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月の夜の共犯者 2.


空高く登る月を2人でいつまでも見ていた。
座席のシートを少しだけ倒した車のなかで、蒼白く光る空を眺めた。

「ソウ…月が綺麗だね。」
「うん、とても綺麗だ」と僕は呟いた。
夜も更けて寒くなってきたのか、馨はクシュンとくしゃみをした。

「大丈夫?寒い?」
僕が来ていた茶色のジャケットを馨に渡そうとすると、馨は

「ありがとう…大丈夫だよ。」と言った。

「今日はどっかに泊まれなくてごめんな」
「全然大丈夫だよ。これからの事もあるから、ちゃんとお金残しとかなきゃ」

僕と馨は手を繋いで、空高く登る月をどこまでも見ていた。

馨の手は細かった。
その細い手首に生々しい紫の痣の跡がある。

僕はその傷をじっと見つめて
「傷む…よな…」と言った。

馨は力ない笑顔で、
「大丈夫、だいぶ日にちが経ってるからそのうち治るよ」と言った。

どうして馨がこんな目に合わなきゃいけないんだ。馨は何も悪くない。

彼女はただ不器用なりに一所懸命していただけだ。

…僕は見てしまったんだ。

馨が無理しているのを。
あの日の僕は、馨が無理しているのを気付かないフリして接することだけで精一杯だった。
寄り添うことが可能なら、寄り添いたかったけれど、それは言葉だけのことでは無理だとおもった。


あれは今から半年前のこと

会社の資料保管庫で探し物をしていたとき、
たまたま僕と同じように探しものをしに来ていた馨と目が合った。

保管庫には、陳列した背の高いキャビネットに会社にまつわる資料が所狭しと並んでいる。
持ち出し厳禁の資料もあるため、
社員は特殊なIDカードがないと入らない場所だった。
つまり管理者しか入れない場所だった。

「松井さんも探しものですか?」
「うんちょっと、製造ラインの効率化を考えたくて…」
「松井さんは勉強家なんですね」
「いや、そんなことはないですよ…。ところで中原さんは?」
「わたしは…課長から頼まれごとをして…」
その瞬間、馨の顔が一瞬澱んだ気がした。

馨は考えごとをしていたが、暫くすると僕よりも小さな背を伸ばし、ンーッと言って資料を取ろうとした。

その姿はまるで小さな子どもが届かない場所のおもちゃを取ろうとするかように、とても可愛らしく見えた。

「中原さん、僕がその資料取りますよ」
僕はそう言い、彼女のそばに近づいた。

彼女の細い手首からソレが見えたのはそのときのことだ。

長袖のワイシャツの袖からどす黒い紫色に染まった痣が見えた。

一瞬ハッとしたけれど、僕は見てみぬ振りをした。変なことを言って馨に嫌われたくなかった。

見てはいけないものを見るみたいに…、僕はソレから目を逸らした。

「ハイ、これですよね」
そう言って取り出した資料を渡した彼女は、照れ臭そうに笑って「ありがとう」と言った。

その様子に僕は内心ドキドキしてしまった。一瞬抱きしめてしまいそうになるくらいには、馨のしぐさは可愛かった。

「ありがとう、松井さん。」
そう言うのとほぼ同じタイミングで、彼女の社用携帯の着信が鳴った。

携帯画面には「課長」と表示がされていた。
うちの課長は35歳にして営業課をまとめる敏腕のリーダーだ。

「あ、課長からですよ」
僕が着信に気づき声掛けた瞬間、彼女の表情は一瞬曇った。
なぜ彼女の表情が一瞬曇ったのか、原因はわからなかった。
ただ課長からの呼び出しとなれば、断るのは難しいことなのだと思った。

僕は邪魔してはいけないと、資料保管庫から外に出た。
そのときはまさかあの出来事に僕が当事者として、関わることになろうとは思いもしなかった。

家に帰り電気を点けた瞬間、僕は家のベッドにダイブした。

目を閉じても思い出せる…

彼女の屈託のない笑顔、
時々恥ずかしそうに恥じらう顔

どの顔も僕にはとびきり可愛く見えた。
彼女の残像が今でもハッキリと目の奥に映っている。

一目惚れだった。
彼女が僕に挨拶をした瞬間、すべての細胞と景色が一新したように新しい世界が開けた。

僕は彼女が好きだった。

ただ怪訝だったのはあのときの痣、
アレは何だったのだろう…

そのときは、その謎が分からないままだった。


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