「生きてるだけで愛」映画エッセイ
公開 2018年11月
監督 関根光才
原作 本谷有希子
出演 趣里
菅田将暉
仲里依紗
あらすじ
過眠症で引きこもり気味、現在無職の寧子(趣里)は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木(菅田)の部屋で同棲生活を送っている。自分でうまく感情をコントロールできない自分に嫌気がさしていた寧子は、どうすることもできずに津奈木に当たり散らしていた。ある日突然、寧子の目の前に津奈木の元恋人・安堂(仲)が現れる。津奈木とヨリを戻したい安堂は、寧子を自立させて津奈木の部屋から追い出すため、寧子に無理矢理カフェバーのアルバイトを決めてしまう。
(映画COMより)
まず、寧子演じる趣里のヤベえ女っぷりに度肝を抜かれた。
(僕はこの夏2024年に鑑賞し、主演の趣里はNHK朝ドラヒロインの印象が色濃く残っていたので)
引きこもりなんてレベルではない、もはや精神病院につれて行けというレベルだ。
対して彼氏役の菅田は何も言わず、というかどうでもいいことはボソボソ話すけど(怒鳴ったり小言を言ったりせず)淡々と見守っている。
まあ菅田の方はいつも通りのイメージだ。
イカレ女に振り回されるおとなしい男の恋物語といえば、僕の世代では「東京ラブストーリー」のリカ(鈴木保奈美)とカンチ(織田裕二)を思い出す。
あちらのリカは若かりし鈴木保奈美の美貌とイカレた内面のギャップに、むしろ萌えキュンしたものだったが、本作の寧子を演じる趣里の容姿はかわいさゼロだ。
ああ、もちろん好みによるが、あ、いやいや、(趣里自体は朝ドラの時はかわいかったわけだから演技演出がすごいという事)イカレぶりもリカの100倍。
というわけで萌えキュン要素もゼロだ。
エンタメ性を求めるならストレスの残る作品になるだろう。
一昔前の僕なら序盤で早々にディスって観るのを中断したかもしれない。
しかし今回は、15年飼っていた猫が旅立った直後だったこともあってか、
気まぐれメンヘラ女を静かに見守る津奈木の眼差し、
佇まいにぐいぐいと引き込まれた。
結局、人は他者に対して無力だ。
できるのはせいぜいそばにいること、寄り添うことぐらい。
しかし、それが実は難しくもあり重要なのではないか。
などと考えていた僕の最近の心境にフィットしたという事もあるのだと思う。
昨今、外的な環境は進化著しい社会になっている一方で
心に生き辛さを抱える人が増えているのだとよく耳にする。
本作も多少の過剰性はあるものの、そんな現代を切り取る作品として、
根底に流れるものに共感できる人は多いだろう。
僕はあまり生き辛さは感じないタチだけど。
人間と人間の関係性として、理解しあえないもどかしさなどは痛感するところもあり、そこは共感できた。
本作の寧子と津奈木の姿は、個々として見ればエキセントリックすぎてリアリティもなく感じるが、(津奈木の静けさもある意味異常ともとれる)
二人の人間関係という点に着目してみた時、俄然リアリティを持って迫ってくる。
ラスト、寧子が屋上で投げかけてくるストレートな問いかけはズシンと胸に響いた。
実は本作、鑑賞前は、何も起きず、何も語らず、淡々と日常を描いていくだけで、あとは観客の解釈にゆだねるてきな
雰囲気だけオシャレ風映画かと疑念を持っていたが、
とんでもない、なかなかにはっきりした生きるヒントを示してくれる。
いやはや、久々に骨太な熱のこもった作品に出会えた気がする。