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後悔もある、嬉しいこともある。

2月の長男猫に続き、次男猫も亡くなった。
6/10には無事に火葬。長男同様、火葬できる車に自宅まで来てもらった。

2月と違ったのは窓が開いてる季節で、お隣さんの猫達が匂いで鳴き始めたらしい。猫の火葬だからというより、家猫だから焚き火の匂いみたいなものは初めてだったんだと思う。奥さんが何をしているのか聞きに来られたことを業者さんが教えてくれたので、火葬が終わったらすぐに挨拶に行った。

自分の親と同じ歳の方で、人になにか聞くことに躊躇いがない方だから、嫌味を言われるわけがないのは分かっていた。実は長男ももういなくて、今は三男だけだと伝えたら、目をうるませて寂しいねと言って下さった。

日付が変わって6/8になった夜、次男は朝まで時々鳴いていた。どうも寝床から這い出し、脱衣場にいたらしい。その時に、起きて様子を見に行ってやればよかったろうか?というのが後悔しているところ。

6日、7日に続いて、8日も動物病院に点滴に行く予定だった。手の施しようがない子に、動物が辛くても延命のために何かしらの手を施す先生じゃないし、先生も我が家が延命第一ではないと知っている。この状態で点滴の予定があるということは、痛みやダルさの緩和としても、早くて今週中くらい、運が良ければ今週が山場でそこから回復をと、そんなことも少し思っていたような気がする。

とにかく、様子を見に行かなかった。
見に行ったとしても、膝に乗せるか隣に寝転んでやるかで、何も出来ないと分かっていたし、なにより私自信が内蔵の具合が悪くて朦朧としながら足掻いていたとき、夫がそばにいることは嬉しかったが、ちょっと申し訳ないというか、こっちは苦しんでるのに気になって仕方がなかったから。

それに時々鳴く声が人を呼んでいたというのは否定出来ないけど、辛くて声を上げたいだけかもしれないとも思っていた。それも私の体験からそう思っていた。

スポーツで大きな力を出すときに声を出す、老人が動く時に「よっこいしょ」と言う、それに似てるのかも知れない。声を出すと力が出る。苦しいときは唸ったり喘いだりすることで苦しみに対して正面切って文句を言い、踏ん張れるような、少し緩和されるような、そんな感覚だったから。
だから次男も、人を呼ぶと言うよりは「あーっクソ!気持ち悪いな!」という感じだったんじゃないか?とは思っているけど。
思っているんだけど。

後からは、何だって、何度だって考えられる。
でもあの時。行く、行かない。行かない、寝るんだ。
そう思ったのは確か。

運のいい私はいつだって最終的には良い方へ行く。だから、やっぱり、間違っていなかったと信じてはいる。だから朝になって、脱衣場の床の上で随分冷たい体だったけど、ちゃんと夫に会えて、一度しっかり膝に乗せて貰い、さあ昼休憩という時まで時々は鳴いて、私がアジの刺身をもぐもぐしてる時に、最後の、ひとつひとつが大きくて、でも、ものすごくゆっくりな呼吸が始まって、とても静かに…。

亡くなってから、ひとつ嬉しいこともあった。

長男が亡くなる少し前、次男も三男も、長男はもう居ないものとしていたようだった。もう彼の性格というか、魂の核がない、だから彼じゃないといった感じで。そして彼らは長男が亡くなったあとも、長男には見向きもしなかった。

ところが三男にしてみれば兄が亡くなるのは二度目のこと。なんと次男を安置した箱に頬を擦りつけ、顔をつっこみ、明らかに鼻と鼻を近ずける挨拶をしていた。しかも五分ほど周りをゆっくりゆっくり調べるように踏みしめていた。

それが凄く、嬉しかった。

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