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【ロサンゼルスで過ごした4週間】Part②-1人間って難しい

みなさん、こんにちは。

今回は、【ロサンゼルスで過ごした4週間】のPart②です。ちょっと長くなってしまったので、Part②をさらにPart②-1と、Part②-2に分けます…。

ここでは、主にホームステイについて話そうと思います。今後、海外(特にアメリカ)に留学予定でホームステイするという場合や、Airbnbなどで現地の人と生活する場合の参考に少しでもなればと思います。

↓私についての記事は2つに分けて投稿しています。良ければ読んでみてください。

ビーガンと私

・「私、ビーガンなの」
1つ前の投稿の【ロサンゼルスで過ごした4週間】Part①で少し書きましたが、私は夏の4週間を使ってロサンゼルスへ語学留学し、独身女性のホストマザー(略:マザー)と4週間2人暮らしをしました。LAに到着後、ホームステイ先に到着し、マザーから家のルールや設備について簡単な説明を受けた後、夜ご飯を食べました。ホームステイ先はアパートで、広いリビングの両端に広い部屋が2つあり、1つはマザーが、もう1つは私が使わせていただくことになりました。部屋には扉がついていたので、過ごしやすかったです。

ホームステイ先に到着して最初のご飯。アメリカは日本に比べてハイカロリーで簡単な料理が多いと思っていたので、どんなご飯なのか気になっていました。「はいどうぞっ」とマザーが出してくれたプレートの上には、味の濃そうな餃子のようなものとインゲン豆が乗っていました。「お〜、美味しそう」と思って一口食べてみたら、味がめちゃくちゃ濃い。「んん」と思いながらも、ホストマザーの顔を見ると彼女は嬉しそうな顔をしていました。さすがに、「味濃いね」なんて言えるわけもなく、たっぷり水が入ったコップがあっという間に空になってしまいました。

その後マザーが、「私、ビーガンなの」と一言。ビーガンと言う言葉は聞いたことがあったし、ロサンゼルスは健康とか意識の高い人が多い印象が勝手にあったので、「そうなんだ」と言う感じで返事をしました。そしたら、「私はビーガンだけど、あなたは私に合わせる必要はないよ。肉とか全然食べていいからね。だって、人それぞれ違うでしょ?」と言われ、私はこの「人それぞれ違う」と言う考え方や表現の仕方が、アメリカ人っぽいと思いつつ、「分かった〜」と返事をして部屋に戻りました。

・人生初の夜ご飯抜き
マザーがビーガンと言うことは理解しました。ただ、彼女の前で肉や魚を食べるということは気を遣うなぁと思っていました。私は、「念の為に」と言うことで事前に日本からパックごはんを4つほど持ってきていました。「まあ、多分食べないな」と思っていましたが、のちにこのパックごはんが私の4週間を支えてくれるものとなりました。ホームステイ2日目で気がついたのですが、彼女はビーガンというだけでなく超少食だったのです。彼女は、「冷蔵庫の中にあるもの好きなだけ食べていいからね」と言ってくれたのですが、冷蔵庫の中はスカスカ。レモンや瓶に入った茶色のスムージー、バターと牛乳、豆。「パックごはんの出番が早速きそうだ」と思いました。マザーによると、スーパーへの買い出しは毎週土曜日。「食べるものがほとんどないのに、何を食べろと」と思いつつ、2日目の朝からは語学学校が始まり、その日の朝は冷蔵庫に1つだけあったベーグルを食べました。

語学学校は午前中だけなので、午後は自由です。学校初日に日本人数名と友達になって(アメリカに来たのに)、毎日午後は様々な観光地に行っていました。ホームステイの料金には、お昼の食事料金は含まれていないので、お昼は友達とファストフードやメキシカン料理を食べたりしました。ホームステイ先ではマザーが料理をあまりしないことに加え、私が作れるような食材も揃っていませんでした。なので、お昼ごはんを多めに食べたりお菓子を買って食べたりして、夜ご飯を食べない日も何日かありました。夜、寝るときはお腹が鳴る日もありました。ホームステイしている他の友達にこの話をしましたが、「え、うちは毎晩ホストマザーとホストファザーが交代で食べきれない量のご飯作ってくれるよ。」と言う子が多く、普通に泣きたくなりました。「外で買ってきて食べればいいじゃん」とも思いましたが、夜は危ないから外に出ちゃいけないということと、UberEatsも高いし(当時円安が急速に進んでいました)、色々な観光地に行きたいからお金節約したいし、ていうか食事の料金もホームステイ料金に含まれてるよね?という考えでした。
色々考えた結果、泣く泣くコリアタウンのスーパーで大量の韓国海苔とキムチを買い、食料を確保することにしました(ホームステイ先に2食分の料金を払っているのに)。ここからが、さらにしんどかったです。

・食事中にお線香
コリアタウンでキムチと韓国海苔をゲットした私は、早速夜ご飯にパックごはんとキムチを食べました。マザーは、基本一日中食事をとるテーブルでパソコンをしていました(仕事と、メディテーションのためにオンラインミーティングに参加してたらしい)。そのため、私がマザーと向かい合ってキムチを食べ始めると、「何それ、臭いね」と言われました。「にんにくが入ってるから」と返事をし、食べ続けました(私の大事な夜ご飯)。翌日、冷蔵庫を開けてみると、前日に買ったキムチのボトルの蓋に、アルミホイルが巻き付けられていました。「なんでこうなってるの?」とマザーに聞いたら、「匂いがきついから」と返事が返ってきました。「いや、アルミホイル巻いたところで匂いは変わらんでしょ」と思いつつ、そのまま部屋に戻ろうとしたら、彼女は「これ、早く片付けてね」とキムチを指さして言ってきました。私は、

いや、食べる食料がないし物価も高くて円安で節約したいなか買ったやつだし。これで4週間しのげると思った大事なキムチだし。しかもそんなんすぐになくせる量じゃないし。すぐ食べきっちゃったら残りのご飯どうするんだし。てか食事代支払ってるのに自分で食料調達してるのおかしいじゃん。しかも、「それ」って言い方はないでしょ。食文化の違いじゃん。それに、「Kimuchi」って発音教えてって言われたから何回も教えたのに覚えてないじゃん。

と、イライラが押し寄せてきました。そして後日、今度は友達とお昼に韓国料理を食べに行きました。そのお店ではボックスに入ったなかなか量の多いチキンとトッポギを頼みました。両方とも余ったので、友達と分けて持ち帰ることにしました。「よし、これが今日の夜ご飯」と、ちょっと嬉しそうに帰宅。なんだかんだで食べ切ることができなかったので、トッポギとチキンは翌日の朝に食べることにしました。

翌朝、朝ごはんを食べていると、部屋にこもっていたマザーがいきなり部屋から出てきました。何をするかと思ったら、私の席の後ろにある台にお線香をおき、ライターでお線香に火をつけて部屋に戻って行きました。「は?」と思った私は速攻で写真を撮って母に送りました(笑)。「こちとらごはん食べてるんですけど。食事中にお線香とは?ww」と思いつつ、「まぁもういいや」と怒りを抑えつつ全部食べ切りました。

・やらかした
ごはんを食べるときは、マザーの家にある食器を使っていたのですが、私はトッポッキに入ってた卵を食べる時にうっかり家のフォークを使って食べていました。それに気づいたマザーが、「それ、私のフォーク」と少し怖い感じで言って来ました。「やべ」と思った私は「ごめん、忘れてた。」と、ビーガンであるマザーのことを考えていなかったことを反省しました。

まさかの門限

・家のルール
ということで、初っ端から食に関して苦労していたのですが、苦労したのはそれだけではありませんでした。マザーは基本は21時には寝て、朝は6時に起きる生活スタイルでした。なので、夜は遅くても22時には帰って来ないといけませんでした。アパートなので、エントランスと部屋とで合計2回、マザーに鍵を開けてもらう必要がありました。エントランスの鍵は、部屋の番号を入力したらマザーがスマホで遠隔で鍵を開けるというシステムでした。これが、結構厄介だったのです。

私だけ早帰り

・ディズニー
ある日、私は日本人と台湾人の友達とディズニーに行きました。カリフォルニアディズニーは、叶えたい夢の中の一つでした。事前にマザーにもディズニーに行くことは伝えていました。そしたら、その日は特別に22:30までに家に着いていればいいよと言われました。ただ、移動だけで1時間ほどかかるので、実際は21時くらいにディズニーを離れなければなりませんでした。ディスニーは大人数で行ったのですが、早く帰らなければならなかったのは私だけでした。ディズニーはやっぱり楽しくて、お昼頃にマザーに「Uber(タクシー)料金が高いからみんなと同じ時間に帰りたい」とメールしたら、「じゃあ、みんなあなたの時間に合わせて帰ってくればいいじゃない。一緒に遊ぶならみんなはあなたのことも理解してリスペクトすべき。そしたらUber代も割り勘できるでしょ。」と返信が来ました。私は正直、この返信に驚きました。

確かに、マザーの家に泊まってるからマザーのルールに従うべき。でも、せっかく友達になった子達とディズニーに来てるから、その日だけでもみんなと同じ時間に帰りたい。マザーがUber代払ってくれるなら言うこと聞いて早く帰るけどさ…。

と、ちょっとわがままですが、楽しい状況にいると自分のことばかり考えてしまいます。「みんなも同じ時間に帰ろうよ」と気を遣ってくれる子もいましたが、結局1人でUberに乗りトボトボ帰りました。

・大谷翔平
ディズニーの一件があった後、今度は大人数で大谷翔平選手を見にエンゼルスタジアムに行きました。野球の試合はだいたい2時間以上かかります。試合は18時から。早くても20時に終わって家に着くのは22時前。絶対試合は長引くと思うけど、野球をやっていた身として試合の途中で帰るのは絶対やだ。マザーに、「なるべく早く帰る」とは言ったものの、色々あってみんなと一緒にUberを拾って帰っていたら、金銭面で運転手といざこざになり、無駄な時間を取ってしまいました。結局、アパートのエントランスについたのは22時30分過ぎ。エントランスで鍵を開けてもらうようベルを鳴らすも、全然開けてもらえない。5、6回ベルを鳴らしたあたりで、何かスピーカーからマザーの喋る声が聞こえました。何言っているかわからなかったけど、怒ってるっぽい。ブチっと音声を切られたが、鍵は開けてもらえなかった。「あー、終わったわ。この人気(ひとけ)のない場所で朝を迎えるのか」と思ったら、住民の人がエントランスを開けてくれました(命の恩人)。なんとか建物の中に入れたものの、部屋の扉はなかなか開かない。何回か扉をノックしたら、不機嫌そうなマザーの姿が見えました。

「私、調子悪いから起こさないで。こんなに夜遅くなるなら帰ってこないで。」と言われ、私はとりあえずひたすら「ごめんなさい。」と言いました(内心、帰ってこなくていいなら全然別の場所で泊まったのに…と思いました)。

思い出しながら書いていたら次々と話が出てきて、長くなってしまいました…。ということで、次回は残りの話を投稿します。

Part②-2予告

・アメリカ人ってテキトー
・夜はなんだかんだ怖い
・喧嘩上等
・その他(ホームステイ格差)

ぜひ、次回もお時間のある時に読んでみてください。

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