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揺れる心を反映するランチュウ

「ヒトノ心ハ移ロイヤスイモノヨ…」

丸みを帯びた金魚鉢に揺れるランチュウを眺めながら、主(あるじ)は独りごちた。
黒光りする屏風に囲まれたこの部屋では、
色鮮やかなランチュウは目立つ。
そのときピシャッと一匹のランチュウが跳ね、そしてそのままピチピチと机に落ちた。
その様子をみた主が、紅く塗られた指先でランチュウをひょいと摘み上げ、暫く揺らしたあと金魚鉢へとまた戻すのをワタシは見逃さなかった。

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ここはとある中華料理店
靄(もや)に包まれた石畳の街道を進むと、見えてくる不気味な館でもある。

朱色一色に塗られた壁面と、黄金に輝く屋根瓦が眩しい。むかしワタシの祖父は「朱色と黄金色は縁起がいいんじゃ」と言っていたっけ…。

道に迷い途方に暮れ歩いていたワタシはそのことをふいに思い出した。

本当ならばわたしもランチュウになって泳いでいた筈だった。そう、この店の主の計らいがなければとうの昔にランチュウになっていた。

あの日この店に迷い込んだわたしは、いい匂いのするおしぼりを渡されてメニューを選んでいるうちに気を失い、あと一歩で金魚になろうとしていた。

ズキズキする頭を押さえ目覚めたとき、
目の前には玉虫色の櫛で、艶めいた漆黒の髪をまとめた主がいた。シルクで出来た黒地に白い刺繍、そして黄金の帯の漢服を着たその人の顔は恐ろしく美しかった。まるで術師にかかった時のようにその青みがかった瞳に吸い込まれてしまうかと思った。

その出で立ちは妖艶でまるでこの世のものではないと思った。
すると主は愉快そうに、わたしを見つめて

「ホホウ…ワタシノコトガ分カルノカ。
ソウダ、ココハ アノ世ト コノ世ヲムスブ場所ダ。オマエハ状況ヲ読ムチカラガアルカモシレナイ。」

そうしてわたしは金魚にはならず主の遣いとなった。

主は人の精気を吸わなければ生きていけなかった。
「月(ユエ)コッチニオイデ…」
そう呼ばれるたびに、精気を抜かれた新しいランチュウを紹介された。
時々苦しそうに息を吐いていた主も、
ランチュウが現れるとすっかり元気を取り戻していて
「あぁ、この人はひとの精気がなければ生きていけない人なのだ」と悟った。

毎日なんらかの事情で黄泉の国に行くまえに、ここに迷い込む人たちがいる。
そのなんらかの事情で迷い込んだ人たちを、この中華料理店に招きそして精気と引き換えにランチュウとなり、意気揚々とガラス張りの水槽で泳いでもらうのだ。

余命僅かとなった人たちは、まるで水を得た魚のように…いや実際魚となって、その広い水槽の中で泳ぐのだった。


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「月(ユエ)、今宵ノ迷イビトハドコジャ」
夕刻、石畳を歩いて迷い込んだおなごのことを指していることは直ぐに分かった。

「申し訳ございません。どうやら取り逃がしてしまったようです…」

すると主はピシャと孔雀の翅(はね)を模した赤い中国扇子を翳(かざ)し
「黄泉ノ国ニ訪レタモノヲ逃ストハ何事カ!!」と怒った。

「申し訳ありません、主の貴重な機会を失うようなことを…」

壁面に泳ぐランチュウは、あの世からの迷いビト。香り高いおしぼりの匂いで意識を失い本来ならばランチュウへと姿を変える。

「ヒトノ心ハ移ロイヤスイモノヨ…」

丸みを帯びた金魚鉢に揺れるランチュウを眺めながら、主(あるじ)は独りごちた。
黒光りする屏風に囲まれたこの部屋では、
色鮮やかなランチュウは目立つ。
そのときピシャッと一匹のランチュウが跳ね、そしてそのままピチピチと机に落ちた。
その様子をみた主が、紅く塗られた指先でランチュウをひょいと摘み上げ、暫く揺らしたあと金魚鉢へと戻すのをワタシは見逃さなかった。

悲喜交交が交差する揺れる心を反映するランチュウ。
今宵もこの場所にまた新しい迷い子が彷徨ってやってくるのを今かいまかと待ちわびているのだ。まるで透明な蜘蛛の糸に知らずとやってくるものを待ちわびているかのように…


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