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親の欲と愛情

友人が娘さんに作文の練習をして欲しいとお小遣いで釣ってるらしいが、娘さんは一切やる気がないらしい。
金額の問題も捨てきれないけど、どうして練習しなくちゃいけないのか?無理やりやらせて嫌いにならないか?が私の疑問と心配。

作文って、事象に触れて動いた心があって、その動きの表現方法の一つなだけだよね。
表現力を磨かせたいなら詩、音楽、踊り、絵画、なんでもいいはず。
文章力を上げたいなら、長ったらしい文を短くさせるとか、別の言い方を考えるとか、矛盾した言い方を探すとかの方がいい気がする。

私は事象に触れても心の表層しか動かず、感動が理解できない子供だったけどね、心の核は動いてないのか?動いたことに気づかないのか?
このふたつの違いを間違えたまま作文を迫られるのは堪らないよ。
作文、無理にやる必要ないんじゃないかな。私、今ならハチ公物語観て、あの日の母より泣ける自信あるもん。

※ハチ公物語を映画館に観に行った帰りの会話。
彩「お母さんなんで泣いてるんだろ?」
弟「分からないよね〜」

もしや母も昔は泣かなかったのかも知れないと思える会話。
私、今なら「ハチィィ!先生ぇぇぇ〜!!」と号泣必死なことを思うと、母もしくは父が同じ様に淡白な子供だったはずだと思えてならない。

子供のいない私が母親である友人にとやかく言えないけど、大人から見て予想しにくい部分が分かりにくい子もいるよと伝えようかな。

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