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ICUC#008(篭って週間#002)2020.4.5 【コロナと民主主義/有名人の不機嫌さと言論の自由】

角田陽一郎さん主催【知的好奇心向上委員会 ICUC】
私の復習用参加メモです。

動画 (ICUC内で一定基準をクリアすると公開されます)

「有名人の不機嫌さと言論の自由について」ICUC知的好奇心向上委員会 4月15日(前編)【角田陽一郎】

「有名人の不機嫌さと言論の自由について」ICUC知的好奇心向上委員会 4月15日(後編)【角田陽一郎】

知的好奇心向上委員会 ICUC
参加は[CAMPFIRE]から

ICUC の[note]

追加の文字起こし 2020年9月3日

 ここもメモしたい、ここも、ここも…とやってるうちに、結局全部を文字起こしをするようになりました。ほぼ素起こしになるのが2020年7月くらいからのようです。その都度、文字起こしの程度を確認しながら、文字起こししていない回について、大体2020年7月分─No.018前後まで、時間があるときに文字起こしを追加します。
①元々の動画やCAMPFIRE(2020/12で閉会)のリンク部分
②追加の文字起こし
③2020年4月5日、元々のメモ書き

【前編】

 おはようございます。 ICUC 知的好奇心向上委員会ですね、はい。先週出したので今日は第2回目ということで、こんな感じでお送りしようと思います。
 皆さんお元気でしょうか?私は元気でございます。世界は元気じゃない状態になっておりますが、篭りましょう。もう篭るしかないっていうか…また首の斜めが気になっちゃう(笑)感じでございますが、よろしくお願いします。

出演者がコロナになっちゃった

 僕はこの一週間何してたかと言うと、皆さんもそうかもしれないですけど、仕事をしつつ篭れるところは篭って、先週はほとんど人と会ってない。それはなぜかと言うと、俳優の要潤さんのラジオ番組、4月4日に放送第1回なりましたけども、その番組のプロデューサーをやっておりまして、それが無事放送されたわけですけども、その第1回のゲストが宮藤官九郎さんだったんです。そしたら3月の終わりぐらいに宮藤さんがコロナになっちゃったというようなお話を受けましてですね。どうしようか、放送はするのか、収録に立ち会った人間は大丈夫なんだろうかとか、そういうようなことをずっとやり繰っておりました。
 結果、無事放送することになりました。その放送することになったっていうのも、今ちょっと資料を見てますけど、僕らが宮藤官九郎さんと会ったことは事実なわけです。それがつまり濃厚接触者なのか?となると、当然僕らも14日間隔離されなきゃいけないし、僕らが発症してるか?してないか?みたいなことで、保健所さんとのやり取りをね、局の方と。

濃厚接触者の定義

 資料とかも見させてもらったんですけど、ここでちょっとまず皆さんが知ってた方がいいなと思ったのは、基本的には「発症日から患者確定日までの患者の行動に基づき濃厚接触者等のリストアップ」をしてるらしいです。
 で、濃厚接触者ってのは「患者がマスクをしていた場合/自身がマスクをせずに2m以内で対面で会話した方や長時間の会議参加者」というのが濃厚接触者で、患者がマスクをしていなかった場合は上記に加え「自身がマスクをして2m以内で対面で会話した方等」が濃厚接触者に当たる。
 濃厚接触者以外の接触者というのは「対面で会話等をした際に患者及び自身がマスクをしていた方/患者と短時間の会話を交わした方(短時間は1、2分)/短時間同じ空間にいたが患者との接触がない方」は接触者みたいな感じなんですね。

定義を元に我々はどうだったかというと

 そうすると我々としては工藤さんが発症する前にお会いしてるという意味では今回のこの二つに該当しないんだけども、僕らはラジオの収録を動画で撮ってたものですから、収録してたという意味では近くに。
 近くといってもですね、なるほど面白いなと思ったんですけど、カメラで撮ってるって事は被写体から2m以上離れてるんですよね。だって離れないと撮れないじゃないですか。だからカメラで撮影するって時に出演者同士、例えば僕が出演者になって出演者の方と話すとか、あとラジオって近いなと思ってたのと違って、テレビと言うか動画の一番の違いは、カメラで撮るというところ。そもそも距離を置いてたんだなって言う。それを感づかせて頂けたのが。なるほどと思いました。僕らは期せずしてフィジカルディスタンスと言うか、ソーシャルディスタンスと言うか、それは取れてたんだなーって言うか。それがすごい不幸中の幸いと言うか、不幸…というか深い意味はないけど、そういうことなんだなと思いました。

 で、俳優の要潤さんは宮藤官九郎さんと芝居の稽古もしていたし、と言う意味では濃厚接触者らしくて、今、自宅待機というか自主隔離されてるというお話です。なのでラジオの方もこの収録はいつだったか?みたいな。自宅から音源を送ってもらって、それを付け足してオンエアしたらしいです。で、僕らの動画は粛々と編集をして4月4日に放送しました。
 それはそれで、なるほどと思うんで、もしよろしければその動画見ていただくと、クドカンさんと要さんのお話しはそれはそれですごい楽しいので。

東大の対応

 まあそんなことがありました。そういうことをやりつつ、諸々をやりつつ、もう一個は私は今、東大の大学院に通ってます。もともと言われてたんですよ、今年はオリンピックがあるからカリキュラムが早くなってますよと。普通だったら4月の2週目から番組…番組じゃない、番組って言っちゃった(笑)。4月の2週目から大学はスタートするんですけど、今年はオリンピックがあるから2週早まって4月の頭からスタートしますからってことを、1月ぐらいには先生方に聞いてたわけです。で、うんと思いながら、このコロナの影響で開始が2週間くらい遅れ、このままゴールデンウィーク明けまで始まらないのかなーなんて思ってたところ、むしろリモート授業を開始するので、そのリモートの講習会みたいなものも予定通りありますとなり、結局、4月第1週目からむしろ授業はスタートした。
 これってねすごい大事なことかなと思ってまして。いいか悪いかって言われると、やっぱり大学で人と会う、知と知を会う、この知的好奇心向上委員会も若干その気持ちでやっておりますが、実際に会って話すから分かるみたいな事とか、人と人が触れ合うことで価値が、知と愛し有し(icuc)みたいなことだと思うんですけど。それが無いという意味ではリモートってのはそこが欠けると言うか、足りなくなるのは事実かなと思いながらもね。4月2日に東大でリモートの授業があったので、呟いてるの読ませていただくと、

今日4月2日から東大の自分の通う文化資源学研究室は予定通り授業が開始された、zoomを使ってリモートで。
大学総長五神教授の言葉「本学は知の協創の拠点として、世界最高水準の学問の叡智を結集させて、この人類の新たな脅威に立ち向かう所存です。」
コロナなどに負けるわけにはいかないのだ。

こういうときこそ学問しなきゃいけない

 そうなんですよね、こういう時こそ学問しなきゃいけないんですよ。皆さんもあるかな?映画とか小説とかに出てくると確実に泣いちゃうフレーズみたいなやつ。僕は小学校の時からあって、映画とかで苦境に立たされたとき、太平洋戦争を経験された方が若い人に「我々はあの未曾有の危機、災禍からこれだけ復興した。だらら大丈夫!」とか言うシーンって、最近は無くなりましたけど、僕が子供の頃、昭和40年代、50年代、60年代は結構そういうシーンがちょこちょこっとドラマや映画にあったりしたんですよね。
 今でも覚えてるのは地震列島って映画があったんですけど、その時に大滝秀治さんが学者か何かの役で、主人公の勝野博さんがそういう嘆きをすると、「我々は必ず復興する。復興してきたじゃないか。」小松左京さんの小説とかにもよくあったかも知れないですけど、そういうような一言を聞くともうそれだけでウルッときちゃう。

 もう一個は浦沢直樹さんの漫画「マスターキートン」。マスターキートンの話はいつかたっぷりしたいなと思ってるんですけど、考古学者で保険の調査員をやってるという元SAS(サス):イギリス特殊空挺部隊の兵士だったキートンさんが世界で活躍する漫画なんですけど。あれを浪人時代かな?下北沢の本屋さんで面白そうって手にとったらめちゃくちゃ面白くて、そこからハマっちゃて。僕が結果、西洋史学科を先行するのはマスターキートン先生のおかげだなーなんて思いながら。
 影響受けてる方はたくさんいらっしゃって、堀江貴文さんも好きだって言ってましたね。で、その中で僕がすごい覚えてるのが、ユーリー教授っていうキートン先生が大学時代に教わった教授が出てくるんですけど。その教授はイギリスなんですね。その教授が若い頃、授業やってるときに、戦争中だからナチスドイツの爆撃が行われれて大学が燃えたと。その瓦礫の中で片しながら「諸君テキストを開きなさい。あと15分あるから。」「え?こんな時に授業やるんですか?」みたいなことを学生が言うと「諸君こういうときこそ学問をするべきだ。ここで学問しないとヒトラーの思う壺だ。」と。
 つまりそういう苦しいときこそ学問をするんだみたいなことをユーリー教授が言ってて。僕そのシーン大好きで。だから苦しいときこそ学ぶ、知というものを忘れちゃいけないんだなんて思った時にですね、この東大のホームページに書いてあった「この人類の新たな脅威に立ち向かう所存」っていうのは、「本学は知の協創の拠点として」って書かれてるんだけど、これってすごい感銘を受けるなって思いました。
 だからやっぱりこうね、知的好奇心向上委員会としてはって(笑)、そんな大それた組織でもなんでもないんですけど、えー、考え続けるしかないんじゃないかなんて思います。

選挙は民主主義を体現しているか?

 で、あとはですね。色々こう本を読んだりしておりましたが。先週紹介した「未来への大分岐」ね。メンバーの方からですね、この本どう思われたってことを聞きたいっていうような質問を頂いたので。先週、絶対読んどいた方がいいみたいな話をしたんですけど、時間も限られてるんでそんなに細かく語ってると…語っちゃうんですけど。
 僕はこの中ではマイケル・ハートさんのところがすごい面白かったですね。マルクス・ガブリエルさんもポール・メイソンさんも面白かったけど。だから斉藤幸平さんの視点がすごい面白いんだと思うんですけど。
 でね、これを読んでマイケル・ハートさんが面白いと思ったのは、選挙のこととか書かれてるシーンがあったと思うんですよ。で、例えば選挙があったりとか民主主義、つまりこのコロナとか関係なくですけど、選挙に行きましょうって言ってんのに投票率が低いって事を皆んな嘆くじゃないですか。僕も全くその通りだだと思います、低いことに関しての嘆きはすごいあるし、それでいいのか?みたいな。それが何と無く体たらくなものの原因になってるんじゃないかなと当然思います。
 なんだけど、一方で選挙というものが本当に民主主義を体現しているのか?とずーっと思ってて。これは日本の社会もそうだと思うんですけど、典型的にわかりやすくてなるほどなと思ったのは、アメリカのトランプ政権の選挙のとき。だから今から4年前の選挙のときに、トランプ大統領が勝ったじゃないですか。それまではヒラリーさんが勝つんじゃないかとか。
 どっちが買ってもアメリカ国民じゃない僕には分析はできるけど、ダメだって言う権利も義務もないんですけど。で、その時に結果ギリギリでしたよね、トランプさんが勝つのが。で、ギリギリになった時に、つまり仮に51%だとして、51%の人はトランプさんを応援してるけども49%の人はトランプさん自身も憎いって言ってたし、反トランプっていうことじゃないですか。それでその人が国のトップになってしまう、元首になってしまうと、結果的に49%の人がトランプさんを支持していないという社会の中で、政権を運用してかなきゃいけないんですよね。ということは国内に敵が半分ぐらいいるっていう、敵というか少なくとも快く思ってない人が。
 快く思ってる人ばっかりなんかで国ができるとか世界が動くなんて当然思ってないんだけど、それって本当に民主主義なのかな 。

【後編】

15分の肌感覚

 ということで ICUC の4月5日分後半戦行ってみようと思うんですけど。期せずして前半後半に分かれたんですけど、何のことはない、録画がとまってたんじゃないの?と思って。止まってると今まで喋ったことが消えちゃったら嫌だから、一回止めて保存しといた方がいいかなって思ってたら止まっちゃったから、後半取り直してますが。面白いのはちょうど15分、半分ぐらいだっただったって言う。確かに一回止めたあと、半分ぐらいで止まって15分のやつを2本にしといたほうが見やすいんじゃないかなーなんて、また急に思い始めたりして。不幸中の幸いというか。
 これが丁度半分くらいになるのかがなかなか面白いですね。半分ぐらいまで喋って、時間感覚としてこれどれくらいなんだろうって一回画面を見て、そしたら15分何秒だってなって、あれ?これタイム止まってねぇか?みたいに、ちょっとだけドキッとしたから止めてみた感じだったんですけど。この半分くらいかなと思って見てしまう肌感覚っていうのは昔取った杵柄というか、テレビのプロデューサーやってたことの良さというか、強み(笑)?時間に対する。なんて思いました。

不機嫌な有名人

 でね、コロナは民主主義の死を招くと言うか、民主主義の変革を気づかせてくれると思うな。そうするとコントロールされていいのか?果たして自由とか、表現の自由はどうなる?みたいなときにね、僕が思ったのは…
 何が言いたいかと言うと、最近有名人が不機嫌ですよね(笑)。すごい有名人が不機嫌だと思うんです。これはいろんな意味があるんだけど、有名人以外も不機嫌です、まずみんなが。それは当然コロナのせいです。なおかつその前から SNS ではクソリプだとか炎上だとかウザ絡みとか、色々言われておりますが、そういうものが多いですよね?それは多分その SNS で個人の鬱積とした思いが吐き出され、吐き出されるだけならいいんだけど、それが吐き出される対象の方に向けられるって事が普通に行われるから、人の淀んだ気持ちみたいなものが世に出る。

 それはいかがなものかなと思いつつ、それこそ表現の自由だろ、嫌だったら見なきゃいいのにというような、でも向こうが絡んできたんだよみたいな、様々な思いがあります、僕的にもね。実際ウザ絡みされると嫌だしね。
 あとそう言う人って大体議論が浅いんですよね。仰ってる反論は分かった上で、もう一回それを理解した上で言ってるところが消えてくみたいなことってすごくあるんですけど。それはまぁしょうがないとして、という事を多分、有名人の方がすごい受けるんでしょうね。田中泰延さんとか僕は仲良いですけど、すごい来るらしいですからね。泰延さんぐらい有名になっちゃうとね。好きなことだけ書いてると、好きな人じゃないとこからやって来るんだなと思うんですけど。

 それってタレントの有名税みたいな意味で言うと、しょうがないことなんだなと思いながらも、今はライブができないとか、イベントができないとかっていうのが増えちゃってるから、たぶん身につまされてるんだと思います、その有名人の方も。お金がないとか、稼ぎがないとか、周りの人はどう生きて行くんだとか。それはあらゆる有名だろうが無名だろうが、お金持ちだろうがお金持ってない人であろうが、みんな感じてる問題というか今の社会だと思うんですね。そうすると、やっぱりその人がどんなに有名だろうがタレントさんだろうが、心の鬱屈とした感じが出てしまう。つまりイライラしてるから。
 昨日とか有名なミュージシャンが配信してるのを見たら、すごい不機嫌でしたよね、イライラしてて。当然コメントとか返ってきちゃうじゃないですか。で、コメントとかに過敏に反応してて、うるせえなみたいな感じっていうか。そんなことお前に言われたくねぇよ、じゃあ見なきゃいいんじゃないかみたいなことを言ってるとか。
 特にミュージシャンなんて今、すごいお察しするわけですよ。何千万、何億とかの損害のミュージシャンとかたくさんいるだろうし、それってそんなに大きな会社じゃないですからね、芸能界タレント事務所とかミュージシャンの事務所なんて。むしろ小さい、大企業に比べたら。するとこう稼ぎは2月ぐらいからドーンっと消えちゃって、2、3、4月で消えちゃったからゴールデンウィーク明けからは消えませんならまだね、まだ生きていけるけど、消えまくってるそんな中でどうやって生きていけばいいんだよってのがあった中での配信とかやってると、やっぱりイライラが出ちゃうんだろうな、これは仕方ないなあなんて思うんです。

有名分の責任

 なんだけど、そう思いながらね、昨日か一昨日、全然普通の方の Twitter で、有名な方がイライラして「何でこんなクソリプ送ってくんだよ」みたいなことを言ってる人への反論みたいなものを書いてる方がいて。その方は全然知らない人だけどなるほどなと思ったのは「でもそれを引き受けるから有名なんじゃないの?有名になったんだからそれぐらい引き受けろよ。それぐらいの思いを引き受けないんだったら有名人やってるなよ。」みたいなことをその方が書いてたんです。
 ちょっと僕もそれ、なるほどなと思いました。その人たちが時代の寵児みたく有名になってたりしてるって事は、結局それが時代が求めてるというのもあるし、その人たちの能力が優れてるって事も当然あるんだけど、それだけの影響力があるって事はそれだけの責任がある。影響力と責任というのはトレードオフじゃないんですよね、一緒なんですよね。影響力があって責任感じない「俺の知ったことか」という人が、だからそれって去年のチュートリアル徳井さんの納税してなかったやつとかも一緒で、自分は無自覚でした、反省してますって言ってるんで、そのことに関してはもう個人的なものは置いといて、でもあれだけテレビに出てた方が、だって納税って国民の三大義務ですからね、その一つを無自覚でいたってことは、無自覚でいた人がテレビ出てただけでも、それはそれでもうダメなんですよね。
 当然表現の自由とかそういうものは守りつつ、その人のイライラも十二分にわかりつつ、だけどそのイライラみたいなものをそれだけ影響力のある人達が表明してしまうってことが、それってその影響力に対しての責任を自覚されてるか、されててもあまりにも…だからなのか、そこまではわかんないです。でもそれって考えなきゃいけないことなんじゃないかなと思いました。

 で、僕。こと僕は、だからそんなに有名になりたくないなって思います。そんなに世界にインフルエンスしたくないと言うか、するとレスポンシビリティが出てくるというか。で、この ICUC みたいなものを小さく小さくやってるのは、実際僕が小さい人間だからってこともあるんだけど、そんなに大きいことになってしまうと、それに対するレスポンスシビリティ、──何でそんなこと言うんだとか、お前が今思ったことは間違いだとか…間違えたごめんなさいだし、間違えじゃないと思ってるから言ってることもあるし、分かんないから言ってることもあるんだけど──言ったことだけでも許せなくなっちゃうというのは、その人の影響が大きい。政治家なんてのは特にそうかも知れないし、文化人とかタレントさんとか、比較的そういう方とお会いすることが多いんで。
 その方がそう考えてるって事はその人の意見でもあるんだけど、その世界でインフルエンスを持ってしまうって意味では事実なんですよね。だからそれってやっぱり責任ってものがあるんだと思うんです。それが表現の自由とはトレードオフになってるのは事実で、表現の自由だろっていうのは全くその通り。僕は表現の自由というのはすごい大事だと思うんだけど、それとどうイライラとの戦いみたいなものを繰り広げるのかは、実はアーティスト、タレント、文化人、有名人に任せられてるし、それって有名じゃなかろうが僕ら一人一人が考えなきゃいけないって意味では、僕もそうだし、これを見てる方とか ICUC のメンバーの方とかも絶対そうなんじゃないかななんて思うわけですよ。

表現の自由と責任の辻褄合わせ

 で、そう思った時に表現の自由と責任とか影響力ってもうのをどう辻褄合わせてくんだってこと考えなきゃいけないなと思った時に、単純に思ったんですけど、表現の自由はあるんですよ、やっぱり。究極的に何言ったっていいし、何やったっていいんだっていう社会の方がいいなと思うんです。人を殺すとかそういうの無しですけど。人を殺すのは無しと言うと、人を傷つけるのはありか?傷つける気持ちはなかったけど傷つける言葉を言っちゃった時どうなるんだ?とか、様々なパラドックスが生まれる議論になっちゃうんだけど。
 そう思った時に、言葉というのは禁止されるんじゃなくて、自ら使わないっていう選択をみんながするっていうことなような気がするんです。だからその言葉を使うか使わないかは自由なんですよ、やっぱり。それは使っちゃいけないっていうのはダメだと思うんです。放送禁止とかよくありますけど、禁止されてるから使えないんだよねじゃなくて、禁止されてるかされてないかに関わらず使っちゃいけない言葉だと自分が思うんだったら使わないっていうか。
 俺は使ってもいいと思ったんだというところを、いや、でもやっぱり使っちゃいけない言葉なんだよってことと、どこに違いがあるんですか?法律的には表現の自由があるから使ってもいいんですよね?でも角田さんは使っちゃ駄目って言うんですよね?みたいな(笑)。それどこで判断していいのか私は分かりませんみたいな。

 そうなんですよ。それは僕だってわかんないし、あらゆる知識人とか文化人だって本当はわかってないんですよ。ただそこを感覚と言うか、なんとかクリアしていく。そうしなきゃいけないんじゃないかなっていうことだと思うんですね。
 で、それをどうやればいいのかって言われたら。本当にもうオチみたいな話になるんだけど、勉強するしかないです。勉強、だから学問するしかないですね。それは読書するしかないというか、映画見るしかないというか、なんならテレビ見るしかないとか、音楽聞くしかないというか、あらゆる世界とのそういう事象をやっぱり自分で見てみて、この言葉は使っていいんだとか、この言葉使っちゃいけない、いけないと言うか使わない方がいいんだとか、自分で気づくしかないです、と僕は思います。
 それはもしかしたら子供たちには大人が教えた方がいいという意味でのインフルエンスはあると思います。だからこの言葉はいいでしょとか、この本を読んだ方がいいですよみたいなことはやった方がいいと思うんですけど、それをどう自分たちで学んでいくかみたいなことが、今の民主主義の死を宣告するようなコロナの拡散の中で、いや死なねえぞ!と、何言ってんだコロナの馬鹿と(笑)、そういうような気持ちになるためには、僕たちがそんなこと負けない中で、どう民主主義を維持すると言うか、維持というか変えていくというか。僕らの自由をどれだけまもりながらどれだけ隔離されるのか?とか、どれだけ籠るのか?とか、そう言うことを考え続けるきっかけを今やるしかないんじゃないかなってのが、今日僕が4月5日に思うことでございます。

風神雷神

 今日もね、色々本を用意してたんですよ。最近読み終わった「神雷神」ね、これ読み終わりました。原田マハさんは「楽園のカンヴァス」がすごい面白かったんですね。パラパラ読んでるんですけど、風神雷神も面白かったです。いい文学と面白い文学って僕はちょっとだけ違うと思ってて、原田マハさんのはいい文学かは僕にはわからないけど、すっげぇ面白いですね。面白い文学というか。で、僕面白いというのって、良い悪いを超えていいんじゃないかなと思います。僕は原田マハさんすごい好きです。ドキドキすると言うか楽しい!それが文学的にすごい価値があるものかと言われたらわからないけど、すごいお勧めというか…お勧めしないです。僕は楽しかったってだけなんで。僕歴史好きだし、アート好きだし、なのでただ読んで楽しい気分になりますってくらい、もう読書案内なのかどうか分からないですけど(笑)、えーと今週はこんな感じの話をしました。
 だから、まあね、文学作品読むのってちょっとありな気がします。普段忙しいとなかなか読めないと思うんで、それをやってみるいい機会をコロナの馬鹿がくれたんじゃないかなと思いながら、今日の配信を終わりにしたいと思います。ICUC 角田陽一郎とでございました。また来週頑張ってやります。よろしくお願いします。


2020年4月5日、元々のメモ書き

今日のICUCもオフライン(配信)30分
「篭もって角田陽一郎と」第2回です。
何故か前後編に別れてるな?と思ったら、何だか録画が止まったような気がしたとか、これで半分だなと思って時計を見るとちょうど半分15分だったとか、そんな理由だったそうで。
12月の会も1時間のところで止まっちゃって「こんなに喋ったのに撮れてないとかいやだぁぁぁ!」と仰ってたので、やっぱり気になっちゃうんですね。
肌感覚で時間がわかる強み♪昔とった杵柄♪特技♪と、今日もご機嫌麗しゅう(*´`)

今日のお題はメンバーからの「角田さんの感想を聞きたい」ということで

コロナと民主主義について

質問の元となった角田さんおすすめの本
資本主義の終わりか、人間の終焉か?
未来への大分岐
(集英社新書)

質問の元となったツイート

動画 (ICUC内で一定基準をクリアすると公開されます)

「有名人の不機嫌さと言論の自由について」ICUC知的好奇心向上委員会 4月15日(前編)【角田陽一郎】

「有名人の不機嫌さと言論の自由について」ICUC知的好奇心向上委員会 4月15日(後編)【角田陽一郎】

いきなりですが、濃厚接触者の定義は?

発症から患者確定日までの患者の行動に基づきリストアップするようですが、
・患者がマスクをしている/してない
・接触者がマスクをしている/していない
・2m以内で会話/長時間会議/同居
の組み合わせで濃厚接触者か接触者にわけられるそうな。
濃厚接触者であれば2週間ちゃんとお篭もりです。
※保健機関により詳細が少し違うようです。

同じ仕事場の人でも感覚が違う

角田さんの場合、会議もあればテレビやラジオのお仕事もあります。共演者同士はテレビでもカメラでも距離が近いけど、スタッフは、テレビだとカメラを構えて2m以上離れている事が普通なんだなと、そんなことを今更ながらに気づいたってお話。
だから自分は大丈夫って話ではなく、いつぞやツイートされていた同業者でも随分と意識に差があると感じるなって話につかながるものだと思いました。

苦しい時こそ学ぶことを忘れてはいけない

東大ではオリンピックイヤーなので、スケジュールは早め早めになっていたそうですが、オリンピックは延期…にも関わらず、講義は予定通りスタート。しかもリモートで!

角田さんとしては、人と人が実際会うから「知」を分かち合える。会えないとそこが欠けると思う。でも、こういう時こそ«学問なのだ»とはっきり思わせてくれたのは東大の教授の言葉だったそう。noteにもそれを書いてらっしゃいます。

今日4月2日から東大の自分の通う文化資源学研究室は予定通り授業が開始されたzoomを使ってリモートで。
大学総長五神教授の言葉「本学は知の協創の拠点として、世界最高水準の学問の叡智を結集させて、この人類の新たな脅威に立ち向かう所存です。」
コロナなどに負けるわけにはいかないのだ。

角田さんの確実に泣いちゃうフレーズ

「我々は未曾有の災禍から復興した。だから大丈夫だ。」みたいなフレーズ。特に…

マスターキートン『屋根の上の巴里』より
「さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!ドイツ軍の狙いはこの空襲で英国民の向上心をくじくことであり、今、ここで勉強を私たちが放棄したらそれこそヒトラーの思うつぼである」

角田さんは浪人生時代にこのマスターキートンを読んで西洋史学科に進んだのだとか。

(角田さんを泣かしたくなったらこのフレーズ使おう)

選挙ってほんとに民主主義を体現してる?

米トランプ大統領はヒラリーさんと接戦のうえ大統領になった。接戦ということは国民の半分近くがトランプ反対ってこと。
これを頭の片隅に起きつつ、角田さんのぐる〜っと繋がる話の始まり♻️
※以下は私がそのぐる〜っとを繋ぎまとめてるので、彼の声で聞いた方が「!」となります。

表現の自由はコントロールされていいのか?!
有名人が不機嫌、有名人以外も不機嫌。それはとにかくコロナのせい。様々な[炎上/クソリプ/ウザ絡み]が吐き出される対象に向けられて、その先では「見なきゃいい。無職すればいい。」「いや向こうから来たんだ!」という、浅はかな論議が増えた。
有名人が的になるのは有名税ともいうけど「人々の心を引き受けるから有名人なんじゃないの?」という誰かのツイートに一理あると思った。
影響力と責任はセット。
しかし、表現の自由とはトレードオフの関係。
[表現は自由=言葉をどう使う/使わないは自由]
使うかどうかの判断基準は学問するしかない。
学問は本でも、映画でも、音楽でも!
文学の「良い」と「面白い」は違う。面白いは良し悪しを超えるものだと思う。普段はなかなか触れない文学だけど、コロナのバカは文学作品を読む機会をくれた。
コロナは民主主義の変革を気付かせてくれる。

有名人って選挙して有名人になった訳じゃないけど、そうか?!多くの人に"人気があった=選ばれた"から有名なんだよね!よく買い物は選挙とか言うけど、それと同じだ。だから人々の心を引き受けるという表現になるんだなと、感心しました。
選挙した訳でもないのに、自動的に責任が付いてくるのは理不尽な気もちょっとしたけど、選んでもらっていい思い(儲けたとかファンがいて嬉しいとか、そもそも有名になろうと頑張ったとか)した分に責任は付いてくると考えると、なんか納得できた。
以前、未成年で酒タバコでニュースになったアイドルの子が"手本になるべき立場なのに"なんて言われてて、未成年に有名人も何もないだろ?なんて思ってたけど、今ごろ納得。

オマケの天気

角田さんは雨男。とにかく雨のICUC。
そうだ、天気もメモしておこう!
今までの開催日の天気のまとめ。
2019/9/29 曇☁️
2019/10/22 雨☂️
2019/11/23 雨☂️
2019/12/28 晴☀️
2020/1/26 雨☂️
2020/2/16 雨☂️
2020/3/29 雪❄️
2020/4/5晴☀️

第8回は2020.4.5 貴重な晴でした!
第9回は2020.4.12(仮) (/・ω・)/晴れるか?



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