「アードベッグ10年みたいな女。あるいは檸檬とのフュージョンについて」
私はウイスキーが好きだ。
ハイボールでしゅわしゅわとさわやかでゆるやかな酔いに浸るのは良い心地だし、ロックやストレートで脳天をつきやぶるアルコールに笑いながら溺れるのも楽しくて良い。
しかし、最初から好きだった訳ではない。むしろお酒は苦手だった。
「お酒なんか無くたって、シラフで酔える!」がモットーだったのだ。
お酒を飲み始めて半年目、20才を半年過ぎた頃までは。
とあるバンドサークルのセッションで顔と雰囲気に惚れ込んだ男の子がきっかけだった。 それはあまりに突然で、2年の浪人の末に大学にやっとのことで入学した私には春一番のように私の心をつかんでいった。浮かれていたのかもしれない。
知り合ってまだ2週間も経たない頃のことだった。早速猛アタックして手に入れた連絡先に勇気を出して「私みたいな、私をイメージしたお酒をおすすめして下さい」とメッセージを打った。その時は私は居酒屋にいたので、メニューの写真も添えて。
返事はすぐに来た。
「ウーン.... アードベッグ10年。」
それはメニューの中で彼が好きだと言っていたウイスキーの欄にあった。 店員さんを呼び出し、迷った上でハイボールにして頼んでみた。
果たしてどんなものなんだろうとワクワクしながら待つ。 当時ウイスキーは片手で数える回数しか飲んだことがなかった。
だから一口飲んで、思わず吹き出すところだった。鼻を襲う独特の臭み、正露丸や薬草によくたとえられるそれは、全く覚悟のないまま、私の鼻から脳天につきぬける。遅れてやってきた炭酸などおまけ程度のものだろう。 何だこれは。嫌味なのか?全くうら若きハタチの乙女をなんつー味でたとえるのだ。とんだ失礼なやつだ、と思った。 正直な感想をメッセージで即座に彼に伝える。
返ってきたメッセージは予想もしないものだった。
「癖の強い味だよ、でも俺は好きだよ」 その言葉を今でも馬鹿みたいに宝物のように抱きしめている。
それからはお酒を飲むときは必ずといっていいほどアードベッグ10年をハイボールで飲むようになった。
最初は味なんかわからん、ウイスキーなどわからんわ、とその味と同じくらい苦い顔をして飲んでいたが、ある時それも変わった。
中野に引っ越してすぐの頃、Bar巡りをしていた。ふらりと寄った飲み屋街のBarで 「アードベッグ10年を知り合いがすすめてくれたけれど、のみにくい」と相談した。親切そうなバーテンダーだった。
「あぁ、それなら、ハイボールにしてレモンをしぼると良いですよ。」と彼は笑って、その通りに作って差し出してきた。
一口のむ。それは今までアードベッグ10年に抱いていたとっつきにくい印象を一瞬でくつがえすものだった。
さわやかなレモンがピート臭と呼ばれる独特のスモーキーな香りをやわらかく、ふわりとつつみこむ。苦さのベクトルが一緒なのだろうか。今までより数段のみやすい。
「何これ、すごく美味しい!」と思わず笑顔でバーテンダーにお礼を伝える。
「ええ。レモンを加えると飲みやすくなるんです。ウイスキーは美味しくのめれば、 どう飲んだっていいんですよ」と、丁寧に解説してくれた。
レモンは私にとってとても重要な意味をもつ果実だった。
否、果実としてというよりモチーフとしてだ。 自分のハンドルネームに必ずくみこむくらい。 実際、私のことを「檸檬」と呼ぶ人も何人かいた。
だから、その日から「アードベッグ10年ハイボールレモン入り」は私にとってとても特別な飲み物になった。
彼が私に抱く印象のように、癖の強い独特の香りのウイスキーと、さわやかで苦くてそれ一つよりも何かと合わせることで輝くレモンとのフュージョン。
もう、とにかくうれしかった。彼のことがもっと好きになった。
その頃はもう、一人でお酒をのみに行くことにも慣れ、彼と飲みに行く機会も増えていた。それからすぐに、 私自身の不徳のいたすところで彼と仲違いしてしまったのだが…。
私は彼とお酒を飲んでいた時間をなぞるかのように、ウイスキーを飲む習慣だけが残った。
鼻にのこるかすかな苦みは私が彼に抱いている感情か、ウイスキーのそれなのか判断がつかないくらいには、どちらも私には愛おしい。
私は今日も言うのだ。
「アードベッグ10年をハイボール、レモンたっぷりでお願いします。」
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