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妊娠徒然日記-とりとめのない妊婦の話-

妊娠6ヶ月の終わり頃に猛烈に「書きたい」衝動に駆られてはじめたnote。妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回を書き終えて,妊娠徒然日記をはじめたものの,私の「書きたい」欲は急激に萎んでいった。

気付けば,1ヶ月近く放置していて,noteをはじめたときは妊娠6ヶ月の終わりだったのだが,今ではすっかり妊娠9ヶ月を迎えている。この間にもいろいろなことがあったし,書きたいことは山ほどある。でも,noteに書く気が起きない。そうか,これまではテーマを決めて書いていたからなかなか書けないのであって,特にテーマを決めずに,とりとめのない話を書き連ねる方法もあるよなぁと思いたち,久しぶりにnoteを開いてみた。今日はとりとめのない妊婦の話を書いていこうと思う。

noteをはじめてからの出来事。逆子になったり,4Dのエコー写真を見て口唇口蓋裂じゃないかと大騒動したり,そして,また逆子になったり。私の方は,貧血を指摘されたり,体重が増加しなかったり,そして,なんと妊娠9ヶ月を迎えた今でもつわりは完全には治っていなかったり。私の体調不良を除けば,幸いなことに妊娠経過はこれまで割と順調だったのだが,ここにきて,まさかの切迫早産気味になってしまったり。妊娠判明と同時に酷いつわりがはじまり,これまでに妊娠に伴うトラブルのほとんどを経験してしまったような気さえする(もちろん,妊娠糖尿病や妊娠高血圧などもっともっと大変な症状はあるので私のトラブルなんて大したことないのかもしれないが)。

健診に行くたびに,何かしらの不安ができてしまって,毎回の健診は憂鬱だし,緊張してしまう。何度やっても内診には慣れる気配すらないし。しかも,私は大のドライブ好きで,去年の夏には,夫と,東北一周車中泊旅行を敢行したほどだったのに,妊娠してつわりがはじまってからは車酔いをするようになり,今では健診に行く往復の道中ですら辛くてたまらない。ネットでは「健診楽しみ♪」などと言っている妊婦さんを良く見かけるのだが,健診を楽しみと思えるのが羨ましくてたまらなくて,そして,健診を楽しみにしてあげられていない自分がひどい母親なような気までしてしまう。

自分が妊娠するまで想像していたキラキラのマタニティライフとはほど遠くて,妊娠してからというもの,常にどこかしら具合が悪く,何かしらの不安を抱えていて,「妊婦ってこんなに大変だったの?」と思うことばかり。それでも,妊娠しなきゃ良かったとか,妊娠前に戻りたいとか,そんなことを思ったことは一度もない。こんなに大変でも,それでもなお,それを上回る幸せがある。大きくなったお腹はなんだか誇らしくて,愛おしくて,この中に息子がいるのだという実感はあまりないのだけど,それでも,お腹の中の息子を想像すると,自然と笑みが溢れるし,そして,何より幸せを与えてくれるのは胎動だ。はじめは,ポコポコと,これが胎動かな?と感じるくらいだったのに,今では,お腹の形が変わるほど,モゴモゴ,むにょー,ドンドン,ドスン,ぐいーんと日々激しさを増していく。そんな胎動を感じるたびに「これは神様がくれたご褒美だな」と思わずにはいられない。これまでの人生では,美味しいものを食べたり,美しい景色を見たり,大好きな夫と過ごすふとした瞬間などに「あぁ,生きてて良かった」と感じることは何度もあった。特に,去年,潰瘍性大腸炎を経験してからは,何気ない日常の中で,何度も何度もそう思った。でも,胎動は,この「生きていて良かった」とはまた違って,「神様からのご褒美」だと思うのだ。幸せで,かつ,心地よい,そして,神秘的。人生は大変だけれど,そんな大変な人生を頑張って生きている人間に,神様がくれたプレゼントのような気がして。具合が悪くて,不安で,眠れなくて,そんな真夜中だって,胎動を感じれば,「これも贅沢な時間だなぁ」と思わせてくれるのだ。夫や父親から「胎動ってどんな感じ?」と良く聞かれるのだが,体感だけでなく,一緒に湧き起こる愛おしい感情…私が語彙力がないのが原因なのかもしれないが,こればかりは経験してみないと分からないと思う。妊娠初期の頃は,出産が怖くてたまらなくて,夫が産めば良いのに,女に生まれるんじゃなかった…などと思っていたときもあったのだが,今では,この胎動を感じられるという一点だけでも,女に生まれて良かったな,とさえ思っている。

胎動そのものは母親の特権であるものの,最近では,夫も良く息子とコミュニケーションを取れるようになっている。夫と一緒にベッドでゴロゴロしていて,夫の腕が私のお腹に当たっていると,息子は夫の腕が当たっているところをよくトントンと蹴っている。夫は,「あ,今呼ばれた」とデレデレになっている。「胎動ってこんな感じなのか。ズルい。」とも言っていた。それから,逆子になってから次の健診の日には,夫は,お腹をトントンと優しく叩きながら,「逆子治してね。」「ママ怖がりだからね。」「ママに心配かけちゃだめだよ〜。」と話しかけたら,息子はその都度,ドスンとキックで返していた。このときは話しかけるたびにタイミング良くキックをしていたから,偶然とは思えなかった。息子にデレデレな夫を見ていると,幸せな気持ちが溢れてくる。これからの夫と息子との生活を想像するともう楽しみで仕方がないし,私の人生にこんな幸せなことが本当にあるのかなぁなどと大きなお腹を抱えた今でも信じられない気持ちにすらなるのだ。

私は,妊娠初期の頃からずっと息子に励まされてきたという話は,妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回で書いたのだが,最近も専ら息子とは通じ合っている。口唇口蓋裂で大騒動した次の健診のエコーのときには,息子は大きく口を開けて笑っていて,まるで「ママ,お口大丈夫だよ〜」と言っているかのように,その口を指差すようなポーズを取っていた。本当にそうなのかはもちろん分からないし,単なる偶然なのかもしれないけれど,なんだか健気な息子が可愛くて愛おしくて泣けた。ただ,「夫に似て」ちょっぴり悪戯っ子のようで,逆子になっていた。健診の前日,クラシック音楽を聴いて大暴れしていたから,なんだかそのときに逆子になったような気はしていた。ちなみに,息子はクラシック音楽にやたら反応するのだが,クラシック音楽の趣味は専ら夫の方なので,夫の遺伝子強し…と良く思う。まだ気にする週数ではないと医師に言ってもらっていたけれど,心配性の私はそれから次の健診までの2週間,悶々とした日々を過ごしてしまった。後から気付いたのだが,そういえば,私は健診の前日に夜寝れなくて,出産のことを考えていたら経膣分娩もなんだか怖くなってきて,これまではお腹を切るのが怖すぎるから帝王切開は絶対に嫌だと思っていたのだが,このとき,ふと,「もしかして帝王切開の方が良いかな?」などと思っていたのだ。健診のときにはすっかり忘れていたし,その後も,息子の悪戯にされていたのだが,よくよく思い出せば,息子は私のこの気持ちをも汲み取ってわざわざ逆子になってくれていたのだろうか。それから帝王切開について調べたりして,やっぱり経膣分娩が良いと思い,息子に,「頭は下だよ。ママお腹切るの怖いからお願いね。」とお腹を撫でながら何度もお願いした。それから逆子になった次の健診の前には,「今日はお顔は見せなくても良いから,逆子ちゃんだけ治してね。」とお願いした。健診のとき,エコーのためにベッドに横になったときはドキドキが止まらなかったのだが,見事逆子は治っていた。その代わり,これまでで一番顔が見えなかった。なんと親孝行な息子なんだろう。顔は見せなくても良いということまで忠実だ。私はさっそく親バカになった。
逆子の一件で,次の健診までの2週間を不安と共に過ごすこととなったのだが,でも,自分とは無関係だと思っていた帝王切開が現実味を帯びたことで,帝王切開についてじっくりと調べて,帝王切開についてじっくりと考えることができた。もし,逆子になっていなかったら帝王切開について考える機会もなかったと思う。今となってみれば,これは出産準備の一環としてとても良かったように思う。

それから,そのときの健診では,逆子が治って一安心と嬉しい気持ちで内診台へ向かったのだが,内診中のカーテンの向こうから「えー,短くなってるよー。入院になるかもしれないよー。」と先生の驚きと同情が混ざったような声が聞こえてきた。私は逆子のことしか頭になくて,これまで一度も短くなったことがなかった子宮頸管については1ミリも心配していなかった。今度はそっちかーと自分にツッコミを入れるしかなかった。寝耳に水といった感じで,私は,カーテンで遮られているため,独り言のような感じで「えー,そんなの全然気付かなかった。」「嘘ぉー。」とかなんとか言っていた気がする。結局,子宮頸管は2.6センチ〜3.0センチで,1週間後にまた健診するということになった。2.5センチを切ったら入院と言われ,次回の健診の結果次第では入院になる可能性もあると言われてしまった。このときは切迫早産気味であることが心配というよりは,今入院になったら,1ヶ月は入院になってしまって,コロナのせいで面会もできないから,夫と1ヶ月も会えなくなるなんて無理…という気持ちの方が大きかった。その後,冷静に考えると,私の心配は,入院云々よりも,今生まれてしまったら大変だ,と本来心配すべき方へシフトした。息子に早く会いたいと言い過ぎてしまっていたかなぁなどと思いながら,「早く会いたいけどあと2ヶ月弱はお腹の中で頑張ろうね。」とお腹を撫でながら,息子にお願いしている。

切迫早産気味になってしまった原因は分からないのだが,思い当たる節といえば,最近,仕事をし過ぎていたこと。仕事をしていると余計なことを考えずに済むし,そして,私は元から仕事が大好きだ。やりはじめると止まらなくなる。そんな私を見て,夫はいつも「仕事し過ぎじゃない?」「今は仕事よりも赤ちゃんが大事だよ。」と嗜めてくれていた。私がなかなか仕事をやめないことを知っている夫は,「俺も終わりにするから一緒に終わりにしよう。」「仕事いったん休んでお菓子食べよう。」などとあの手この手で私を休ませようとしてくれていた。それなのに私は「うん。もうちょっと。」と生返事をしながら,なんだかんだで自分のキリの良いところまで続けてしまっていたのだ。
夫の言うとおりにしとけば良かったなぁ。
いつだって夫の言うことは正しいし,私以上に私の体調を気遣ってくれるし,私以上に私のことを管理してくれている。切迫早産気味になってからは当初の夫のアドバイスどおり,仕事は午後からすることにして,最長4時間までと決めている。
妊娠してからというもの,まず,つわりで丸2ヶ月は寝たきりになってしまい,その後は少しずつ動けるようになったが,つわりも完全には治らず,体調が優れない日がほとんどで,おまけにコロナで,仕事とたまの散歩以外は家でゴロゴロしている他なく,元々じっとしていられなくて,仕事に勉強に,休みの日はアウトドアにと,ほとんど家でゴロゴロしていなかった私からすると,今の自分はなんだか怠けているような気がして,あぁ今日も何もできなかったなぁなどと罪悪感に駆られることもあったのだが,切迫早産気味になってみて,あぁ今の私はゴロゴロしてて良いんだ,とゴロゴロしていることにお墨付きをもらったような気がした。夫も「**ちゃん(私)が頑張り屋さんなのは分かるけど,今は赤ちゃん第一だからとにかくあまり無理しないでね。」と言ってくれて,今の私は赤ちゃんをお腹の中で育てることが一番大事だ,と心底思わせてくれた。本当なら母親である私が自分で気付いてすべきことなのに,夫の方がすでに親になっているような気がして,なんなら私の親でもあるような気がして,我が夫ながら,良い夫だと惚気たくなってしまうのだ。

最近,夜寝れないことが多くなってきた。まず,なかなか寝つかないのだが,寝ても3時間くらいで目が覚めてしまう。一説によると,授乳に向けて自然と体がそうなっているらしいのだが,もし本当にそうならば,人体ってすごい。まだまだ子どもの頃と何ら変わっていないような気がしていた私が,自分の意思とは関係なく,勝手に「母親」に作り替えられていくのだ。
この前,家で私の両親と一緒に飲んで酔っ払った夫が,「最近,母親の顔になってきたよ。」と言ったことがあった。そのとき,私は嬉しくて泣きそうになったのだが,なんだか恥ずかしくて泣くのを堪えた。小さい頃から「母親」というものに憧れを抱いたこともなければ,「母親」になりたいと思ったこともなかった。いつかは子どもが欲しいとは思っていたが,それはイコール「母親」になりたいではなかった。そんな私が「母親の顔になってきた」という夫の言葉で嬉しくて泣きそうになるなんて。ただ単に「母親」になりたいわけではなく,息子の母親になれることが嬉しくてたまらないのだ。そして,私は,まだまだ弱虫で,頼りなくて,わがままで,「母親」からは遠く離れているような気がしていたから,夫の言葉が,私のそんな不安を包み込んでくれたのだと思う。きっと言った張本人は酔っ払っていたから覚えていないだろうけれど。

それから,最近,やたら夫のことが好きだ。図らずしも,これまでのnoteにも夫が好きでたまらない話はたくさん書いてきたが,ここのところ,夫大好きが加速している気がするのだ。結婚して2年ちょっと経つのだが,結婚当初よりも今の方が断然夫のことが大好きだ。もしかしたら,これも妊娠の影響なのかなと思ったりもする。母親である私が,父親である夫のことを好きでいるのって,息子にとってはとても大事なことだ。もし,夫大好き現象も妊娠の影響であるとすれば,もはや,私は私ではなく,息子の母親に作り替えられてしまったような気がする。言ってしまえば,やっぱり私だって生き物である以上,子孫を残すこと,つまり,子どもを産み,育てることが一番大事なことであって,私の自己実現とかそんなことはどうでも良くて,きっと私の体も心も子孫を残すようにプログラミングされているのだろう。何の本だったかは忘れてしまったのだが,高校生の頃に読んだ本に「生物は遺伝子の乗り物だ」みたいなことが書いてあって,なんだかものすごく恐ろしくて,かつ,虚しさを感じさせられたのだが,今となってみれば,やっぱりそうなのかもしれないなぁと思わざるを得ないのだ。子どもの頃から人生においてさほど大事だと思っていなかった結婚や妊娠にこれほどまでも幸せを感じられているということは,やっぱり,人間も,子孫を残すことに喜びを感じるようにプログラミングされているとしか思えないのだ。そして,それはそれで素晴らしいことのように思うし,いろんなことに悩んでいるけれど,結局,人間だって,シンプルな生き物なんだなぁと思えて,ホッと安堵しさえする。これは妊娠してはじめて芽生えた感情だし,人生を小難しく考えていた私には衝撃的な出来事だった(この体験をまとめたのが妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回である)。

今回は最近の出来事や思ったことをとりとめもなく書いてみた。こんな風に,構えずに,ふらっと書いてみるのも良いかもしれない。特に眠れない夜は,悶々と悩むより,ポチポチと打ち込んだ方がよほど精神衛生上も良い気がする。まだまだ書き続けられそうだが,気付けば,さっきからずっと,構って〜と言わんばかりに息子がドスドスしているので,書くのをやめて,息子とお話しをして寝ることにするか。

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