ありふれた時間が愛しく思えたら
1歳の息子は、いつのまにか、iPadでYouTubeを開いて、お気に入りの動画を再生し、しかも、それをテレビにとばすようになっている。
iPadでYouTubeはそんなに見せていないのだけど、ほんとに「いつのまにか」覚えている。
なんならこの間なんて、私と夫が掃除をしていたら、息子は、じいちゃんによりかかって、iPadで音楽を再生しながら、知育アプリで遊んでいた。
そんなこと、誰もやっていないのに。
どうやって覚えたの?
* * *
息子が生まれてからというもの、息子の顔を見ているときに、ふと、そろそろ時が止まらないかな〜と思うようになった。
息子の成長は楽しみだ。
でも、今目の前にいる息子をもっともっと眺めていたいとも思う。
昨日の昼間も、ふと、そんなことを考えていた。
赤ちゃんと子どもの境にいるような息子が可愛くてたまらなくて、いろいろできるようになってきているけど、まだ、きごちなさが残っている感じも、まだまだ話せないけど、自分の意思を身振り手振りで伝えようとしている感じも、そのあどけなさが可愛くて、可愛くて。
日に日に駆け足で成長していくような息子に、ゆっくり、ゆっくりね、と、つい言いたくなる。
* * *
昨夜、息子はMr.Childrenのライブ映像を流していた。
息子がお腹にいたときに私が流していたものを、いつのまにか、自分で流すようになっている。
寝る直前だったからそのまま流しておいて、夫が息子に飲み物を飲ませて、私はその様子をぼんやり眺めていた。
そうか、愛の仕業か。
これまでの人生で、どんなに楽しいときでも、時が止まればいいなんて思ったことはなかった。
でも、今は、息子を見ているだけで、時が止まれと思う。
それは、まさに、「ありふれた時間が愛しい」のだ。
そう思わせてくれるのは、私の息子に対する愛なのか、それとも、息子の私に対する愛なのか、あるいは、その両方なのかもしれないけど。
どうやら、「愛の仕業」であることには間違いないようだ。
高校生の頃から何百回も、もしかしたら、何千回も聴いたこのフレーズが、昨夜はなんだか身に染みて、なんだか自分の人生をまるごと愛せそうな気さえしたのだった。
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