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「正しさ」を超えた「楽しさ」を

先日、娘のはじめてのピアノの発表会だった。

毎日練習を見てきた私は、発表会前日から「舞台で頭が真っ白になったらどうしよう」とか「途中で間違えてパニックになってしまったら・・・」と、ものすごく緊張していた。緊張度合いで言うと、大学の合格発表日ぐらいだったかも知れない。

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当日の髪セット。時間ないのに、要求が細かい。

当日を迎え、最後の練習や着替えをしているうちに、あっという間に開演時間になった。娘を舞台袖まで見送るとき、私は自分の緊張を隠すように「楽しんできてね!」とハイタッチした。娘は「うん!もうひとりで行けるから大丈夫!」と笑顔で手を振って、舞台袖に入っていった。

「はぁ~ひとりで行けるんか・・・大丈夫かなぁ。ちゃんと最後まで弾き終われるかなぁ」と、心配する私をよそに、娘は颯爽と舞台に現れ、いつも通り2曲弾き切った。弾き終わると、少しはにかみながらペコリとお辞儀をして、舞台を後にした。

客席を出て娘をロビーまで迎えに行くと、笑顔の娘は、「ちょっと緊張したけど、楽しかったよ!」と話してくれた。

「練習は真面目に頑張り、本番は楽しむのが大事」だと思っている私は、娘の言葉を聞いて嬉しくなった。

「発表会、楽しかったんや。よかったなぁ~」それまで不安と緊張でドキドキしていた私の心臓の音が、穏やかになるのを感じた。

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発表会を終えて家に帰る途中、私はふと考えた。「練習は真面目に、本番は楽しく」という考えを、私はどこで学んだのだろう。

私も、3歳からピアノを習っていた。でも、弾く度に先生や親に注意され、はっきり言って嫌いだった。発表会も何度か出たが、練習で叱られた記憶しか残っていない。

ピアノを辞めて8年後、高校生になり吹奏楽を始めた。「音楽なんて、ピアノでこりごり」と思っていたが、中学で仲の良かった吹奏楽部の友達が楽しそうに練習する姿を見て、「高校生になったらやってみようかな」と思ったのだ。

吹奏楽で私が担当したのはユーフォニウムという金管楽器だ。最初は音が鳴らないながらも、先輩のサポートもあり楽しいだけだったが、コンクールの時期が近づくと、またピアノと同じように叱られることも増えた。

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ユーフォニウム。マイナーな楽器だが、トランペットみたいに金属でできていて、息を吹きこむと、中低音の柔らかくて優しい音がする。

当時の先輩は優しくも厳しい人で、練習中は吹く度に注意を受けた。うまく吹けない自分が悔しいのと、単純に先輩が怖いのとで、演奏しながら何度も泣いた。ここまで振り返るとピアノの時と同じだ。

でも、吹奏楽は途中でやめなかった。高校では部長まで経験し、結局大学卒業までの7年間、ほぼ毎日ユーフォニウムを吹き続けていた。なぜなら、叱られても、楽しかったからだ。

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なぜピアノは叱られて嫌になり、吹奏楽は叱られても楽しかったのだろう。

自分なりに考えた答えは、こうだ。

ピアノは楽譜通りに正しく弾くことだけを求められていた(ように感じていた)けど、吹奏楽は正しさだけでなく、自分や部員が納得できる演奏を突き詰めることを求められていたから。

ピアノを習っていたときは、楽譜に書いてある音符や記号を「正しく」弾くように教えられてきた。だから音符を間違えると叱られたし、テンポ通り弾けないと注意された。(この指導法は私が幼かったこともあるのかも知れないが。)

でも吹奏楽は違う。もちろん、数十人の奏者と合奏するのだから楽譜通り演奏するのは当たり前だ。でも、「正しく」演奏することに加えて、一音一音、どんな表現にすべきか悩み、自分の音色に落とし込むことが重要だった。

表現には「正しさ」はない。自分や部員が納得するまで、毎日磨き上げる。曲を何度も聴き、考え、練習し、時には議論しながら。思えば先輩に注意されるのも、演奏の「正しさ」よりも表現不足が原因のことが多かった。ピアノと同様に叱られて涙した日もあったが、吹奏楽は「正しさ」を超えた試行錯誤の過程が、すごく楽しかったのだ。

「練習は真面目に表現を磨く、そして本番は練習を積み上げてきたからこそ楽しめる」そう考えるようになったのは、7年間の吹奏楽の経験からだった。

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「正しい」ことは、一般的に良いこととされる。でも、「正しさ」だけではなく、自分にとって納得のいくまで突き詰める「楽しさ」も、とても大切だ。

これは仕事にも、生き方にも当てはまるように思う。社会のルールを守る「正しさ」を持ち合わせるのは大前提だが、十人十色の価値観や環境の中で「正しい」生き方や仕事なんてない。自分が納得できるまで、試行錯誤しながら生きなければならないのだ。そして、本気の試行錯誤のなかで、人は「楽しさ」を見いだすのだと思う。

だからこそ、娘には「正しさ」も知って欲しいが、それよりも本気の「楽しさ」をたくさん感じてほしいと思う。音楽でも勉強でもスポーツでも、そして生きることそのものも。きっと楽しい経験が、可能性を広げ、人生を彩り豊かにしてくれるから。



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