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*AIが神になる日*の要約

テーマ
人工知能研究の第一人者である著者が、このままAIがシンギュラリティを迎えるとどうなるのか。人間が果たす役割はどうなるのかという問いを宗教、経済、生物学など様々な側面から考察した独自の見解をまとめてあるもの。

要約
・シンギュラリティに向かうAI(Artificial Inteligence)
AI>>>>>>>>>>>>VR,IoT,5G,ロボット
理由)人間の頭脳の働きをほとんど複製・拡大できるから
→天才とは、人間が本来持っている膨大な記憶の1部を瞬時に呼び出し、瞬発的な推論能力でこの中に隠されている「法則らしきもの」を見つけ出す能力を持った人のこと。
現在は「論理的な思考ベースの神経回路」の実用化止まりだが、これから感情や意志もAIには搭載されていく。I

AIの強み
1. スピード
2. 好き嫌い、疲れもなく、24時間働ける
3. 先入観など人間的弱点から自由である

先進国→宣伝の洪水からくる消費疲れ→ミニマリスト
途上国→食糧生産能力と医療保健システムの拡大、人口が爆発し新貧困層誕生

Why→"考える"という行為から人間的な"哲学する"という行為もできる
"考える"という行為以外の感情(最も激しいものは2つ)

①「親の子に対する愛」
②「男女間の愛」
→無意識に伴う性行為の予感
→欲望×優しさ×理解
※同性愛
→人間社会が十分に成熟してきたために個々の人間が多様性を求め生殖本能と直接繋がっている様な粗野な行動パターン忌避するようになってきたからではないか
③「国や郷土や同胞、一緒に戦う仲間たちへの愛」
④「行きずりの人たちへの優しい気持ち」
キリスト→愛
孔子→仁
仏陀→慈悲

憎しみ
①復讐心
→連鎖するのが問題
→ハンムラビ法典の正しい訳は「目には目だけ、歯には歯だけ」
②不正義に対する怒り
→革命を引き起こす

この感情たちに対しての、より賢いAIの向き合い方
→「理解する」だけ
最適解を提供することができるのがAI (情状酌量など)

意志
・AIもいつかは意志を持つ

AIの持つべき道徳観
→あまり詳細に決めず、法三章(「殺すもの / 盗むもの / 姦するもの は斬る」)のように、誰もが異論を挟めない原則的なものに絞り込んで、そこに留めるのが賢明。あとは、人間が介在せず、AI自身が自らの叡智によって、それの肉付けをしていくべきではないか。

「人類の歴史は、一握りの人たちの強い意志によって作られてきた」

総じて著者の意見は、AIは意志・感情・価値観等々「理解」まででOKで、それを持つ必要はないということ

本質的な4つの疑問を持つということが哲学するということ
①「この世界とは何なのか?」「自分はなぜここに存在しているのか?」
②「人間とは何か?」「自分は他の人間・社会とどのように関わっていくべきなのか?」
③「自分はどう生きればよいのか?」「何が大切で何が大切でないのか?」
④「この世界はどうあるべきか?」「そのために自分は何をするべきか?」

哲学とは、今何ものにもとらわれず、何も前提にせず考えること

①〜④の疑問からたくさんの思想、学問が錯綜している
AIは、現時点では「色々な措置がもたらす結果を予測し、良い点悪い点をできる限り定数的に読み取って、最終決定者である人間にアドバイスをする」

人間に最後まで残るのは、「哲学」と「芸術」

★AIはコントロール下に置くのではなく、制作や意思決定を委ねるべき
→暗殺もされないし、欲もない

BSの時代
AIはまあまあ役に立つ程度
 翻訳システム、教育システムにも力を入れるべき

10〜20年後
 完全に消滅してしまう職種も
 自分の居場所を確立するために「考える」ことが大事に

ASの時代
人間の仕事はサービスやデザインに
(接客、料理、芸術、芸能など)
通貨はビットコインに
感謝される ↔ 感謝することによってそれを得る

スポーツ
→自分の価値観を何よりも大切に。

にゃん吉の感想
ぼくらのが生きているこれからの時代はVUCAの時代と言われている。ざっくり言えば、誰にも予想ができない不確実な時代ということらしい。そんな不確実な時代を予測している著者は、本当に多岐にわたる分野への深い造詣を持っているのだろう。外れるにせよ、当たるにせよ、個人的にはそこはあまり重要じゃない。それより、ぼくらは外してもいいから、これからどういう時代になっていくのかを自分の言葉で話せるくらい、先を見据える必要があると思う。そして未来を予測するに当たってAIというものは必要不可欠なのだろう。
この著者にしても、宗教、哲学、近代史、最先端の情報技術などありとあらゆる分野に精通しており、その知識が土台となった上で知恵(ここでは自分の頭で考えた自分独自の考えという意味)が形成されていると感じた。
最終的に価値になるのは、"自分自身の考えを突き詰めた先に到達した考え"だという。だから、外れてもいいのだ。きっと。外れ散らかしてもいいから、自分の目で見て、脳みそで考えて、予測して、外して、少しずつ朧げな時代の輪郭を見出していけばいいと思う。
でも、自分の外側に答えを求めがちなぼくら、と"自分自身の考えを突き詰める"つまり、自分のなかに答えを見出すというのが価値というのは、ちょっと酷だなと思った。だって、あまりにもこの時代は、情報が氾濫しすぎやで。他人の尺度で測った情報が多すぎる。

この御恩は100万回生まれ変わっても忘れません。たぶん。