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【短編小説】心の壁

 鈍色の鎧で作られた花道を銀髪の少年少女達が歩いていく。
 その様子はまるで葬儀に赴く参列者のようだった。
「子供じゃないか」
 使節団として訪れたヴェルム人を初めて見た時リンドグレンは思わずそう呟いていた。
「あいつらの寿命は千年。パッと見子供に見えても中身は立派な大人なんだろうよ」
 小隊長のビャルヌはそう言ったがにわかには信じられなかった。
 つい半年ほど前、人間は自治領域から資源を求めて侵攻を始め、アルクを落とし、一時はレスティナン、そしてゼムの領土にまで迫っていた。
 だがヴェルム人の参戦により戦況は一変、連合軍はみるみる奪われた領土を取り戻す。
 ここウォルバーンは侵攻開始以前の国境。
 人間達は元の場所まで押し戻されたのである。
「何度見てもただの子供にしか見えないぜ」
「見た目に惑わされるなよ」
 ビャルヌとリンドグレンは訓練時代からの付き合いで公の場以外ではいつもタメ口だ。
「じゃあ、竜になるって話も本当なのか」
「そいつはどうだろうな…」
 ヴェルム人の使節団が目の前を通り過ぎていく。そのうちの一人が不意にリンドグレンの顔を見上げた。
 ヴェルム人特有の銀色の髪、黒い眼球に白銀の瞳。
 陽光を弾くその瞳が潤んでいるように見えた。

 泣いている?

 
 上層部が連合軍の降伏勧告を拒絶した事を明らかにしたのは陽がウォルバーンの草原を赤く染め上げる頃だった。
 決戦は明日未明、敵への対抗措置は万全で反撃はここから始まるという鼓舞に全兵士が沸き立っているように見えたが、本隊の兵士達は険しい顔つきで腕を振り上げるだけで実際に騒いでいるのは新兵達だけだとリンドグレンは気付いていた。
 小隊のテントへと引き上げた後も、ビャルヌは気分が高揚しているらしくその頬は軽く紅潮していた。
 彼は貿易商として成功し子供がいるのにも関わらず戦場に赴いて来たが決して好戦的なタイプではない。戦いに向かって意気込んでいる様子を見るのはリンドグレンにとっても初めてだった。
「志願したんだよな?」とリンドグレンは聞いた。
「ああ、さらに成り上がるためだ。ここで武勲をたて政治に口を出せる様になりたいのさ。お前は確か…」
「徴兵された」
「そうそう、よかったと思うよ。運がいい。こいつはチャンスだ」
「チャンス?」
「待ってくれている人がいるんだろう?」
「子犬がいるんだ。まだ3カ月でね。可愛い盛りさ」
「茶化すなよ」
 仲間達は明日への備えと就寝の準備を粛々と進めている。すでに準備を終えたリンドグレンは大きな欠伸を一つして横になった。
「兵士の妻になる気はないってさ。まあそりゃそうだ。戦場で生死不明の男を待つより徴兵を断れる財力を持った男が街には残っているんだからな」
「じゃあ、その女を後悔させてやればいい。この戦いは広大に広がる新しい土地と産物を手に入れるチャンスなんだよ」
「そんな未来は信じられないね。最前線は100ブレイルも先と聞いていたのに配備されたのは国境だぜ?」
「現場に実際来てみないとわからない事はたくさんある。特に噂の類はな。今日、ヴェルム人を生で見て確信したよ」
「確信?」
「ああ我が軍がここまで押し戻されたのは補給線が長くなり過ぎて奇襲を受けたからだ。俺達はいまだ物量で勝っている。力はこっちが上だ」
 甲虫がランプのカバーにぶち当たってチンと音を立てた。
「そういうもんか」
「あまり深く考えるな。考えすぎると存在しないものに恐怖を抱くようになる。大丈夫。俺達は勝つさ」
 リンドグレンはどこか釈然としなかった。
 だが真実を探り当てるには情報が不足していた。
 ビャルヌの言う通り深く考え過ぎてはいけない事なのかもしれなかった。
 消灯の時間がやって来て、ランプが消される。
 連合軍による夜襲も予想されたが特に動きはなく、静かな月のない夜は更けていった。

 

 隊列を組んで待機していた兵士達は朝陽が登っても草原の先に見えるはずの地平線を見つけられず愕然とした。
 行く手に長大な土塁が忽然と姿を現したのだ。
 辺りは騒然となった。
 それは連合軍の小さな本陣を囲むように盛られた大人の背丈ほどの代物だった。
 櫓からの偵察では土塁と連合軍本陣までの間に兵士の姿は一切確認できなかった。罠の可能性も指摘されたが草丈の短い平原には掘り返されたような跡はなく、敵兵が潜んでいるような痕跡も皆無だった。
「我々はコケ威しには騙されない」
 上層部はそう発表し、かくして作戦は予定通りに決行されることとなった。
 新兵で組織された歩兵が先陣を切る。
 そこには無論ビャルヌ隊も含まれていた。
 土塁を越えた新兵達が敵の反撃を抑え、橋頭保を作ったところで本隊がその先へと進軍する手筈だ。
「体のいい捨て石じゃないのか」
 リンドグレンはぼやいた。
「心配するな。何かあったらすぐに助けにいってやるから。みんな!助け合って必ず生き残るぞ!」
 ビャルヌは仲間達の肩を力強く叩き自ら先頭に躍り出る。
 一方でリンドグレンは無人の土塁を初めて見た時から感じる違和感を拭いきれずにいた。
「ビビるな、俺」
 それは戦いに赴く際の恐れからくるものとはまた一味違ったものだったが、これが初陣となるリンドグレンにはその違いがわかるはずもなかった。
「全軍出撃!」
 号令と共に兵士達が鬨の声を上げて駆け出した。
 リンドグレンも夢中で走る。
 緊張感が高まりすぎ息がすぐに上がった。
 近づいてくると土塁の裾野は緩やかで大して速度を落とすことなく駆け上がれそうに見えた。
 だが、そこでリンドグレンは突然先程感じた違和感の正体に気付いた。
「誘われている?」
 あの土塁には敵の侵入を妨げようとする明確な意思が欠落していた。
 斜度が緩く、登攀を阻止するような工夫が見当たらない。
 リンドグレンの足が鈍ったその瞬間に仲間達は猛然と土塁に突っ込んでいった。
「待て!」
 リンドグレンの叫びは軍勢の熱狂の中で霧散した。
 先頭集団が土塁に取りついた。
 数歩登ったところで数人が突然両手を地面についた。
 そこから這うように進む者、突然叫びだす者、泣き出す者、震えたまま微動だにしない者が現れた。
 だが立ったまま歩みを止めない者もおり、その対応はバラバラだ。
 何の変哲もないただ土を盛っただけの斜面にしか見えない。
 何が起こっている?
 リンドグレンは不安を抱きつつ自らも裾野に足を踏み入れる。
 すると突然、言い知れないほど深い倦怠感に襲われた。
 登りたくない。
 憂鬱だった。
 だが命令だ。進むしかない。リンドグレンは自分に言い聞かせる。
 一歩前進しただけなのにもう何時間も登り続けているような気持ちになっていた。
 そしてまたわずかでも前進すると猛烈に気が滅入る。
 やめたい。
 次から次に負の感情が芽生える。
 ここで頑張っても手柄はどうせ本隊の独り占めだろう。
 もう何もしたくない。
 リンドグレンは立っている事が辛くなり、気づくと手をついていた。
「挫けるな…。見ろよ、全然たいしたことはない斜面なんだ。さあ立とう、進もう!」
 ビャルヌの苦しげだが必死に仲間を鼓舞する声が聞こえる。
 リンドグレンはなんとか顔を上げ、目指すべき土塁の頂を見た。
 朝日に煌めく銀の輝きが列をなしていた。
「ヴェルム人だ!」
 誰かがあげたその叫びに呼応したかのようにヴェルム人達は堰を切ったように土塁を駆け下りてきた。
 どこに潜んでいたのか、完全に不意をつかれた。
 仲間達が条件反射的に剣を抜き、そのままヴェルム人達を殺害し始めた。
 それでも彼らは途切れることなく押し寄せてくる。
 武器も持たずに。
 一歩出遅れたリンドグレンは殺戮を続ける仲間の背後でその様子を呆然と見つめた。
 大人が子供を切り捨てる。そんな光景が延々と繰り広げられている。
 周囲に血の臭いが濃厚に漂い始める。
 仲間の声が交錯する。
「なんだ、こいつら!」
「キリがないぞ!」
「来るな!死ね!!」
「助けてくれ!」
 黙々と殺戮を続ける者、圧倒される者、恐怖に捉われた者。事態は混乱の渦中へと叩き込まれた。
 誰かが「退却だ」と叫んだ。
 リンドグレンはその声に我に返り、そして咄嗟に自らも退却を選択した。
 踵を返したその目の前に矢の雨が降った。
「退却は許さん!これより退く者は味方であっても容赦なく射る!」
 本隊があろうことか自分達に弓を引いてきた。
 すぐ傍にいた巨漢の兵士に矢が命中し、リンドベルグは棒倒しに倒れてくるその体の下敷きになった。
 その重さで肺の中の空気が押し出される。
 ここでもついてないのか。
「なんだ、あれは!あんなの無理に決まってる!」
 ビャルヌの怯え切った悲鳴のような叫び声が聞こえた。
「ビャルヌ!こっちだ!手を貸してくれ!」
「だめだ…俺は…俺は…すまん…」
 ビャルヌの声が遠ざかる。
 リンドグレンは懸命に力を振り絞り、ほとんど装甲の塊のような巨体の下からなんとか自力で這いだした。
 喘ぐように息を吸い、ようやく呼吸を整えて顔を上げると少し離れた場所に倒れたビャルヌの姿が見えた。
 しかし、すぐさま疲労感、虚無感、倦怠感が次々と襲ってくる。
 体を動かすのが辛い。
 逃げるのが先決だ。
 だがどこへ?
 退路は味方の矢で塞がれている。
 ビャルヌはまだ生きているかもしれない。
 リンドグレンは重い足を引きずりながらもビャルヌの元へ向かった。
 感情の全てが悲鳴を上げてその行動を否定しようとしてくる。
 それでもリンドグレンは止まらなかった。自分でもよくわからなかった。
 ビャルヌは気を失っているだけのようだった。
「もう終わり?」
 耳元で声がした。
 声の方を向いた。
 黒い眼球の中央に浮かぶ銀の瞳が異界へ通じる穴のようだった。
「私を殺さないの?」
 もう一方からも黒いドレスをふわりと揺らして銀髪の少女が駆け寄ってくる。
 ここはどこだ。
 リンドグレンはあまりに非現実的な光景に絶句した。
「僕達を殺さないのなら君は死ぬよ?」
 そこにいたヴェルム人全員が一斉に上を指さした。
 空が赤い。
 それは天空を焦がす巨大な炎だった。
 気づけば周囲は夜のような暗闇の中にあった。
 土塁の向こうにそそり立つ巨大なシルエットが陽の光を遮っていた。
 凶悪な竜の形をした影が灼熱の炎を生んでいた。
 土塁の頂には整列して見下ろすヴェルム人達の姿があった。
 そのうちの一人だけがリンドグレンを見つめている。
 使節団の一員として出向いてきた折りに目が合ったあのヴェルム人だとすぐに分かった。
「我々を攻撃しない君にはチャンスをやろう。ここから君一人だけなら絶対に逃げ出せる〈道〉を用意できる」
「一人だけ?」
 リンドグレンは倒れ伏すビャルヌを一瞥した。口の中がカラカラだった。
 罠か?
 いや、運が向いてきたんだ。それに先に俺を見捨てたのは奴の方だ。恨まれはしまい。
「どうした?よもや人間としてのプライドがあるなどとつまらない事を言いだすのではあるまいね?」
 徐にリンドグレンはビャルヌを抱き起し、そして背負った。
 大量の血液を吸った斜面がぬかるんでバランスを保つのが難しかった。
「それが君の選択か。何もできなかった過去への安い反抗ならばやめておくんだね。過ぎ去った時は戻らない」
 リンドグレンは立ち上がった。
「死んで哀しむ人間が多い奴は死ぬべきじゃないだろうよ」
 矢が背後の地面に再びバラバラと突き刺さる。
「愚か者」
 まったくその通りだった。逃げる場所などどこにもない。
 相変わらずヴェルム人は群がってくる。そしてその全てに個性が感じられなかった。
 リンドグレンは思った。
 だが、何故あの土塁の頂から自分を見つめているあいつだけに意志を感じる?
 あいつだけは本物だ。
 本物?
 その言葉が妙に腑に落ちた。
 全て…幻…?
 馬鹿な。
 だが、いや待て。これが幻だとしてそれはいつから?
 斜面だ。あの唐突な倦怠感に陥った瞬間。
 あの時術中にはまったかのかもしれない。
 だが矢が本物の可能性は捨てきれない。
 人が死んでる。
 攻撃してくるのは味方。
 ヴェルム人からは攻撃をされていない事になる。殺しているのは一方的に人間の方だ。
「〈道〉は一つか」
 リンドグレンは土塁を登り始めた。
 一歩上に踏み出すとヴェルム人達の姿が全て消えた。
「当たりだな?」
 だが依然として怪物は行く手を赤く染め、強烈な鬱気が重くのしかかってきた。
 背後から追い立てるように矢も飛んでくる。
 小さな絶望。
 やはりビャルヌを放り出してしまおう。
 生を求める体を負の感情に塗れた心が冷めた目で見つめていた。
 ああ、何故俺はこんな所を登っている?自分を置いて逃げようとした男を背負って。家から遠く離れた平原のど真ん中で。
 人生のどの部分で選択を間違えて俺はこんな状況に陥るはめになったんだ?
 一歩が重い。
 一歩が辛い。
 全てを捨てて身軽になりたい。
 何かに固執して縛られるのなんてまっぴらごめんだ。
 逃げるのは悪くないだろ?
 今、俺は逃げている。
 リンドグレンは奥歯を強く噛みしめた。
 だがそれは俺の信じた未来に向かってだ。
 踏みしめた靴底が平坦な感触を伝えてきた。
 赤く霞んでいた視界が開け、吹き抜けるような青い空と風に揺れる草の大地が一つに溶け合っていた。

 

 窓の外の風景は全てトネリコの巨木が埋めていた。
 白い窓枠、白いカーテン、白い床、白いテーブル。
 室内はリンドグレンが寝ているベッドをはじめ全てが白一色に統一され、そのうえ音も吸収してしまうのか入ってくる音は耳鐘のそれだけだった。
「心理防壁を自力で越えた〈人間〉は君が初めてだよ」
 目の前にいるのはあのヴェルム人だった。
「ビャルヌは?」
「君の連れは別室で治療中だよ」
「生きているんだな」
「ああ」
「そうか」
「彼は君を置き去りにしようとした。彼を許すのかい?」
「さあな」
「感情をコントロールできず欲望のまま生きる人間は危険な存在だ。我々は人間から感情を奪い去ろうと考えている。論理に従い、美しく回る未来を実現するためにね。心理防壁を越えられた君にならわかってもらえるはずだ」
「子犬が待っているんだ」
「心配はいらない。君の傷が癒えればすぐに帰す」
「子犬と遊んでやれそうもないな…その未来じゃ」
 風が差し込んでくる木漏れ日の輝きを細かく揺らす。
「…ダメかい?」
「勘弁してもらえたらありがたいね」
 ヴェルムの少年は優しく微笑んだ。
 それはリンドグレンが、いや人間が初めて目にしたヴェルム人の笑顔かもしれなかった。
「では君の望む未来にするための種を君が撒いてはくれないか」
「俺が?」
「そうだ。我々が力を貸そう」
 少年は窓を開く。
 暖かな風と共にトネリコの葉擦れの音がサラサラと流れ込んできた。



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