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2019年3月の記事一覧

銚子名物水たまり🐥3/7🐥

銚子名物水たまり🐥3/7🐥

私は人生で千葉県銚子市に行った事は数回しかない。小学生中学生の時にそれぞれ1度それから大人になって80年代の半ばに1度。ライカインコが昇天したときに1度。そして撮影で3回。それは今回の訪問も含める。全部で7回か?

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Chotokuブラパチワークショップ第19回天国の須田一政と歩く 1960年代の東京。 4月14日日曜日午後1時神田駅スタート

Chotokuブラパチワークショップ第19回天国の須田一政と歩く 1960年代の東京。 4月14日日曜日午後1時神田駅スタート

3月7日に須田一政さんが逝去なさいました。私は1966年4月29日にインペリアルパレスの二重橋前で初めて須田さんにお目にかかりました。ですからかなり長いお付き合いになります。今では大写真家の須田さんですが貴重なデビュー当時の須田さんをよく知っている私です。それになぞらえて1960年代の神田とその周辺を歩くツアーを企画しました。須田さんとカメラと写真論についてよく語った喫茶店でミニワークショップも開

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3月26日は父親の命日。アルマニャックと白い花。

3月26日は父親の命日。アルマニャックと白い花。

父親の命日である。何年に昇天したのかわからない。東京ニコン日記と言う私の本のトップにステートメントとして父と義理の母が亡くなった生没年を書いてあるのだがその本を持ってないので不明である。両親と義理の両親の亡くなった順番というのが私の父が1番バッター、次が義理の母でその次が義理の父そして4番バッターが私の母と言う状況だった。しかもこれが非常に短い時間に連続的にきたのである。私の父の葬儀の1週間後が義

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佃日記2004年12月

佃日記2004年12月

佃日記2004年12月 2004年 12月 1日 (水) 次の日の日記

★北京は新華通信社の売店
ハッセルブラッドのコピーの東風。
1996年だかに最初にここにきた時には、まだ値札が付いていた。たしかその価格は日本円で90万円と読めたのである。
この数年来、そのプライスタグはなくなって、もっぱら「文物」となっている。

★神楽坂のビシャモンポイントから
「路地裏の嵐作戦」に出撃する坂崎幸

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佃日記2004年12月抜き読み

佃日記2004年12月抜き読み

昨夕はNHKにて、Praha とTelcの様子を生放送していた。
そのごく一部を見たが、それぞれのコンテンツは「最低の知的ライン」に合わせてあるのは滑稽である。
アナウンサーとゲストがモルダウをボートで行くのである。
普通のプラハ市民が考えないような「突飛な視点」である。
観光バスで行く、JALパックの、これが公共放送の限界というところだ。

天皇がカレル橋を訪問した3年前に、橋の上の商人を全部、

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佃日記2004年12月抜き読み。イスタンブール

佃日記2004年12月抜き読み。イスタンブール

佃日記2004年12月。イスタンブール8時半に目覚める。
昨日とはうって変わって快晴にて、一片の雲もなし。
朝食に上の食堂にて顔見知りのボイさんと話をする。持参のR−D1に50ミリのプラナーを付けて、オベリスクや隣りの最高裁の上に休んでいる鴎連を撮影する。
31号室に戻ると、日光がいっぱいに差し込んで部屋ではまぶしくて目が開けられないほどだ。この部屋の10月に窓辺の出窓に横になって、本を読む楽しみ

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プラハ日記2004年12月

プラハ日記2004年12月

プラハ。
早朝に雨だれの音を聞く。
アトリエには広い天窓はあるが窓はないから、外の様子は分からない。天窓も曇ガラスである。
その分だけ聴覚が鋭敏になる。五時の始発の路面電車の通り過ぎる音がする。
春から秋なら、黒ツグミを始め、各種鳥の声もするのだが今はひっそりしている。

アトリエでの生活は、すでに身体が覚えている。
佃などより、ここでの生活の方が古いからだ。
起きてから、まず湯を沸かしてトルココ

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