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西尾幹二『日本と西欧の五〇〇年史』を読む⑤「奴隷の経験がない日本」から考えた事

前回からの続きです。

本書の注目は、奴隷について真正面から取り上げ西欧史全体像に織り込んでいる点です。本書の中盤では、アリストテレス以来の奴隷についての西欧で議論を論じる、さながら「西欧奴隷思想史」の一節があります。所々で私も既知の内容もありましたが、総体として浮彫りにしたのは本書が初めてでは、と思いました。特に「奴隷にする(した)側の論理や背景」は自主規制しているかのように、一般にはほとんど説明されません。

そこで、本書の読後に「奴隷」に関して改めて感じたことを書いてみます。

私がふと思ったのは、奴隷は「左」の歴史学が好きなテーマなのに、奴隷の思想史に焦点を当てる著作は無かったのでは、と言う点です。これは別の感想もあるので後に回します。

そして、西欧の強烈な奴隷の歴史に比べると、日本では本書で大きく取り上げるキリシタンによる日本人奴隷売買以降は、「奴隷の経験」はやはり「無い」と言っていいと確信しました。

「奴隷」と言うと、日本だと反射神経ですぐに「かわいそう」という単語が出てきます。「奴隷」の経験が無かった歴史的な経緯から世界の「奴隷観」と相当な落差があることを自覚するべきと強く感じました。

アマゾンで「奴隷」を検索するとまず漫画が大量

まず、例えば実際に日本のamazonで「奴隷」を検索してみましょう。歴史上の奴隷と全然関係ない漫画が大量に表示されます。歴史的な「奴隷」を取り扱った本は、なかなか出てきません。良し悪しではなく、いかに日本が奴隷と縁がないか、を示す一つの例だと思います。

しかし、一方でこの点で数少ない「奴隷」を扱った訳書を筑摩書房が出版しており、本書出版も含め筑摩書房の編集者の眼力、経営陣の見識に敬意を表したいと思います。

憲法とその議論からも「奴隷」に現実味がない

さて。本書のテーマであるアメリカに関連もするので(このこと自体が問題ですがさておき。)、日本国憲法を見てみてください。奴隷と言う単語がしっかり出てきます。

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。

日本国憲法

いわゆるGHQ草案ではよりストレートに出ています。

Article XVII.  No person shall be held in enslavement, serfdom or bondage of any kind.
第十七条 何人モ奴隷、農奴又ハ如何ナル種類ノ奴隷役務ニ服セシメラルルコト無カルヘシ

GHQ草案

これは、本書を貫く視点「信仰」や拙稿の②でも書いた感想の中の「普遍」の考えで米国が「刻印」したと言えます。

ところが注目はこの18条を巡って、奴隷についての議論は余り無く、よくあるのは徴兵制との関係です。本書を読んでみれば、いかに頓珍漢か理解できると思います。奴隷そのものが議論の対象にならずに徴兵制が話題になるのは、これも「奴隷の経験がない」ことの表れだと思います。

「日本に奴隷や農奴があった」ことにしないと困るヒトたちの事情

「日本に奴隷の経験がない」と言うと「そんなことは無い」と左の反論があるかもしれません。理解できます。なぜかと言うと例の歴史観で「農奴制」が無いと理論が成り立たなくて困るからです。

それよりも「奴隷の経験が無かった」を国民的に自覚されてない点と対称的な「あったことにするマルクス史観」の教育支配の双方で、余計に混乱してきた方が問題だと思います。

シベリア抑留こそ日本が「経験させられた奴隷」

ついでに。「日本は奴隷の経験がない」と書きましたが、例外もあります。身近にある実例はシベリア抑留です。これも戦後親ソ派の左翼によって語りにくくなった事情もあります。その呪縛が解けたのか映画「ラーゲリより愛を込めて」が昨年公開されました。

韓国側の根拠ない非難への対応で政府の対応が甘すぎた

さて、私も韓国語使いですが、旧朝鮮半島出身労働者問題や佐渡金山で韓国側から根拠の無い非難や無礼な対応には辟易とさせられます。

それ以上に日本の外務省のお役所翻訳のような反論の対応には歯がゆさ、怒りが収まりませんが、この点で本書を読んで「強制労働」と言う点にアメリカが神経質になる背景を政府を含め説明の仕方が甘かったと痛感しました。

基本的な事実関係の説明だけを、二国間の問題だけで話するお役所仕事は全く甘い。西洋での「奴隷」を理解して第三国を相手にした効果的な反論としが不十分です。むしろ韓国側がこの西洋史を嗅ぎつけて織り込んでいくセンスに敗れたことに反省が必要です。

外国人技能実習生問題での米国側に対する説明も甘い

また、外国人技能実習生の問題は、以前より米国国務省から人権問題として批判されてきました。これも「奴隷の経験が無い日本」が鈍感になっていたと感じます。「強制労働」という直訳では非難を浴びている事態の深刻さが伝わらない気もします。

なお、注目されるのは外国人実習生問題を「憲法18条」からの告発・問題提起を余り見たことがありません。最低賃金や劣悪な労働環境など実際に問題は多々ありますが、(人権派弁護士の)告発者たちも大々的に「奴隷」という憲法18条の視点からの制度批判は意外に少ないもので、これも日本が「奴隷」の経験がないこと、身近でないことの表れと感じます。

日本政府は最低賃金などの制度の説明に終始しています。根本的には「日本が『奴隷』を経験しなかった」ことからくる西洋の「奴隷」の理解の甘さから、お役所作文の英訳で、日本での実態以上に米国側の大きな誤解を招いていないでしょうか。実際問題はあることはありますが、極端な一部の事例が大袈裟に扱われる危険性を政府も理解しているか気がかりです。時限爆弾になりかねない、という危惧を持つべきです。リメンバー「慰安婦」問題。

6月19日はアメリカの「新しい祝日」だが祝ってない州もある

これ書き出したのが6月19日ですが、米国マーケット休場で「え、休み?」と思いました。私もこの祝日が新しいので覚えていませんでした。

6月19日はバイデン大統領が当選直後2021年から連邦の祝日とすることを宣言しています。それだけ「奴隷」が米国にとって「身近」とも言えますが、「もしトラ」でこの祝日やめるか、も注目点です。

ついでに「もしトラ」関連。歴代大統領で奴隷使ってないのはトランプ大統領だけです。トランプ家が移民「新参者」という事情ありますが、オバマも母方の先祖が奴隷酷使していた歴史はあります。当然バイデン家も奴隷酷使。

さて一方で、この連邦の祝日を祝ってない州もあります。ここが注目で先のForbsのリンク先にあります。日本だと祝日とする側に肩入れしてメディアが報道しますが、むしろ反対する側の論理の詳細を見ていかないと、アメリカの実像が把握できません。そして日本で見落としがちなアメリカの「州権」のポイントも。

アラスカ/アリゾナ/アーカンソー/カリフォルニア/コロラド/フロリダ/ハワイ/インディアナ/アイオワ/カンザス/ケンタッキー/ミネソタ/ミシシッピ/モンタナ/ネバダ/ニューハンプシャー/ノースカロライナ/ノースダコタ/
オクラホマ/ペンシルベニア/ロードアイランド/サウスカロライナ/テネシー/バーモント/ウィスコンシン/ワイオミング

6月19日を祝ってない州

本書の1章で論じられた、これらの米国の本質的な部分(自分流に言うと「アメリカのアメリカ」)の内容を示す事例だと思います。

(つづく)







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