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ありのままの難しさと美しさ


大沢伸一のプロジェクト、MONDO GROSSOの新しいアルバムから1曲。
乃木坂46の斎藤飛鳥をフューチャーしたこの曲は前回の惑星タントラから雰囲気をガラッと変えてシューゲイザーで展開していくのだけど、彼女の声の儚さとギターの哀愁あるメロディがドンズバでハマっていてMONDO GROSSO史上1番好きな楽曲になりました・・・
いや個人的にシューゲイザーというジャンルをアイドルの女の子が歌っているという時点で胸と目頭が熱いです・・・
そのほかにもmillennium paradeのermhoiをフューチャーした楽曲のMVが360度映像の面白い作りだったので紹介させてください。

メタバース的な要素のアプローチが各業界で行われ始めてから日はまだまだ浅いですが、こういう表現を個人やアーティストがドンドンしていくクリエイティブな世の中にシフトして行っているのはとても面白いな〜と思います。
今仕事でも「DXとは〜」「メタバースとは〜」みたいな話もしているので・・・
メタバースといえばK-POPのaespaが各々メンバーが自分のアバターがいる設定をしているのも、メタバース空間前提の活動をしているのも面白いです。

そういえば(関連事項になんでも紐付けたがる)シューゲイザーといえばTwitterで見かけたインドシーンを紹介しているブログがとても面白かったのでぜひ見て見てください。
この中で紹介されているColorblindというバンドの楽曲が個人的に好きでした。






🎙





寒波、もう来んでええねん

2月に入ってからどんよりした日が続いていて、気分も上がらんし何より洗濯物が乾かない。
一人暮らしとはいえ、そこそこ溜めてしまうと生活に支障が出るのでなるべく週2で回しているのだが、乾いてくれないと非常に困る。
浴室乾燥機もないので、なんとかして暖房を入れている部屋で乾かすんだけどどことなく生乾きっぽい感じ・・・
早くあったかくなってほしいなあ。
今週末雪が降る予報で早くも震えています(2月8日に執筆)





❄️




時間は少し遡り、1月末、実家に帰る予定だったのですが父の職場でおコロナ陽性反応の方が出てしまい、父が濃厚接触者になってしまったので実家に帰るのを断念し、昼間買い物に行った後映画を3本見ました。

①パターソン

ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。
公式サイトから引用ーhttps://longride.jp/paterson-movie/cont/story.html

「実家帰れなくなっちゃったし時間だけはたくさんあるからたまには映画たくさんみよう」とアマプラを放浪しているときにパッと目に入ったタイトルだった。
アダムドライバー、どんな役でもハマってしまうのがマジですごい・・・
いたずらっ子のお茶目なワンちゃんも可愛かったし、個性的な妻を演じるゴルシフテファラハニも愛くるしくてとても可愛かった。

妻と愛犬と毎日を過ごしながら詩をノートに書き溜めて過ごすパターソンからは「変わることの怖さ」みたいなものを少し感じたり感じなかったり。
でも1歩踏み出して見たら意外とどうってことなかった、とあっさり受け入れられるバイタリティは見習いないな〜と思った。
映画の中で出てくる詩でマッチの詩があるんだけど、自分もマッチで喫煙しているからかなんだかすごく好きになりました。
こういう「何みようかな〜」の時ってキャストやらスタッフをあまり見ずに再生ボタンを押してしまうんだけど、WU-TANG CLANのメンバーであるクリフ・スミスが出てくる(ひっくり返った)し、永瀬正敏も出て来て(ひっくり返った)びっくりした。
今の日常があるのは過去からの積み重ねであって、未来はどうなるかわからない。
日常のルーティーンはあれど、出会う人や過ごす時間は1つとして同じものはない。
時にトラブルに見舞われたり、大事なものを無くしてしまったり・・・
乗り越えなければいけないたくさんのことを焦らずゆっくりでいいんだよ、と言ってくれるような優しく暖かい気持ちになれる映画でした。





🥃





②THE TENDER BAR〜僕を育ててくれたテンダー・バー〜


J・R・モーリンガーの父親は彼が生まれた直後に突如失踪した。青年になったモーリンガーは父親代わりになってくれる存在を求め、叔父(チャーリー)が経営するバーに足繁く通っていた。

本作はモーリンガーがチャーリーやその店の常連客との交流を通して、自己を確立していく姿を描き出す。
wiki引用

上記の勢いで気になってた映画2本目、ベン・アフレック主演、ジョージ・クルーニー初監督作品のAmazonオリジナル映画を拝見。

幼い頃、訳あって離婚した母と子が母の実家へ帰るのだが、叔父が営むバーに入り浸るようになり、叔父自身や周りの常連、母や祖父母から「大人になる事」を学んでいく1人の少年の物語。
この叔父がまたとんでもなく不器用だけどとんでもなく頭も良く、仲間を大事にする素晴らしい人なんだけど、主人公は父親を彼に求めて色んな教えを乞うのだが、「俺は答えを教えた、どう理論づけたり過程をこなすかはお前自身でやれ」という放任なのか世話焼きなのかわからない具合がまた良い。
主人公自身「アイデンティティがないの」と悲しそうに言いながらも、このキテレツで魅力的な周囲の大人から沢山のことを学び、吸収して「僕は僕でいて良いんだ」とアイデンティティを確率するシーンはとてもグッときた。
幼い頃、大人の多い環境で育った自分にもなんとなくわかる部分があったり、色んな人が出入りするバーを軸として物語が進んでいくのも私自身が育った環境に似ていていつのまにかグイグイ引き込まれて作品を鑑賞していた。

小話をすると、上記の通り物心つく頃からたくさんの大人(親の友達、親戚、近所の人)が出入りする我が家だったのだが、(一度の訪問者が10人超えたこともあったので玄関が靴でいっぱいだったのを覚えている)そこでしか得られない空気感や人生経験の話、失敗の話はとても面白おかしく、「自分もこうなるのかなあ」「こうはなりたくないなあ笑」と思っていた大人に、もしかしたら今自分もなってるかもしれない笑
常に人がいる家だったので、当時はご近所にもたくさん迷惑をかけたと思うが、それでも1度も騒がしくて通報されたり苦情が無かったので「ご近所は我が家を理解してくれてるんだなあ」などと能天気な事を思っていた。
タバコの煙が渦巻くリビング、かくれんぼと称して家中走り回る小学生の子供最低5人以上。
とんでもない家だったなあ、と思うこともある。
まあそんなお陰で大人ってなんぞや、みたいなところや初めて会ったにも関わらず分け隔てなく接してくれた大人がいたおかげで、他人に対して殆ど警戒心を持たず育ってきた、ある意味ありがたくもあり学ぶべき警戒心が欠けていた子供でもあったと思う。ガハハ。
小話はこの辺で置いといて。

最後まで彼のやりたい事を応援する叔父や母、祖父母の暖かさ、監督ジョージ・クルーニーが今まで出演してきた映画の雰囲気を随所に感じられる作品でした。
ただ一つ、主人公が最後まで諦めなかった想い人と添い遂げられなかったのは見ていて正直「そりゃそうだろうな」と「想い人の彼女が明らかに悪いだろ」てところはちょっとモヤモヤしたけど。
ネタバレを少ししてしまうと、なし崩しの腐った(と言ったら語弊あるかもだけど)関係になってもお互いゴールが無いし、共通の目的が逢引だけなのでなんの進展もない。
ならいっそ切ってしまえよ、と鑑賞中何度言ったかわからないが、そう簡単に切れないのが人間の「情」のような感情なんだろうな〜とも思った。
そういう関係にもケジメと落とし前を付けて(というか間接的につけられて)前に進むしかないと意気込んだ主人公はちょっと輝いていた。かも。

鑑賞後、気づいたらワインが1本空いていた。
恐ろしい映画だ。
この作品を見るなら是非ワインと、そして「影響された大人って誰だったっけ」というあなた自身の彼方の記憶と共に見てほしい。





🛻





最後に見たのはグリーンブック。
こちらは感想下記の過去投稿にまとめております。
ただ当時とはまた違う観点、違う感度で観れた。
他人にありのままの自分をさらけ出すことの美しさと難しさ。
言葉の壁、人種の壁、価値観の違い性格の違い・・・さまざまな壁を、旅を通じて乗り越えたんだと思う。
いつ見ても素敵な映画だと思った。





💐





さっきも書いたけど、ありのままの自分を、ありのまま受け入れてもらえるのってものすごく難しい。

エゴの押し付け合い、と言ったら究極的な言い方になってしまうけど、それでも他人とコミュニケーションを取る上で「何」を線引きして言葉に出す、態度に出すということはしないとコミュニケーション自体が破綻してしまう。

そんな事は頭でわかっていても、制限が利かなくなって思った事をそのまま口に出してしまう事もある。

個人的な話だけども、私は寂しがりやで不器用で甘ったれなので、1人で孤独に耐えられないうことが一人暮らしを通してわかった。犬吸いたくて禁断症状みたいなのが出ることもある。ウケる。
要するに豆腐メンタルなのだ。

そんな自分を甘やかしてくれたり癒してくれたりする大事な周りの人達に対して、私は誠意と敬意を持って接しているつもりだし、コミュニケーションを円滑に取りたい、あわよくばみんなでハピハピになりたい、そんな風に思っている。

だからありのままの自分をぜーんぶ出したらとんでもない事になってしまうので、自分の中で線引きしてコミュニケーション取るという事をお恥ずかしながら最近実感した。

誰かに注ぐものが時間や金だというのなら、私は敬愛の気持ちを持ちながら誰かにありのままの自分を注いでいきたい。
大事なものは奥底で、常に誰にも見せなくてもいい。
奥底まで許せる人に対してそうすればいいと思う。

穴が空いた部分を埋めることに焦る必要もないし、ゆっくり穴と向き合えばいい。

そうしたらまた1つ素敵な人になれるんじゃないかな〜などと切れたタバコの空き箱を見ながら考えていた。
タバコは明日の朝買いに行くか〜・・・



今回ものごっつ長い文章に付き合ってくれてありがとうございました。
またぼちぼち更新していこうと思います。
引き続きどうぞよろしくお願い致します。




それじゃまた。







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