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妊娠徒然日記-親の思い-

先日の妊婦健診での出来事。

その前の妊娠健診のエコーのときには全く顔を見せてくれなかった息子。
その日は妊婦健診に向かう車の中で夫と喧嘩をしてしまった。理由は夫が財布や保険証などが入ったバッグを忘れたから。私たち夫婦は,一緒に働くようになってから,とにかく何をするにも一緒で,家計の管理をしている夫が,共有の財布や保険証などが入ったバッグを持ち歩いている。
私は,つわりを堪えながら車で30分以上かけて病院へ行き,やっと着いたと思った途端に,「あ‼︎財布忘れた‼︎」と夫が言ったことで,この苦しみが無駄になったらどうするの?と怒りが込み上げてきて,夫を責め立ててしまった。私が診察している間に取りに行ってくると言う夫を責め続けていたら,さすがの夫も「だったら自分で管理しなよ」と応戦し,久々に口論してしまった。
お腹の中の息子が外界の音を聞いているであろう週数になってから夫と喧嘩をしたことはなかったので,ひととおり言い合いが終わった後で,しまった,と思った。お腹の中の息子に産まれる前から夫婦喧嘩を聞かせてしまったのだ。
お腹の中の息子に向かって,心の中で平謝りしたものの,ひどいことをしてしまったと落ち込んでしまった。
そんなことがあってから迎えたエコー検査では,お腹の中の息子は初めて逆子になっていたし,そっぽを向いていて,やっぱり嫌な思いさせたよね…とまたまた落ち込んでしまった。

そういうわけで,先日の健診は,前日から,お腹の中の息子に「頭は下だよ」「良かったらお顔を見せてね」とお願いしていた。
そうして迎えた健診。
息子は私の願いをきいてくれた。
逆子も治っていて,バッチリ顔も見せてくれたのだ。
そして,久々に見た息子はというと,前々回のときはまだまだ顔がはっきりしなかったのだが,今回はしっかり顔ができあがっている。しかも,めちゃくちゃ可愛い顔をしているのだ。
私はそれはそれは嬉しくて舞い上がってしまった。先生に「可愛いすぎません?」って聞きたい衝動をぐっと抑え,エコーが映し出される画面をニヤニヤしながら見つめてしまった。

そして,診察室から出てすぐに,新型コロナウイルスのせいで,健診の立会ができず,駐車場で待っている夫にLINEをした。息子のエコー写真とともに,可愛いすぎる,赤ちゃんモデルだ,などと産まれる前から親バカ全開のLINEを送信した。夫はどうやら私が送ったエコーの見方が分からなかったらしく,また私の親バカがはじまったとしか思っていなかったようだが,夫と合流して,エコー写真の見方を説明したら,夫も親バカ全開になってしまった。

帰りの車の中では,それはそれは2人で舞い上がってしまい,夫はイケメンすぎると興奮していて,これなら美少女も産まれるに違いないから女の子もほしいなどと,長男すらまだお腹の中にいるのにそんな側から見たら親バカとしか思われない会話を繰り広げていた。

私は,ふと,お腹の中の長男が順調に育ってくれているうえに,男の子がほしいという願いも叶って,さらに,顔まで良い子だなんて,これまで苦労してきたご褒美かな,と嬉しさがこみ上げてきた。もちろん,健康に産まれてきてほしいという願いしかないのだが,容姿という自分の努力ではどうしようもないものを,親の私たちから少しでも良いものをプレゼントできたら,それはそれで喜ばしいことだ。そんなことを考えながら,幸せに浸っていた。

そうして,家に戻ってからも,夫と相変わらず親バカを続け,エコー写真を何度も何度も見返していた。

そのとき,ふと,口元が繋がってないように見えはじめたのだ。
あれ?口唇裂じゃないよね?

幸せの絶頂にいた私は一気に不安の波に呑まれてしまった。そうなったらもういてもたってもいられないのだ。

私は口唇裂の子どもを否定しているわけではもちろんない。もしそうだったとしても,愛する我が子に変わりはないし,ありったけの愛情を注いで育てていくことに何ら変わりはない。そして,もしそうだったとしても,それが母親のせいではないことくらい分かっている。
分かっているのだ。頭では。それでも,私は,やっぱり私が薬を飲んでることが原因なのではないか,それとも私の病気?いや,妊娠初期にひどいつわりと精神的辛さを抱えていたから?やっぱり私が幸せになれるはずなんかないんだ…と次から次へと自分の責任を探してしまうのだ。
もともと心配症で,自分のことならまだ不安を消化する術を知っている。しかし,我が子のことになるとその不安の解消の仕方が分からなくなってしまって,もう不安の中でもがき苦しむ以外なす術がなくなってしまうのだ。

そんな私の様子を見ていた夫は,また心配症がはじまったな,と思いつつも,妊娠から来る不安定さだということもしっかり理解してくれて,なんとか私の不安を解消しようと画策してくれた。

「そんなに不安だったら一度近くの産婦人科で4Dエコーだけやってくれるところに行ってみる?録画してくれるところに行けば俺も久しぶりに赤ちゃん見れるし。」と,夫が提案してくれた。
そうだ,悩むくらいならそうしようと思い,さっそく近くの産婦人科で4Dエコーだけでもやってくれるところに行ってみることにした。

いつも妊婦健診で通っているのは大学病院であるため,個人の産婦人科のアットホームさと待合室の人の少なさに驚いた。私が行くとすぐにすでに待っていた人が診察室に呼ばれ,しばらくするとその人が診察も終わって出てきたため,もう私の番だなと思っていたところに受付の人がやってきて「出産がはじまったので診察を中断します。しばらくお待ちください。」と言われた。
今まさに誰かが出産に挑んでいるのだと思うと,そんな瞬間に居合わせることができてむしろラッキーだなと思った。受付の人に告げられて待つこと10分程。遠くから,オギャーオギャーと2回産声が聞こえ,その直後に拍手が聞こえてきた。
あぁ,この瞬間に誰かがこの世に生まれてきたのだ。なんとも言えない神聖な気持ちになると同時に,心からおめでとうと思った。妊婦さんも生まれてきたばかりの赤ちゃんも顔も名前も知らないけれど,幸せをお裾分けしてもらえた。

そうこうしているうちに診察室に呼ばれた。
そして,さっそくエコー。録画もできるということでこの時点では不安よりワクワクの方が大きくなっていた。
そして,映し出された息子。

頭抱えて顔隠してるやん…。

なんてことだ。わざわざ不安を払拭するためにエコーだけをしに来たのに,両腕をクロスする形で頭を抱え,顔を手で完全に隠している。先生も申し訳なさそうだったが,何分か見ているうちに,なんと,腕をどかしてくれた。
それでも,下を向いてしまっているらしく,ほとんど顔は見れずに終了。一瞬だけほんの少しの横顔が見れたのをプリントしてくれた。
何で顔を見せてくれないの…もしかして,私に見せない方が良いってこと?なんて不安になり出した。
そして,一瞬映った横顔のエコー写真をじっと見てみると,やはり口元が…。この時点で,私はパニックになりそうなくらい不安になったものの,診察室で,しかも,妊婦健診を受けてもいない初めましての先生の前で取り乱すわけにもいかない。
私は,大学病院で撮ったエコーともらったばかりのエコーを先生に見せて「口唇裂じゃないですよね?」と聞いたものの,横から見ても分からないと言われて終わってしまった。

そして,不安を取り除きに来たのに,それどころか不安のどん底に突き落とされたまま,診察室を後にした。待合室で夫にLINEをしながら泣きそうになった。会計のときも心ここにあらずといった感じでとにかく一刻も早く病院を出たかった。

病院を出て駐車場まで歩いていると涙が溢れてきた。

何で顔を見せてくれなかったの?

もう嫌だ…

幸せから不幸のどん底に突き落とされた気分だった。

夫の待つ車に乗り込むやいなや,号泣した。
見かねた夫は私の通っている大学病院に電話をして,今日もらったエコー写真を見ていたら妻が口唇裂じゃないかと不安になっている,口唇裂か否かはまだ分からないのでしょうか,と電話で聞いてくれた。しばらく保留音が流れた後で,先生が診察が終わったら確認して電話をすると言ってくれた。

車の中で私はずっと号泣していた。
夫は,たとえ口唇裂があったって自分たちの子どもに何ら変わりはない,可愛いに決まってる,愛情を持って育てていくだけだ,と言って聞かせてくれた。それから,私だって潰瘍性大腸炎になったけど不幸じゃないでしょ,潰瘍性大腸炎になったおかげで仕事を辞めて今があるんでしょ,赤ちゃんだってそうだよ、障害があるからって不幸って決めつけちゃだめだよ,とも言ってくれた。
こんな夫を見て,心底この人はすごいなと思った。夫はまだ自分は父親の実感が湧かないと言ってついこの間悩んでいた。しかし,私なんかよりよっぽど親だ。何があってもうろたえない,何があっても愛している,とどーんと構えているのだ。こんなに不安になってうろたえている自分がものすごくひどい母親に思えてきて,情けなくて,申し訳なくて,さらに泣いた。

家に着いても車の中で泣き続ける私に,夫が「赤ちゃんのこと大好きなんでしょ?」と聞いてきて,それでようやく我に帰ることができた。
そうだ,私は息子のことが大好きなのだ。
我に帰った途端,今度は,さっき,顔を見せてくれなかったと自分の都合でイライラしてしまった自分や,もう嫌だなどと一瞬でも思ってしまった自分のことが許せなくなってきて,今度は,息子に申し訳なさすぎて,ひどいことをしてしまった,と泣いた。

私は,何があってもずっと一緒だよ,と誓ったし,息子のことはすでに世界一愛しているのだ。だからもっとどーんと構えて,愛だけを感じられたら良いのに。その一方で,愛してるからこそ,息子が私のせいで何かあったらどうしよう,辛い思いをさせてしまったらどうしよう,と心配でたまらなくて,そして,そうやって不安でたまらなくなる自分も辛くて。いろんな思いがどっと押し寄せてきて自分で自分の感情を処理することができなくなってしまっていた。

それから私は家に着くと心身ともに疲れてしまって知らないうちに眠ってしまっていた。
仕事をしていた夫からの着信で目が覚めて,夫から先生から直接電話がかかってきたことを知らされた。そして,先生から,3Dエコーは合成だからそれを見て一喜一憂しないこと,すでに胎児スクリーニングで口唇口蓋裂がないことは確認済みであることを伝えられたらしく,先生はご安心くださいと断言していたと教えてもらった。
それを聞いてホッとして一気に不安が吹き飛んだ…と言いたいところだが,なんだかその話を聞いてもスッキリせず,憂鬱な気持ちは晴れなかった。それは,口唇裂があるかもしれないとわざわざ4Dエコーで確かめに行って,さらに,口唇裂かもしれないと号泣した自分が許せなかったのだ。何があっても愛することに変わりはないはずなのに,まるで障害があることを否定しているような気がしたのだ。私は,妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回でも,いかに息子を愛していて,息子がお腹にいることがどんなに幸せか,と書いていたのに,それさえも,綺麗事を並べていただけなんじゃないかと,自分のことが信じられなくなって,クアトロテストをしないと決めたときの私と比べると自分が違う人間になってしまったような気さえしたのだ。

夫は,先生に,妻はまたマタニティブルーになってしまっているようでご迷惑をおかけしましたと謝罪してくれたらしい。先生もきっとそれを知っているからこそ,わざわざ診察が終わった遅い時間になって,自ら電話をかけてきてくれたのだと思う。マタニティブルー最盛期のときに先生に相談していたし,そのときに先生が「あなたは潰瘍性大腸炎のこともあるからね」と言ってくれたように,私が去年急に難病を抱えた経験から,少しのことで不安になってしまうということを理解してくれているからこそ,その不安を和らげるために,看護師さんに任せるのではなく,自ら電話までしてくれたのだろう。本当に素晴らしい先生と出会えたと思う。夫も先生へ対する信頼がさらに高まったようだ。夫も先生もこれはマタニティブルーの仕業だと気付いてくれていたのだが,当の私は言われるまで気付かなかった。そっか,またマタニティブルーか…と思えるとほんの少し楽になれた。

それから寝る時間になってベッドに横になっても,寝ている夫の隣で,息子にひたすら謝り続けた。ひどいことしてしまってごめんね,でも,ママはあなたのこと世界で一番愛してるのは嘘じゃないからね…と何度も何度もお腹に語りかけた。お腹を優しくトントンとしてみると,元気よくトンと返してくれた。その小さな衝撃が私には余計に辛かった。こんな母親なのに,息子はいつも信じてくれていて,健気に返事をしてくれる。また涙が止まらなかった。

そうやって眠れない時間を過ごしていると,ふと,思い出した。
潰瘍性大腸炎になったとき,母から「できることなら代わってあげたい。」「こんな体に生んでしまってごめんね。」と言われたことを。私はそんなこと言われたくなかった。私は親が潰瘍性大腸炎になって苦しんでいる姿を見る方が嫌だし,まして,親のせいで潰瘍性大腸炎になったわけではない。でも,母は心配症で,いつも私のことを私以上に心配していたのだ。
それから,父だって潰瘍性大腸炎の私と「代わってあげたい」と言っていたし,潰瘍性大腸炎が判明するまでの間に,私が死んでしまうのではないかと泣いていたら,父も下を向いてバレないように泣いていたのだ。父が泣いている姿なんて,祖父が亡くなったときしか見たことがなかった。そんな父が泣いている姿を見るのはあまりにも辛すぎた。
そうだ,両親はいつだって私のことを自分のこと以上に心配してくれていた。私に降りかかる不幸を代わってあげれるものなら代わってあげたいと何度言われたことだろう。
私が今息子に思っている気持ちは,私の両親が私に思っていた気持ちなんだ。
生まれて初めてようやく親の思いが分かった気がしたのだ。
それに気付けたことで,私は,私が息子のことでうろたえて不安になってしまったこともそんなに悪いことではないように思えた。私だって息子に何かあるくらいなら,代わりに私がそれを引き受けたい。私に何かあるよりも,息子に何かある方が心配なのは,親として当然なのかもしれない。そう思えば,息子もその日の私を許してくれるはずだ…と少しホッとして,ようやく私は眠りにつくことができた。

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