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見えなくてもインプット

 Noteを始めてよかったのは、書くことだけではなく、いろいろな人の記事を読む楽
しみをいただいたこと。その中で皆さんが口をそろえておっしゃっているのがインプ
ットの重要性。私自身、せっかく盲人なのだから、盲人ネタ縛りで書き始めて一年以
上、正直こんなに続けられるとは思っていなかった。

はじめのうちは見えない大変さを面白おかしく紹介できればと思っていたけれど、正
直ネタが尽きる。ではどうして続けられたのかと改めて考えた時、自覚してはいなか
ったけれど、いつも必ず何らかのインプットがあったのである。友達との会話や読ん
だ本、いつもBGM代わりに聞いているラジオ。その中からふと引っ掛かったものを見
えない日常生活に引き寄せて書いている。


会社が自宅待機になってしまい、脳トレ感覚でNoteを始めた。思わぬ副産物としてよ
かった事は、今までのんべんだらりと本を読んだり映画を見たりしていた所、Noteの
ネタが転がってはいないかとアンテナを伸ばしつつインプットするようになった。そ
して、インプットした内容に対して、自部がどこに引っ掛かりを感じたかをその都度
言語化するようになった。
いやー、ない頭を頑張って動かしているじゃないか、自分!筋肉と一緒で少しでも動
かしていれば脳もさび付かないでいられるかな。


感動抜きの障碍者ネタ何てほとんど需要はないだろう。しかもせっかくNote公式で、
レイアウトに工夫をしてくれているのに、全く活用できない上、はじめのうちは見出
し画像すらつけていなかった。「見出し画像をつけましょう」というメッセージが再
三出て来たので、今は自分で適当に撮った写真を載せるようになった。

もともと読書は好きだが、文章を書く習慣はなかったし、いい文章が書けるわけでも
ない。所詮自分の脳トレレベルである。キンドルしゅっはんとか何とかそんな大それ
た野望はない。それでも書いているんだから誰かに届いたらいいなという希望はある
し、テレビでは絶対取り上げてもらえない視覚障碍者の心温まらない現実をわかって
ほしいという思いもある。。


ところで、先日「コーダあいのうた」という映画を音声ガイド付きで見た。とてもい
い映画だった。こういう映画がアカデミー賞を取って多くの人に見てもらえるのは同
じ障碍者としても嬉しいかぎりだ。でも感想を聞いているとやはりどうしても感動方
向に流れてしまっていることに違和感を覚えた。
障害は聴覚と視覚で違うけれど、情報障害としてはどのエピソードもあるあるだ。親
子の感動物語としてだけじゃなく、ヤングケアラーの問題や、健常者の子供に頼らざ
るを得ない障碍者の親の大変さや心痛の方にも目を向けてほしいと思った。

親が健常者なら、歌のクラブに入って嫌味を言われたり、遠くの学校に行くことを反
対されたりはしない。
経済的に大変な家庭は多いかもしれないが、奨学金をもらえて経済的な問題が解決す
れば反対される理由はないだろう。しかしヤングケアラーは家族の中のなくてはなら
ない労働力として組み込まれているので、いなくなると家族の生活が立ち行かなくな
るのである。

しかし、こういうマックグラウンドは当事者じゃないときっとわからないし、ドラマ
にしようとしたら感動方向に振るしかないのかなとも思った。

私自身は中途障碍者で、「自分の面倒も見られないのに子育て何て考えられない。少
子化対策は健常者にお任せしよう」と早々に子育ては人生設計から排除したので、人
の話を聞くばかりである。


「コーダ」に対するリアクションの多くを眺めていても、障碍者の生活の実際を実例
を挙げながら紹介していくことは無意味ではないのかなと改めて思った。
かなり斜め方向から見ている自覚はあるけれど、作り話はありません。

こんな事を書いている矢先に盲導犬の記事に対して「感動しました」というコメント
を見つけてしまった。いや、悪いとは思わないけど、、受け取り方も人それぞれでい
いけど、私のスタンスはあくまで需要のない「アンチ感動ポルノ」です(獏)


いずれにしろ今のところ、刺激的なインプットのおかげで、ネタが尽きた時の最終手
段、驚愕の盲学校の「下ネタ」シリーズはまだ当分蔵出しせずに済みそうです。

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