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【鑑賞済向け・ネタバレあり】『すずめの戸締まり』最速上映を終えて~受動・能動の“大丈夫”、そして内化~

※注意書き
・この文章は2022年11月11日0:00~の最速上映を終え、深夜のマクドでハッピーセット(えほん『すずめといす』付き)を摘まみながら書いているものです。
・映画のファーストインプレッションを大切にしたかったため、小説判はおろかその他の事前情報もほぼ無しの状態で1度見た限りです。
・内容的外れだったりあとから意見変わったらゴメンね。
・誤字脱字もごめん
・日本語不自由もごめん!!推敲できてません!
 (寝不足フルタイム労働からの先速上映からの1時間散歩からの執筆中)

クッッッッッッッソネタバレ注意です

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感想:よかった

よかったです。これにつきます。正直この後に続いているオタク話は後付けの理論武装にすぎません。
よかったと感じたからよかった。
オタク各位は自分の感じたものを信じような。

(以下、雑感)

『秒速5センチメートル』、『天気の子』、そして『すずめの戸締まり』

本作で強く感じた印象、それがこの『秒5』、『天気の子』、『すずめの戸締まり』の三部作感です。
もちろん各作に内容・時空のつながりはありませんが、これらを縦に貫く新海誠哲学を感じました。それが”大丈夫”の哲学です。

『秒5』における大丈夫とは桜花抄でアカリに贈られ胸に突き刺さり続けた「遠野くんはこれからもずっと大丈夫」であり、また秒速5センチメートルで水野さんに切望し、けっきょく与えられなかった”あなたは大丈夫”です。
大丈夫とは他人からの評価として押し戴くものであり、断ぜられる・判断する受動的なものでした。

次に『天気の子』の大丈夫とはRADWIMPSの楽曲「大丈夫」であり、またラストシーンの「僕らはきっと、大丈夫だ!」です。
”君の大丈夫になりたい 大丈夫になりたい 君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 大丈夫になりたい”との歌詞の通り、大丈夫は能動的に与える・与えられるものとなりました。

そして『すずめの戸締まり』の”大丈夫”は他人からの評価や必死にもがき獲得するものではなく、個々人に内化され、より再発見される性質のものと扱われていたように思います。

ベースとしてある”大丈夫ではない

上記3作は(というかどの新海誠作品でもですが)ベースとしてキャラクター各々の”大丈夫じゃない”状態/認識があります。
野暮を承知で矮小な言葉にすれば”大丈夫”とは正常状態感、非論理的自己肯定感とでもいうものです。
これを解決しようとするのが新海誠作品の登場人物の原動力ともいえるのですが、その方向が『秒5』では過去への執着、『天気の子』では現在での紛争なのに対して『すずめの戸締まり』では未来の獲得なのです。

いわば『秒5』は昨日の物語
→”One more time 季節ようつろわないで”、
 ”記憶に足を取られて 次の場所を探し出せない”

『天気の子』は今日の物語
→”時の進む力はあまりに強くて 足もつかぬ水底 必死に「今」を掻く”

それに対しての本作『すずめの戸締まり』のアンサーが
「私はね……すずめの明日!」なのです。

人間は、これまでの軌跡で構成されている。


というのが今作の大きなテーマだと考えます。

本作中では行く先々で出会った人々(またときに道端から)から継承した衣服や道具を身に着けてゆくというギミックが多々現れます。(これはすずめに限った話ではなく、恐らく現時点で気が付いていないものも山ほどあるとおもいます。)
また衣服に限らず、SAで吐露したすずめ/たまきの黒い感情に関しても最終的にその存在を肯定した上で、「それだけでは決してない」と自分の大切な構成要素の一端であると認める話をしています。(個人的にめっちゃすき)

”大丈夫”とは他人に与えられるものではない

そしてすずめが幼少の自分に「あなたはこの先大丈夫」と伝えるシーン、つまるところ己のルーツを消化し、自分を構成し形作っているこれまでの人生を肯定して”自分は大丈夫だ”といことを再発見したという事の証左ですが、これを現在すずめ→幼少期すずめと自分から自分に伝える形になっているのの重要な要素と思います。

つまるところ、現在の自分を構成しているのは己の人生であり、(そこ大きな影響を与える存在があったとしても)己の”大丈夫”を断ずること出来るのはあくまで自分でなくてはならないという事です。

この”大丈夫”ひいては原動力の内化、平たく言えばもモチベーションの原動力を他人に頼るな・己のエゴを貫けという展開はすずめだけでなく草太やダイジンにも起こっていたように感じました。

結局何が言いたいのかと言うと


見よう!『すずめの戸締まり』!! です

以前、『天気の子』初鑑賞時に隣の席に僕へ微笑みかける新海監督が見えたという話を書きましたが、本作はそんなもんじゃありませんでした。

監督とのガチの殴り合いです。

みんな殴り合い好きでしょ? 是非見てください。

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