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燻るたばこの煙

「ただいま」
誰もいない玄関の扉の鍵をガチャリと開け、
家にはいった。
その瞬間モワッとした空気が、俺の身体めがけてやってくる。

その空気に耐えながら中へ入り
荷物をベッド傍に放り投げ、
帰りがけに買ってきた冷えた缶ビールのプルタブを開けた。プシュと音が鳴り、泡が一気に湧き上がる。
思い切りぐびぐび呑み、息をプハっとはいた。

仕事終わりのこの瞬間が堪らない。
何度やってもクセになる。
この瞬間のために、仕事をしてると言っても過言ではない。電車の振動で震える窓をガラッと開け、セブンスターの煙草に火をつけた。

ツンとした独特の空気を纏った冬の匂いが鼻につく。俺はこの匂いが嫌いじゃない。
寧ろ好きだ。

カンカンカンとなる踏切の音があたりに響く。
駅に隣接していて振動は酷いけれど、心地よいこの場所が俺は好きだった。
そして煙草をふかしながら、俺はアイツのことを想った。

琢磨が死んだことを知ったのは、つい最近のことだった。部屋の前にある窓の柵に腰掛けながら変な意地を張らずに、アイツも顔を出したかもしれない同窓会に行けばよかったと思った。

中学にあがってからグレてしまった俺は、
気恥ずかしくて同窓会には長らく行けなかったのだ。

親父に愛想を尽かして家には帰ってこない母親と、仕事もせずどこかで油を売っているうだつのあがらない父親。
ネグレクトに近い状態で育った俺は、
居場所も見つからずグレてしまった。

学校の授業も出ず、ふらふらとサボってた俺に声をかけてきたのは琢磨だった。
あいつも授業にはあんまり出ていなかったらしく、近くのコンビニでたまたま会ったときも
「僕たち一緒だね」なんて砕けて笑った。

アイツはギンギンの金髪にしてイキッた俺が怖くなかったのだろうか。
琢磨はだるそうにしている俺に、
面白そうにくっ付いてまわった。
いつも15時近く
場所は決まってコンビニの前。
時間はアイツの母親から携帯に連絡がくるまでの30分。
「僕の母さんは過保護だから、困っちゃうよ。
君が羨ましい」
といつも苦笑いして俺に話していた。

俺らはいつしかたわいも無い話しをしていた。
俺の家庭のこと、
親父に愛想を尽かした母親のこと、
働きもせず生活保護の金でパチンコに行く親父のこと

琢磨はいつも、静かにうんうんと頷いて、話しを聞いてくれた。
コイツはなんで、いつも俺なんかの話しを聞いてくれるんだろう。

不思議で仕方なかった。
「なぁ、お前学校には行かなくていいの?」
ある日、素朴な疑問を俺は琢磨に聞いてみた。

「僕の母さんの方針で、家庭教師をつけて勉強してるんだよ。だから学校の授業は全部分かっちゃうから行かなくていいんだ」

その話しを聞いたとき、えらく過保護だな
そう思った。

だけど…後から会社の同僚の坂城に聞いたら
アイツは重い心臓病を患っていたことを知った。
中途入社してきた坂城優美。
色白で目がパッチリしている小動物のような子だった。坂城と色々と話しているうちに、中学の地元の話しになり、たまたま琢磨のことを話したら優美はハッとした顔になり、
「それって新堂琢磨のこと?」と言い出したのだ。なぜ、坂城が琢磨のことを知っていたのか分からずビックリしていると

「琢磨は…私の彼氏だったんです。」とポツリと話し始めた。そして、重い心臓病だったこと、それでも坂城といるために田舎に引っ越して、地元の小さな塾で働いていたことを知った。

休みの日には一緒に手を繋いで満天の星ぞらを眺めたり、夏には蛍の光でいっぱいになる川沿いで遊んだといった。

「琢磨にとって、それが良かったのかわからない。だけど、家の玄関で倒れたとき意識がなくなるまで私の手をギュッとしながら笑ってくれてたんです。いまもその手の温もりは忘れられない。」
そして坂城は目に浮かんできた涙を必死に拭って、前をみた。
その横顔は凛としていて綺麗だった。

「琢磨…お前はほんとにいろんな奴の心に何かを残してるやつだよな」

俺もお前が居てくれなかったら、未だにもっと捻くれて別の人生を歩んでいたかもしれないんだ。

そのとき風がサッと吹いて、俺の頬を揺らした。

燻る煙草の煙は何処までもどこまでも、細く空に昇っていった。



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