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ジャーン。

こんばんは。
今日はジャーン20日目のnoteです。

まるこめ。さんの画像をお借りしました。
ありがとうございます。
本と花が一緒にあるところが好きです。

「静かに生きて考える」
言葉のチョイスが大好きです。

”自分以外の人たちに、自分の感情を受け止めてもらおうとする欲求が強くなりすぎ、自分一人では楽しめたい、悲しめない、怒れない、笑えない、という症状を呈する。”

自分の感情を人に判断してもらっている
ということらしい。

もちろん、これが正しいとか
そうじゃない
とかそういうことではない。そういう話ではなく、そう感じるんです、という話。

他者に認められないと、自分の立場が築けないのは、人間社会のルールでもあるのだからそれもそうだろう。
では他者基準になると、どうなるか。自己評価する能力が育たない。人の判断を仰がなければ、自分の良し悪しがわからないのだから。こうなると、自分の才能を人の判断によって認めることになる

ならば、どの人の判断を基準にするのか
判断を委ねる相手によって変わってしまうじゃないか
なんて考えてしまって
生きづらいな、と感じてしまった。
全部、みなさんどう思います?って聞かないと不安でことですよね。
私、あってますか?っていう確認作業をしていくのはしんどいかもな。

こういう人がいるね、最近という話です。よ。
だから、誰がどう感じるかはその人次第です。

みんながみんな同じような感覚はないでしょうし。
私自身はどちらかというと
好きに考えさせてよって思ってしまうかもなぁ

と思いながら読んでいます。

自分の感情を大事にしようと決めたので、誰かにその感情に対してOK出してもらおうとは思わないです。私の感情は私のものです。

なーんて。

確認して安心できるのなら、それはそれ。
ただ、その感覚を強要されたくないだけ。
どういう状況がその人の安心を生むのかはその人にしかわからないだろうし。

これとは違うのかもですが、
人との話の中で気づくことももちろんあって
そこは怒っていいとこだよ
悲しいなら悲しいでいいんだよ
エンジョイすることで、それが相手に伝わっったんだね

など
自分では気づかない感情を教えてもらうことも
あります。
それが自分の感情への後押しになったりする。
これも他者に決めてもらっていることになりますかね。

ん。
これは他者の客観的な視点で言ってくれる意見だったりする訳で。
どうですか?どう思いますか?
とは投げかけていない。
あら。
自分にはない視点で、そういう感情もあるのかっていうパターンです。

あれ。
考えてたらよくわからなくなりました。

こんな自分はおかしいのかな
っていう不安が誰かに自分の感情・判断を委ねることにつながるのかな。
一緒じゃなくてもいいのに。

もちろん一緒だと楽しいが倍になったりします。
共通のイメージによって、個々の能力が上がったりする気がします。

自分の感情を
誰かの感情を
大事にして
自分の感情がどこかへ行ってしまわないように。
どんな感情を抱いても
誰の許可もいらないでしょー。
湧き上がった感情は自分の大事なものでしょー。

今の私は
どれだけ自分の感情が大事なのか
そのまま受けとめることがどれだけ自分に必要なことなのか

ジャッジせず

おー。
そう思ったか
そういう感情になったか

それがどれだけ大事なことなのか
自分自身にとって。

この自分の感情を相手に投げて
どうすか?
自分は外れてないっすか?
ってなると、自分が自分でわからなくなっちゃうんだなって。

そして
何も感じなくなる

感情があることがどれだけ生き生きとしたことなのか。
エネルギッシュなことなのか。

これに気づけたこと
本当に良かったと思っています。

自分で自分の感情を感じとることを目指していこうと思います。
自分を蔑ろにしない。
自分で無理しない。
感じることを我慢しない。

時間をとって
内省すること
習慣化していきたいところです。

100日後の自分のこと
楽しみにしたいです。

では
また

よろしくお願いします。

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