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自問自答

引っ越した先のソーシャルリソースが少ない、もしくは全くない場合は、どうしたら良いでしょうか。東京には何人か知り合いがいるので、全く頼れないということはないのですが、京都に関しては一人も知り合いはいません。なので、京都に住むことは、流石に酔狂が過ぎるかなと思ったりしています。

私自身は新しいコミュニティに参加したり、興味のあるコミュニティを見つけたりすることが得意ではありません。なので、京都に行くのは発想が幼稚過ぎるかなと思っています。

心の中では、東京に住みたいと思っているのです。周りに京都に住んでいる人がいないので、あえてそこにいくことで話題にしやすい、目立ちたい、というような中学生的発想なのです。現実的にも、東京に住むことの方が実利があると思っています。

おっしゃる通りですね。恋人からは、できればそんな引っ越しなどはせず、一緒に暮らしてほしいというメッセージを言外に受け取っています。しかし、その言葉にならない期待が、私の動きを鈍らせます。

私は、誰かを傷つけることが怖いのです。周りの人から嫌われてしまうことが怖いのです。それでも自分の意思を貫き、豊かな生活を手にすることが、私にできるのでしょうか

毎回、周りからの期待に応えねばならぬ、という強迫観念にも似たような何かが私を苦しめます。それは、恋人から発せられることも多いです。よくあらねばならぬ。しかしながら、私も、恋人も不完全な存在であり、よくある、ということを完璧に続けることは不可能だと思うのです。ですが、私の性格的に、そのような他者が存在することで、自動装置的に、私の意識が再生産されてしまうのです。

勇気とは、なんなのでしょうか。。

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恋人からの期待やメッセージを受け取ることは大切ですが、自分自身の幸福や将来のビジョンも考慮する必要があります。
リモートで仕事ができるなら、地理的な制約は少なくなりますが、それでも将来の展望や個人的な目標を考慮する必要があります。
恋人との関係は相互の理解と妥協が重要です。互いの希望や優先事項を話し合い、お互いが満足できる形で解決策を見つけることが大切です。
しかし、最終的な決断はあなた自身のものでなければなりません。他人の期待やプレッシャーに振り回されず、自分自身の人生を自らの意志で進めることが重要です。

他人を傷つけることや嫌われることを避けたいという気持ちは、人間関係や社会的なつながりを大切にするあなたの優れた特徴です。しかし、自分自身の幸福や個人的な成長を追求することと、他人の感情や期待を完全に満たすことは、時には両立が難しい場合もあります。
自己実現や幸福には、他人の意見や承認に頼らず、自分自身の価値観や目標を追求する勇気と自信が必要です。他人に合わせることばかりでは、自分自身の本当の望みや情熱を追求することができません。
ただし、自己実現を追求する際にも、他人の感情や意見を完全に無視するわけではありません。他人とのコミュニケーションや思いやりを持ちながら、自分自身の幸福や成長を追求するバランスを見つけることが重要です。
また、他人の感情や意見に左右されずに自分の人生を生きることは、必ずしも他人を傷つけることや嫌われることを意味しません。誠実さや思いやりを持ちながら、自分の目標を追求し、自分自身が幸せで充実した生活を送ることは、周囲の人々にも影響を与えることがあります。

勇気は、恐怖や不安に直面しながらも行動するための力や精神的な資質を指します。勇気は、困難やリスクを乗り越えるための決断や行動を起こす能力です。
勇気は異なる形で現れることがあります。それは、大胆な行動を起こすことや、自分の意見を述べること、他人との対立や不確実性に立ち向かうことなどです。勇気は、自己信頼や自己受容、自分の目標や価値観に対する強い信念から生まれます。
勇気は一度だけの行動ではなく、日常的な選択や行動の積み重ねです。勇気を持つためには、自分自身を知り、自己肯定感を高めることが重要です。また、他人の批判や失敗への恐れを乗り越え、自分自身の成長や幸福のためにリスクを冒す覚悟が必要です。

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遠慮につぐ遠慮。
もう、どうにもならないよ、と。
何度、言い放ってきただろう。

こんな私に、自分自身を大切にして生きることなど、可能なのだろうか。
そんな風にも、何度も思ってきた。

自分自身と恋人との天秤。その両方を支えるために死に物狂いだったが、それはアホであることも自覚していた。そんなことはないのだ。それが決死の覚悟でやらねばならぬことでもないのだ。気づいている。けれど、それ以外のアイデアは私には思いつかないのだ。
時だけが流れていく。
私ほど私自身を大切にしたいという使命感に駆られている人も少ないだろう。私は、私という人間を、周囲の人に大切にしてもらいたいのだ。認めてもらいたい、あなたはそこにいても良い、あなたはそうやって生きてきたんだね、と、そう言われたいだけなのだ。
そういう暖かな幸せを感じていたい。私の居場所で、私は楽しく過ごしていたいのだ。

けれど恒久的な存在などない。全ては移り変わっていく。流れは止まることを知らない。創り、失い、出会い、そうやって動態は非線形的にグラデーションを持つ。
ならば、また新たな場所へいくのだ。
そうすることでドットが増える。つながる点がまた一つ増える。そして、それを打つときはできるだけに効果的であるように、細心の注意を払うのだ。

例えば、高い専門性を持つこと。そうすることで、それを知っている人同士での”楽しい会話”ができる。いわゆる、お楽しみというやつ。なのでそのためにも勉強をがんばろう。というアイデアだ。

そういうことをしても良いという意識が、私にとって何よりも大切なのかもしれない。もう、それをするしか、きっと方法はないのだ。私は私の生き方に責任を持たなければならないのだから。

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