要因は「相手や状況に合わせて可変的に戦えたこと」だと思っている。相手のプレースタイルに応じてフォーメーションを可変し、5人の交代枠を有効活用して試合の前半・後半で異なるチームへと変容を遂げたこと。試合の中で相手チームをよく観察して、勝つための最善策を取ったこと。大枠の戦略をもとに細かな戦術は可変的に、試合の中で軌道修正しながら試合勝者となれたこと。勝つべくして勝ったと思っている。

ここから学ぶに、事業・ビジネスを推進していくためにも、市況や状況に応じて戦術を可変することは非常に重要。自分の中での正解(過去の成功体験や経験)に固執し過ぎていると柔軟に変化に対応できない。環境への適用力が非常に大切で、外部からの意見ややり方を参考程度に留めつつ、自分達として "どうすべきか" を明確な意志を持って都度行動していくことが重要。

個々人の自律性と、状況に応じて自己判断する力。

W杯開催前は「森保監督はチームとしての決まり事が少な過ぎる」と言われていた。これを聞いて自分も大会前は、昨今の組織論のトレンドとして、個々人の自律性や主体性より、トップの統制が必要となっているのかと思っていた。
しかし、今回の日本代表及び森保監督は違った。確かに、一定チームの決まり事や規律を統制していく上での、自律性や主体性の発揮は必要(バランスが大事)とは思うが、森保監督は徹底的に選手の意見を聞き入れて、組織内の自主性を重んじた。ピッチ内で自己判断できるチームを作った。ヨーロッパのトップリーグで活躍する選手が多い中で、自身の経験値と選手の特性を加味して、このスタイルに振り切ったのだろう。
結果論ではあるが、そういう "日本人らしさ"  を活かして、世界で勝つこと。そして未来に向けて中長期の積み重ねを意識した上でのスタイルだったこと。素晴らしかったと思う。

事業・ビジネスで大きく勝つためにもメンバー個々人の自律性と主体性は非常に大切なことだと思う。会社の経営者も、単なる役割にしか過ぎないし、リーダシップも誰もが持ち得るマインドセットである。自身やメンバーの特性を加味した上で最適なマネジメントのあり方を体現すれば良いが、主体性がない組織だと、可変的な状況下で自分の明確な意志を持った自己判断は難しい。改めてそんなことをサッカー日本代表から学んだ。

「自分たちのスタイル」の追求とは。

今回W杯は「堅守速攻」でアップセットを実現した。しかし、日本サッカーの発展のため、近い将来でベスト8以上に行く(2050年までの優勝を目指す)ため、勝利の必然性と確率をさらに高めることが必要と言われる中、今の守備に重きを置くサッカースタイルを継続すべきだろうか。もしくは、選手が理想とする、自分達でボールを保持して主導権を握るサッカーを目指すべきか。この議論は次回W杯までの焦点となるだろう。

経営においても、自身のスタイル(美学・哲学)をどこまで追求するべきかは難しい。自分も日々悩んでいる。結果のために理想押し潰して勝ちを目指すことが果たして正解なのか。そこまでして達成したいことなのか。もちろん結果論でもあるし、0か100ではなくグラデーションでもある。一定の矛盾を孕みながら、どちらも追求していくことこそが経営なんだと思う。

会社をどうしたいか。何を目指したいか。自分自身がどうありたいか。
試合を通じた感動と同時に、そういう核となる根本の考え方についても改めて見つめ直すきっかけとなりました。