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大好きなことしてるときって最強になれる、好きなことに素直に飛び込んでいこう : 柔ちゃん物語

 このnoteは、柔道一直線だった私が、社会に出て戸惑い、衝撃をうけながら、柔道から学んだ生き方を通じて働くを見つめ直す、人生をアップデートしていくものがたりです

 そうなんです。私は柔道に人生かけてましたから、ある意味、揺るぎない芯があったんです。

柔道という最強の後ろ盾が私にはある、なんでもかかってこい!って、強気で生きてました笑

柔道が強かったから、強気だったというわけではないですよ!

後輩にぼこぼこにされることもザラでした。

けど、好きという気持ち、その思いは誰にも負けない、それが私を強気にさせてくれてた根本だと思います。(比べようがないことだからっていったらおしまいなんですけど(汗)

でもね、そこが大事なんだろうなって、今になってよく思うんです。

自分が本気でのめり込んだことだからわかることってあると思います。

そこで学んだことや経験には嘘はないんです。

自分にとっての事実として、確固としたものがある。

何でこんなこと言い出したかというと、好きじゃないことを無理してやり続けることほど、自分を痛めつけることはないってしみじみ思うから。

けれど、多くの場合(私は)、お金稼がなきゃいけない、親に頼りたくない、とりあえず働きたい、社会に出たい。そういう理由で働くときの選択をしてました。

自分の心がそれを望もうが望まないが、当時の私は「現実的に考えて…」と誰かに言われてきたことを中心に決断していた節があります。

けど、そうやって決めたこと、自分の心が望んだことじゃなくて、外部的な理由で決めたことに対して、心は案外もろい。思っているより弱いんです。

自分が望んでいないことに対してエネルギー消耗するなんて、おかしなことと思いますが事実、望まないことを自分で選んでやってる場合って結構あるなと。

そういうとき心は素直だから、嫌なことは嫌って言ってるんですよね。

体調の変化や心の調子でサインを送り続けて。でも意識の方で、それは自分が弱いから、とかこのくらい何とかなる、と言って、心のサインを無理し続けたりすると、最終、心身が強制シャットダウンします。私の場合は、精神的に何ヶ月かダウンしました。

けれど、大好きな柔道をしていたときって、思えば身体的なことに関していえば会社で働くことよりをずっとハードでした。連日早朝トレーニングから始まり朝から晩まで強豪校と投げ合い締め押さえ込まれ、汗血みどろになりながら過ごしたら、飯トレ(とにかくたくさん食べる、もういらないとかない笑)みたいなことを平気でしてた笑

とにかく苦しくて辛かったけど、それでも柔道を嫌いになることはなかったし、なんだかんだ乗り越えてた。幼少から通っていた道場の先生に挨拶に行けば、どんなに辛くても先生が笑顔になるなら頑張れる、とさらに練習に気合が入る。働いてるとき散々考えた何のために生きているのか、なんて一度も考えませんでした(柔道してた時はそんな余裕もなかっただけかもだけど)

本当に自分が好きなことだったから、それが出来たのだと思います。

でもなんでかな。

怪我で好きな柔道から離れたら、柔道以外に何も知らなかった自分を恥ずかしく思ったんです。

そこからです。

強気の自分がどこかいっちゃったのは。

何をしても、最後はなんだか体調崩したり、何かにハマってもたくさん学びはあったけれど、なんだか虚しい。

そうこうしている間に、大学も終わりそうになり、周りには就活に動き始めている人ばかりになり、焦るつもりはないが焦ってる自分がいたり。

好きなことをやることと、社会にでて働くことは別物、って空気感に大学4年生全体がなっていくようで。その空気感に自分も染まっていくことが嫌でした。

確かに、食べていくためには働かなきゃいけないかもしれません。

だけど、心が弱っていくようなことを進んでやる必要もないと思うんです。

はじめに言いましたが、大好きなことをしてたら、身体がしんどくても、友達が少なくなっても、他人とうまくいかなくっても、自分にはこれがある、となんとか乗り越えられるんです。

好きなことの周辺で時間はかかるかもしれませんが、仲間もでき、居場所もでき、恩師と巡り合うかもしれません。

好きなことから目を背けるということは、その可能性を捨ててしまうことと言っても過言ではないと思います。これは自分にも言い聞かせてます。私はまだ、柔道に変わる没頭する好きを探している身でもありますから(そんなやつがようしゃべるなとも思うんですけどね 汗)

これまで、小中高、下手したら大学も先生や親に言われたことだけをするのが当たり前だった生活をしていたら、自分がどんなことが好きか、なんてわかりづらくなっているかもしれません。

そういう場合は、日常生活レベルから、自分が嬉しいとか、これしてると元気になれるみたいなことを一分からでも、毎日続けてみるといいかもしれません。もしくは毎日続けてて苦じゃないことが好きなことの発見になるかもしれません。

私自身、自分が心から望んだことではないこと、人が望んでいることを無意識に自分の使命、自分の望みみたいに思ってしまう性質もあって、自分はどんなことを望んでいるかを意識的に行うようにしています。

なんか嫌な気分が続くような時は、一旦立ち止まり、静かなところに行って、自分の心に問いかけます。

今、あなたは心からそこにいることを喜んでいるか?

今、あなたがしていることをこれからも続けたいか、じゃなかったらどうしたいか?

こんなこといちいち考えなくたって生きていける人はたくさんいると思いますが、私にとっては命綱のような質問だったりします笑

忙しすぎたりすると、自分の心がしたいことを忘れがちですが、今この人生を生きているのは紛れもなく自分なので、どんな時も自分がどうしたいのかを考え、行動することって、とても重要なことだと思うんです。

それに、会社で働いていようが、自分の思いのままに生きていようが、どちらにせよ、自分が今やってること、やろうとしていることが心から好きだったら、辛いことも乗り越えられる自分はすでにそこにいます。

だから、好きを素直にやったらいいじゃん。ということを言いたいだけなんですけどね。

実は今、私は新しい環境に飛び込もうとしていて。まるっきり未知な世界なので、どうなるかはまだわかりませんが、自分が好きだなと思ったところに行くので、その結果がどうなるか。このnoteの実証実験にもなると思うので、それ、今度書きます!

まあ、もうお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、そんなこともあって、今回のnoteは、正直、自分のために書いてました。

全然まとまってないんですけど、先日会話をしていた友人に勇気をもらった言葉があるので、それを書いて終わりにします。

「最初の壁はどの道でも一番高くて辛いけど、それを乗り越えた先にきっと必ず何かあるから、何かやってみたいと思うことがあったらチャレンジしてみ!」



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