長崎のイスラエル不招待と各国欠席表明などまとめ
昨日8月7日に長崎市で開かれる平和祈念式典にイギリス駐日大使が欠席を表明したことを皮切りに、日本以外のG7各国が次々に不参加を表明していることで、全国でも大きなニュースになりつつあります。
まだ、自分自身の気持ちも整理がついていませんが、今の気持ちそのままに記事にまとめてみました。
この記事は2024年8月8日(木)・9日(金)に執筆しました。
いま、なにが起きているのか
長崎市では、毎年長崎市に原爆が長崎市に投下された8月9日に「平和祈念式典」を開催しております。その主な目的は、「原爆で犠牲になられた方への慰霊」です。
今年、例年は招待されているイスラエルを不招待としたことで、他の招待国から欠席表明が相次ぎました。
毎年粛々と開催されていた行事の動向が注目を受けています。
ことの経緯を時系列で振り返る
少し順を追って現在までの流れをまとめました。
一部正確な日付がわからなかった部分は日付を省略しています。
2024年
長崎市は、平和祈念式典へのイスラエルの招待を保留としていた。これに対し、G7の6カ国(米英独仏伊加)は、同国招待を求める連名の書簡を送付
7月31日(木)
長崎市は臨時記者会見にて、イスラエルの不招待を正式表明。
8月7日(水)〜8月8日(木)
イギリスを皮切りにアメリカ、その後フランス・ドイツ・イタリア・カナダが平和祈念式典への不参加
8月8日(木)
長崎市は臨時の記者会見にて、改めてイスラエルを不招待とした理由を説明。対応に変更なし。
不招待の理由は「参列者の安全の確保及び式典の円滑な運営」
長崎市は不招待の理由を政治的な理由ではなく、式典の開催の安全面を考慮した結果としております。
恣意性を持たせないように、記者会見内容を市のホームページからそのまま抜粋しました。
先日もハマスの最高指導者殺害されるなど、イスラエルとイランを中心とした中東間では緊張感が高まり続けているのが現状です。イランからもイスラエルに対し、攻撃予告と取れる発言も度々出ています。
平和祈念式典の主催者は、長崎市です。イスラエル駐日大使を招いた場合、警備体制を例年以上に強化する必要性が出てくるでしょうが、各国代表を招くにあたっての警備強化も一自治体では限界もあるでしょう。
式典には多くの市民が参列します。被爆者やその家族です。想定される最悪の事態が式典で起きた場合には、大使の安全はもちろん一般参列者にも被害が及ぶ可能性も否めません。
長崎市として、慰霊の場を設けることを優先した結果となりました。
他の不招待国は、ロシア・ベラルーシ
ロシアによるウクライナ侵攻は2022年2月に始まったことです。
2022年8月の平和祈念式典から、侵攻国であるロシア及びその協力国であるベラルーシを広島市・長崎市ともに不招待としました。
当時、広島市は「式典の執行に支障ないよう」不招待としたこと、また、外務省とも協議の上判断したとのニュースを見つけました。
長崎市に関しても市の記者会見資料を遡りましたが、今のところ詳細部分は見つけておりません。
各国の欠席理由
ここで、各国の欠席理由についても振り返りたいと思います。イギリス・アメリカのみ取材コメントを見つけましたので、下記に引用しています。
前述のG7からの6カ国の書簡では、イスラエルを招待すべき理由として、ロシアやベラルーシが不招待であるため、「イスラエルを(不招待として)同列に置くことは誤解を招く」からとのことでした。
イギリス
アメリカ
長崎市からイスラエルへ送った書簡
不招待が正式に決まる前、長崎市からイスラエルへ平和祈念式典への招待保留について書簡を送った時、そこには即時停戦を求める内容が含まれることが報道されていました。
みなさんは書簡の内容をどのように受け止めましたか?
選ぶ言葉によって、込めるメッセージのニュアンスは大きく変化するでしょう。
記事の内容だけでは、やや柔らかいニュアンスの「招待したいけども今のままでは主催者として安全確保を約束できないので停戦してほしい」なのか、より強い「武力衝突は望んでいない。即時停戦を求める。そのような最中にある国は安全確保を約束できない。」なのか、判断しきれないですね。
食い違う長崎と各国
長崎市の不招待理由は、式典の安全な実行を優先することでした。イスラエルに送られた書簡の報道もありますので、表向きという部分は否定しません。ただし、明確なそれ以外の理由も公式には出されてはいません。加えて、政治的な意図はないことを断っています。
何らかの式典を開く際、相手が異なれば不招待の理由は必ずしもひとつではないでしょう。
しかしながら、G7の6カ国は、イスラエルがロシアやベラルーシと似た存在である、つまり有体に言えば侵略者であるとの「誤解を招く」ことを理由に欠席することになりました。欠席表明をしたことで、結果的に本件を政治問題化させ、結局恐れていた「誤解」を現実のものにしてしまったのは、長崎市ではなく、欠席国自身に私にはみえます。
日本政府のリアクション
今回の長崎市の対応について、日本政府からは以下のようなコメントが出されました。
正直不思議に思ったのは、ロシア・ベラルーシの不招待を決定した際には、外務省と協議をしたと広島市が公式の場で発言していること。
この流れを踏まえると、長崎市も今回イスラエルに対しての不招待を決定するにあたって、事前に外務省となんらかのやりとりはあったと考えるのが自然です。日本政府としては、本件が政治問題化してしまった以上、アンタッチャブルというのが実情でしょうか。
外交国の中でもとりわけ、日本はアメリカを優先・尊重しています(せざるをえません)から。
過去にはイスラエル批判もした長崎という土地
記憶にある方もいるかも知れません。昨年、イスラエルはガザ地区に対し、「核爆弾を使用することも選択肢である」という趣旨の発言をしました。
長崎県内のキリスト教系4大学は共同で、この発言に他する抗議声明を出しています。
全文をご紹介したいので、こちらにリンクと引用を貼ります。
ニュース記事です。
長崎にいると『長崎を最後の被爆地に』という言葉を度々耳にします。これは、この長崎に住む方の素直な願いとして私は受け止めています。
長崎市で育った夫とも少し話をしてみた
長崎市出身の夫ともこの3日間、ニュースを追いかけながらこの件について話をしました。
イスラエルを招待した広島、イスラエルを招待しなかった長崎、どちらの判断も正しいし、当事者の判断が尊重されることが大前提ではないかと思います。
イスラエルを招待することでも、不招待とすることでも、そこに意味を込めることができます。どちらも異なる方法ですが、式典の場で平和を訴える、式典への参列を断ることで平和を訴える。伝えられることは同じだと思います。
式典はあくまで平和を祈るきっかけです。極端な話、その場におらずとも平和を祈ることはできるのです。
今回の各国の欠席で、原爆被害者を悼む場である平和祈念式典そのものが、各国の「中東情勢においてイスラエルサイドに立っている」という平和祈念式典の趣旨とは直接関係のない政治的なパフォーマンスに利用されたような形になったことが、個人的には一番残念でなりません。
長崎市にとって、8月9日はとても大切な日です。移住して1年半という短い期間ですでも、強く感じました。
私の地元では、8月15日の終戦の日は黙祷のサイレンが鳴ります。
長崎市では、8月6日、8月9日、8月15日に黙祷のためサイレンが鳴ります。小さな違いですが、大きな違いです。
8月9日には、公立学校が登校日になる。平和教育がカリキュラムに組み込まれているなど、教育面でも違いがあることを夫と話すことで知りました。
同じ日本の中でも、原爆に限らず、反戦・平和意識の熱量が異なることに衝撃を受けました。
今日、長崎のテレビでは、NHKを含む3局が長崎平和祈念式典を中継報道しています。皆さんの地元ではこの時期どのような報道や特番がされていますか?
長崎市、広島市がもつ被爆地という特別な立場
被爆地である長崎市及び広島市は、特別な立ち位置にいます。
今回のように、日本としては昨今の中東情勢においてアメリカ寄り、ひいてはイスラエル寄りの立場を取っています。取らざるを得ない部分もあると思います。
長崎・広島は、日本の外交上の立場を飛び越えたメッセージを送ることができます。
最後に:WW1のクリスマス休戦を振り返る
この件で、少し思い出す写真があります。
第一次世界大戦の最中のクリスマス休戦の有名な写真です。
最後に紹介してこの記事も終わりにしたいと思います。
第一次大戦中、敵国として戦い合っていたイギリスとドイツの兵士が、クリスマスに休戦しました。お互いの兵士だけで休み合うのではなく、昨日まで前線を挟んで戦闘を行っていた兵士が集い、タバコを分け合い、サッカーに興じたのです。
平和ってなんでしょうか。この写真も一つの平和の体現だと思います。
人間の本質はクリスマス前日まで戦い合っていた方でしょうか。それとも写真のような部分でしょうか。その両方でしょうか。
「立場」がなくなってしまえば、簡単に仲良くなれるのが人間じゃないでしょうか。大人はいろんなことを難しく考えすぎて世の中こじれちゃってばかりで嫌になってしまいますね。
今回の一連の報道を受けて、私がそのきっかけをもらったように、この記事やニュースが、多くの方の考える切っ掛けになれば嬉しいです。
長い記事になりました。最後まで読んでいただきましてありがとうございました。