泣きたいときは泣いたらいい、その涙で自分の花を育てたらいい : 柔ちゃん物語
泣きたいときは泣く
笑いたいときは笑う
落ち込みたいときは思いっきり落ち込んで
飛び跳ねたいときは空いっぱい飛び跳ねる
ねぇ、いつから、そういうことは大人になったら我慢しなきゃいけないんだよ、っていうようになったんだろう
私はね、そういう日々の
感情のふるえ
心の叫び
胸の内にある何か得体の知れないもの
それこそが、生きてここにいる、ってことの感動を教えてくれてるのに、って思うんだよ。
泣き虫だったら泣き虫なりに生きてやろう、くらいに毎日土踏み締めて、前に進んでたって、別におかしいことじゃない。
私なんかはほんとによく泣くからね。働き始めのころ、これをやったらこの会社はきっともっと良くなっていくだろうってことを勝手にやって、上司に無責任な行動だと叱られて、わんさか泣いて。
そうやって自分の感情をコントロールできないのは大人として、よくない、君はもう子どもじゃないんだからって、さらに叱られて、泣いた。
そのときはね、あぁ、泣くのはよくないんだ、それは子どもなんだって素直に思って、その日から、自分が泣きそうになったら、奥歯を噛んで堪えるようにしたけど、長くは続かなかったね。
毎日、毎日、涙の海に私の心は沈んでってたんだな。
あるとき、まぶたが決壊して、溜まりかねた涙がずっと止まらなかった。
大人になったからって、泣くのをやめるのなんて、おかしい。
泣く=子ども
ってロジックが私にはどうもしっくりこない
それでね、気づいたんだよ。
この涙はメッセージなんだって。
赤ん坊は泣くことでお母さんか誰かに自分の意志を伝えようとする
それは悲しいからとかじゃない
言葉が喋れなかったらどうやって自分の伝えたいことを伝えるか、赤ちゃんはわかってるんだよね
『泣く』
それは一種の表現であって、喜怒哀楽、意識伝達の “ことば”
だったら、その赤ん坊が大きくなって自分になってるわけだから、根本の意志伝達方法は変わってないんじゃないかって。
その対象が親から自分へと変わっただけじゃないかって。
だったら、そのメッセージを無視するわけにはいかないでしょ。
まぁ、私の場合、涙がよく出るから、その涙をメッセージの糸口にしたわけだけど…それは人によっては違うかも知れない、他の人はどんなかわからないから。
だからまず自分が、その泣くこと(感情のふるえ)によって何を伝えようとしているのかを分かろうとしてやらなきゃならない。
そうやって行動のきっかけが生まれていくんだと思う。
そっからじゃないと、どさくさに紛れてそのメッセージを見失いかねないし、下手したら変な方向に向かっちゃうかも知れないからね。
ただ、気をつけなきゃいけないのは、なんでも泣けばいいってわけじゃないってことよね。たくさん人がいる前でワーーって泣き出されたら誰だって困るし。
つまりね、私が言いたいのは、大人になるってのは、感情を支配して殺すんじゃなくて、感情を生かしてやる方向に向けてやることなんじゃないかなって。
泣いてもいいから、なんで涙が出るのかを自分なりに考えて、解決を見出す
それをいつまでも、誰かに頼って依存してたら、それこそ赤ちゃんなわけだけど。
我慢しなくていい
感情を押さえ込むなんてしないでほしい
それを誰かにぶちまける前にまず一度
自分でその感情を味わってみる
だって、たった一度きりだよ⁉︎
その感情はもう一生感じることができないんだよ⁈
感情を味わうなんて、感情によっては苦しいかもしれない、恋したり、大切な人と離れたり、何かを失ったり、失敗したり…息もできないほどしんどいことかもしれない
私は一回、それの感情全部を苦しさ紛れに失くしてしまおうとして、本当にかけらくらいになって、この世界が灰色になっちゃったことがある
そしたら、毎日がつまらなくて
まだかけらがあったから、復活できたけど
だからね
ときには誰のことも気にせず
自分の感情に思いっきり飛び込んでほしい
ほんの数秒でもいいから
そして抱きしめてほしい
好きなら好きって言ったらいい
別に誰も知る由もないし
そうしたら、その感情は自分を支えてくれるおっきなエネルギーになるから
そのエネルギーであなたの心の花を育ててください
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?