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「ジョーカー」藤堂志津子 読書感想

初版 2003年6月 講談社文庫(角川文庫1993年の再販)

なぜ今更こんなのを読む気になったのか・・・。
藤堂さんは青春時代にはまった作家さんの一人。
誰しも青春時代は輝いて思えるのではないか。
遠く離れれば離れるほどに
実際は鬱屈したものもたくさん背負っていたはずなのに
ただただ素晴らしき日々であったかの如く
昔はよかったと回顧するようになる。
そんなジジイになってしまったという事か・・。
いやいや。そこは認めたくない・・・。
僕の青春時代は80年代後半から90年代といったところか。
バブルのちょっと後・・・ギラギラした下品さが薄れて
台風一過の爽やかな風がキラキラと吹いていたような時代。
まだいろんな意味で余裕があって、特に文化的世界では
今に比べれば、ずっと挑戦的だったり、実験的だったり、実益よりも情熱を重視したものが作れる環境であったように思えるし。
逆に肩の力を抜いたどうでもいい、吹けば飛んでいく風のような作品も
量産されていた時代だった。
僕はこの時代の、そんな夏の終わりの潮風のような作品が好きなんですよ。
温かさの中に、ほんのちょっとホロ苦さや、淋しさがあって、しかし、後引かず、さらっと吹いては消えていくような・・・。
これもそんな作品です。
しかしね、ブックオフでちょっと前まで並んでた片岡義男や、藤堂志津子作品。
消えてるんですよ。
そうなってくるとなんかね・・・。
僕がこんなところで取り上げたところでどうなるわけでもないけれど。
ささやかなエールを送りたい。そんな気分になったのでしょうか。
愛すべき青春の作品たちにたいして。

あらすじ
家族思いの父、美人の母、気のいい姉に囲まれ、だが万穂子(まほこ)は心に鬱屈を抱えて育ってきた。
19歳、27歳、32歳、それぞれのラブ・アフェアの中で、彼女は常に誰かの切り札(ジョーカー)になってしまう。
他人を傷つけ、自ら傷つきながらの恋愛に、救いの時は訪れるのか?
祈るような人間へのいとおしみをクールにそして暖かく描く、
個人と家族、愛と孤独の変転の物語。
(アマゾン商品紹介より)

冒頭、19歳の主人公、万穂子はおしゃれなカフェで、そこの女主人カオル38歳と楽し気に話をしています。
カオルはいつも柔らかい微笑を浮かべているけど、その笑顔の裏にはたくさんのものを秘めているような奥深さも感じ。
万穂子にとってあこがれの大人の女性のようです。
しかしカオルは万穂子の父の愛人である。
万穂子はそれを承知で、親しくしています。
いや、むしろ家庭にはない唯一の心のよりどころになっているようです。
と、ここまでで、もう、歪んだ家庭環境の中で鬱屈を抱えて育ってきた万穂子の様子が感じ取れます。
そんなある日、カオルからもうここには来ないほうがいいと言われます。
聞けば、近く父と別れることになりそうとの事で。
万穂子はそれは困ると。唯一の居場所がなくなってしまうし、カオルのことも大好きだから父とは断じて別れてほしくない。と。
始めは話してくれなかったカオルから、その理由を、しつこく食い下がって聞きだすと、それは父に新しい若い女ができたようだと疑っている様子で。
父の会社の部下らしいその女の名前を聞き出し、じかに会いに行って真相を確かめます。
時子という23歳のその女が言うには、父とは、相談事で2人きりで会ったり、旅行に連れてってもらったこともあったけど、あくまで上司と部下以上のものはなかったと。
ならばそれをカオルさんに説明してと、嫌がる時子を無理やりカオルのもとへ連れていきます。
ここはさすがに、オイオイ余計なことを…と思うのですが。
ま、19歳ですからしょうがないですか。
案の定、時子に会ったカオルはこれまで見たこともない剣幕で逆上!
万穂子に対しても聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせかけます。
これで万穂子とカオルの関係性も、父とカオルの関係も終わり。
万穂子はカオルに対して、まさにジョーカーの引き金を引いてしまったのでした。
そんな万穂子が、27歳、32歳と、どうなっていくのかというお話です。

藤堂さんの作品に出てくる主人公はだいたい未婚女性。
結婚に過度な期待を抱いていない。
だからどうしても不倫や入り組んだラブアフェアな関係が描かれることが多い。
そういう関係がおしゃれでしょ?なんてクールぶってるわけではなく。
性愛に溺れているわけでもなく。どちらかと言えば性愛抜きに友情的な関係でいたいのに、ふとした淋しさに負けてしまって・・・。
イカンイカンと距離を取って。
しかしまた・・・。
と、そんなふうに、ゆれながら生きる姿が実に人間臭く暖かく描かれ、
たとえ不倫を描いていてもあまり嫌な気がしないんですよ。
そして何と言っても文章表現が面白いんです。
辞書で引かなきゃ分からないような難しい表現は一切なく。
誰もがわかる言葉で、しかしその並べ方で、「そう来るか!」と時にプっと声を上げてふきだしてしまうような、時に、ウンウンと頷かされる一文が、あちこちにちりばめられてるんです。

付箋の一文
多分、父は、自分を裏切る女性を、いっさいのかくし立てなしに目のあたりにすることによって、その女性を始めて信頼しはじめる・・。
妻の信子への疑惑を、死後もなを捨てきれずにいるのは、彼女が最後まで身の潔白を言い続けていたからではないのか。彼女はたとえ嘘であろうとも言うべきだったのかもしれない。「夕利子はあなたの娘ではない」と。その瞬間、父は救われたのかもしれなかった。

2020・10


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