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妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅰ-私のこれまでの人生における結婚・出産の意味-

現在妊娠6ヶ月も終わりを迎えようとしている。

妊娠が判明してから約4ヶ月,ほんの4ヶ月の間に,31年とちょっと付き合ってきたのに全然知らなかった自分が現れた。
めまぐるしく変わっていった私の感情をすっかり忘れてしまわないうちに,備忘録として,残しておこうと思う。
辛くて,苦しくて,逃げ出したくて,怖くて仕方なかった妊娠初期の自分に一番読んで欲しい。

1 私のこれまでの人生における結婚・出産の意味

子どもの頃から(そして今も全く変わっていないが),たとえ先生や大人の言うことであってもおかしいことはおかしいし,おかしいと指摘するべきだと思っていたし(そして,実際そうしていた),曲がったことが嫌いで,自分の信念を貫くことこそが大事であってそのせいで不利益を被ることを何とも思っていなかった。自分の生きている世界を住みやすくするために思ってもないお世辞を言ったり,おかしいと思いながらも指示に従ったり,そんなことするくらいなら,むしろ住みにくい世界に住んでいる方がマシだった。
そういうわけで,子どものときにすでに自分は組織や集団に向いていないと気付き,大人になったら自分1人でも生きていけるようにしっかり勉強しなければならないと思うようになった。

子どもの頃の私は,勉強して努力して立派な職業に就いて,そしてキャリアを築くことこそが幸せなことであり,結婚や出産なんてそんなのは人生において当たり前に起こる出来事であって,物心ついたら両親がいたように,大人になったら当然に夫や子どもがいるものだくらいにしか考えていなかった。同級生の女の子たちが将来の夢はお嫁さんになることとか,お母さんになることとか言っているのを見て,内心,夢がないなと小馬鹿にすらしていた。
それくらい,私の人生において,結婚や妊娠・出産は大事なことではなかったのだ。

それは,20歳を過ぎてからも変わることなく,20代前半の頃は,同級生から結婚や出産の報告を受けても羨ましいなんて感情は全く湧かず,自分のことができなくなってかわいそうくらいに思っていた。
後述するが,25歳にして不本意ながら社会人となるのだが,社会人になった途端に,独身の肩身の狭さに気付くようになった。と,同時に,「あれ?もしかして,結婚ってただ生きているだけではできないの?」と気付きはじめるが,「婚活」とかそんなかっこ悪くて,勉強と違って努力の方向性すら分からないようなものを絶対にしたくなかったし,自分の中に「結婚願望」が芽生えるのすら,なぜかものすごくかっこ悪いことのように思えていたため,とりあえず,内なる声に気付かないふりをして過ごしていた。

しかし,私も動物だったのか,適齢期と言われる20代後半になると,もう気付かずにはいられない「結婚願望」が芽生えてしまったのだった。
24歳までとにかくがむしゃらに勉強をしてきて確固たる目標があったし,人生の全エネルギーを注ぐものがあったが,その目標を達成する前に,突如現れた将来への不安から,25歳を前に「とりあえず,いったん就職しよう。いつでも辞めれるし。」と思ってしまい,よりによって,まさかの「THE 組織の一員」たる公務員となってしまったことで,私のこれまでの価値観が大きく揺らいでしまった・・・ということも一因としてあるように思う。
そういうわけで,20代後半にもなると人並みの「結婚願望」を持つようになり,とりあえず,飲み会(いわゆる「合コン」)に参加したり,友だちから紹介してもらったりというライトな「婚活」っぽいことをしたりもした。
しかし,未だ達成していない目標をいつかは達成したいという自己実現の願望も残っており,本格的な「婚活」はしなかった。というより,結婚にそこまでの情熱を持つことができなかった。

そうこうしているうちに,あっという間に30歳が見えてきたのであった。
ちなみに,この段階でも,私にとっての結婚はそろそろしなければいけない気がするというものであって,結婚したら幸せになれるとかそんなことはちっとも思っていなかった。出産については,人生でいつかは子どもが欲しいけど,まだ目標も達成してないし,今は40代でも産める時代だし・・・くらいにしか考えていなかった。というか,自分がまだ半人前だし,子どもの頃からそんなに変わっていない気がするのに,子どもが子どもを育てるような気がして,現実問題として子どもを持つことについて考えたことすらなかった。結婚すらしてないし当然か。

つづく

第2話はこちら⇒ 妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅱ-突然現実化した私の結婚-

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