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【短編小説】遺跡

「そこの沼もさらってみたけどよ、もうこの辺りに似たような石板とか怪しい物は見当たらないぜ」
 駐留軍兵士達の掘り返した場所を確認していたアイスコルが見上げるとロイド伍長の汗だくの顔があった。
「群にはなっていないようだな」
 アイスコルはほっと息を吐いた。
「まだ掘るかい」
「いや」
「そりゃ助かる。早く上がって一杯やりたいぜ。昼間から飲む酒は最高だ」
「仕事はあるだろ?」
「午後から俺は非番なのさ!あんたも来るか?奢るぜ?」
「俺は飲まない」
「ああ…上から早くしろって急かされてんだろ?」
「どうしてそう思う?」
 ロイドは答える代わりに指差した。
「魔獣除けの防護土塁、この土地用の増設分がもう少しで出来上がるだろ?」
 言われるまでもなく5日前にアイスコルが考古省の事前調査としてこの町に入った時からそれは見えていたし、察していた。
「地主のフレーザーはこの土地を早く国に売っちまいたいのさ。駐留軍施設が増えて兵士の数が増えれば兵士相手の商売は今より大分景気がよくなる」
「遺跡が出たんだ。その話はなくなる」
 ロイドは乾いた笑い声をあげた。
「そんな理屈は御上の威光も大分薄暗い辺境じゃ通用しない」
「だが俺が考古省の人間を呼ぶ。反吐が出るほどな。それで終わりだ」
「本気か?」
「来い」
 アイスコルはロイドを手招きした。
 文字列の刻まれた石板が環状に敷き詰められた領域をまたぐ。
「俺も入っていいのか?〈保管域〉の中に?」
「〈保管域〉は魔獣の接近を阻む仕組みだ。人間が近寄ってもどうという事はない」
 〈保管域〉の中心には小さな祠があった。中は真っ暗で何も見えない。快晴の空の下、照り返しの光も十分。にもかかわらず闇は濃かった。
「なんだこれ?」
 ロイドはその闇を見つめてさらに目を細めた。
「あるだろ?」
「見えねえが確実にそこに何かあるのはわかるぜ。こりゃたまげた」
「 カテゴリーCの遺跡だ。触れられるが残りの四感での知覚不能。心に直接訴えかける力を持つ。小さいがとんでもないもんだ」
「さわれんのか?」
 ロイドがスッと手を伸ばした。
「やめとけ。触るんなら遺言を残してからにしておけ」
「脅かすなよ」
「カテゴリーCの査定は俺の推測だ。祠の材質に特殊な点が見えない。つまり物質と接点がある可能性が高いとみてる。触れるのは最も危険を伴う行為だからそれは最後だ。その前に」
 アイスコルがアゴで示したその先に小刻みに震えるゼリー状の物質があった。
「なんだこれ」
「遺跡にはそれによって生じる固有の〈現象〉がある」
「これがその〈現象〉なのか」
「わからない。だが関係があるのは間違いないだろう。だからこいつにどんな意味があるのかわからなければ」
「動かせないって事か」
 アイスコルは頷いた。たとえヴェルム製の保管容器を運んできても中に入れる前に確認しなければならない事は山ほどある。そしてここから先は本隊の仕事だ。
「俺はここまで。あとは役人の判断に任せる」
「あんた考古省の人間じゃないのか」
 アイスコルは肩を竦めた。
「下請けだと言ったろ?」
「冗談かと思ってたよ。だってあんたの身のこなし…軍人だろ?」
「昔、考古省にいた縁さ」
「 ただの元役人?いーや、俺の目はごまかせねえ。あんたの歩く時の揃った歩幅は訓練で身についたもんだ。だから俺はてっきり考古省の特殊兵団員殿かと思ってたんだ。今は違うのかもしれんが…そうなんだろ?」
 アイスコルはロイドに帰ろうと促した。
 ロイドのおしゃべりは止まらなかった。
「俺も選抜試験受けたんだぜ?対魔獣戦のスペシャリストに憧れてな。落ちちまったけどよ」
 アイスコルは相槌を返す事もなく、だが嫌がる素振りを見せる事もなくただ黙ってロイドの話を聞いている。
「実技はそこそこよかったんだぜ?でもよ、筆記がまるでダメでな」
 知らない人間が見れば古い友人同士に見えたかもしれない。性格は違うが妙に気の合う二人だった。
「それでよ、これ」
 ロイドは胸元から剣の細工が施されたペンダントを取り出して見せた
「俺は落ちちまったんだけどよ、荷物まとめて帰る日に一緒に受験したやつがくれてよ。そいつは受かったんだけどな。ハードな試験だから連帯感生まれるだろ?おい、聞いてる?」
「実技はそこそこよかったまでは」
「聞いてねえじゃん」
 〈保管域〉を出た二人を見つめる数人の男達の姿があった。
 先頭の男は金のかかった身なりをしていた。体のありとあらゆる場所に飾られた宝飾品が下品だった。
「やあ」
 男の馴れ馴れしい挨拶をアイスコルは無視した。
 傍らではロイドが敬礼している。
「伍長、彼が?」
 男がロイドに尋ねた。
 アイスコルは目も合わせる事無く通り過ぎていく。
「待てよ!フレーザーさんが声かけてんだろ?」
 男の取り巻きがアイスコルに向かって凄んだ。
「人見知りなお方ですね」
「アイスコル、地主のフレーザーさんだ。あんまり揉めないでくれよ。一応田舎じゃ権力者だ」ロイドが耳元で囁く。
「おい、聞こえねえのか」
 体中につけた筋肉だけで話が通ると勘違いしていそうな男がアイスコルの肩を掴んだ。
「やめろ、ジェイコブ。いいじゃないか。まだ昼を過ぎたばかり。時間はまだあるんだ。彼はゆっくり生きたいタイプに違いない。急かさずいこう。…そうだ、君を私の屋敷に招待するよ。ぜひ遺跡の話を聞かせてもらいたい」
「3つある。私はあなたに語れる遺跡の話を持っていない。2つ、あったとしても話す必要を感じない。最後に私はあなたと話したくない」
「てめえ!」
 取り巻きたちの怒号に合わせてロイドの表情も強張るのが見えた。
 するとフレーザーの目つきも口調も変わった。
「役人でもねえてめえに俺がペコペコし続けると思うか下請け屋。そこのジェイコブはこの辺りの地下拳闘じゃ負けなしの男だ」
 突然フレーザーは右拳を突き出した。
 それはアイスコルの鼻先でピタリと止まる。
「この俺が引退してからな」
「引退試合の八百長ではどれくらい儲けたんだ?」
 ジェイコブ達取り巻き連中の表情はいまにも獲物に飛びかからんとする犬のそれだった。
「アイスコル…」
 ロイドは困り果てた表情でアイスコルを見つめた。
 アイスコルは深くため息をついた。
 それを見たフレーザーが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「俺は少し寄るところがある。悪いが先に屋敷で待っていてくれないか。案内はこいつらにさせる」
「そこにいるてめえしか言えない低能共とぞろぞろ散歩するのはごめんだ。一人だけにしろ。そこのデカブツ以外のな」
「てめ…チッ!」
「一人にしよう。だがつけるのはジェイコブだ」
 事を荒立てないで欲しいというロイドのすがるような眼差し。
 もはや頷く事以外アイスコルにできる事はなくなっていた。


 連れてこられたのは質素な田舎町には不釣り合いな豪邸だった。
 だがアイスコルが通されたのはその奥にある小さな一室だった。
 あるのは簡素なソファとテーブルのみ。
 入室してから格子のはめられた窓が落とす影は随分と長く伸びた。
 出口には内と外に屈強な男が一人ずつ立ち、目の前にはジェイコブが立って見下ろしていた。
「いつまで監禁しておく気だ?」
「監禁?お前にはここが独房にでも見えるのか?贅沢だな」
「まさか。もっと悪い。躾のなっていないペットの檻だ」
「俺を怒らせたいのか?利口なやつは黙って座ってるか寝てるかだ」
「そいつは驚きだ。俺はフレーザーと話しをしに来たと思っていた」
「あの人は忙しい。てめえと違うんだ。少し待たされたくらいでガタガタ抜かすなよ」
 アイスコルはジェイコブが言い終わらないうちに立ち上がっていた。
「なんのつもりだ」
「気にするな。帰るだけだ」
「座りやがれ」
 アイスコルの視界を分厚い胸板が占領した。
「おいおい、騒がしいな」
 声と共にドアが開いてフレーザーが姿を現した。
 ジェイコブが渋々アイスコルの前から退く。
「待たせたな」
「丁度良かった。だが見送りはいらない」
「もう少しゆっくりしていけよ」
「そのセリフはもてなすという言葉の意味を覚えてから使うんだな」
 アイスコルがフレーザーを押しのけて通ろうとしたその時、フレーザーの膝が腹部に突き刺さり、アイスコルは思わず膝を折った。
「拳闘あがりだからパンチが飛んでくるとでも思ったか?下請け屋。悪いがケンカの方が得意なんだ」
 ジェイコブがうずくまるアイスコルを軽々と担ぎ上げる。
「最初からソファで寝ていろっていっただろ?」
 アイスコルはソファに手荒に放り投げられ、うめき声をあげた。
「苦しいか?そいつはすまねえ…キスでもしてやろうか。治るかもしれねえぜ?」
 いかつい男達は声を揃えて笑った。
「まあ、要点だけ手短に言うとだな。簡単な事だ。あそこに遺跡なんぞなかったと報告してくれればいい」
 アイスコルは痛む腹をさすりながらゆっくりと上体を起こした。
 全身から脂汗がじっとりと滲んでいる。
「あの…遺跡の移動は無理だ。あれがある限りあの土地に手を付けることは出来ない。たとえ俺が虚偽の報告をしたとしてもな」
「おいおい、俺が何も知らねえと思ってんのか?あんたの友達の伍長殿が教えてくれたぜ。カテゴリーCの遺跡。人が触れるってよ」
「動かしてどうする?〈保管域〉から遺跡を持ち出せばあっというまに魔獣が群がってくる。両者が引きあう事はここにいる脳筋連中でも知ってるはずだ」
「ああ、そして接触と同時にどっちも消えちまうんだろ?便利だよな」
「便利?あぶれた魔獣は町を襲うかもしれない。〈対消滅〉が起これば発生する光と熱の量次第では町にも相当な被害が及ぶかもしれない」
「全部、かもしれない…だろ?」
 その時だった。フレーザーの部下が慌てて部屋に入ってきて彼に耳打ちした。
 フレーザーが素早くジェイコブらに目配せすると全員があっという間に部屋から出て行った。
「お別れの時間は唐突にやって来るから悲しいよな、下請け屋」フレーザーはわざとらしく目頭を押さえる芝居をいれ「ああ、今日は出歩かない方がいいぜ。魔獣が出たみたいなんでな」と薄ら笑いを浮かべながら言った。
「なんだと?」
「特に沼の辺りは気をつけろよ」
 アイスコルは勢いよく部屋を飛び出し、無駄に長い廊下を走って外へ出ると一目散に〈保管域〉へ向かった。
 辺りは既に薄暗い。
 蹴られた腹がズキズキと痛んだがそれどころではなかった。
 〈保管域〉手前の防護土塁には駐留軍が展開していた。
 アイスコルは土塁を乗り越えようと前に進んだ。
「やめろ!死にたいのか?」
 駐留軍の兵士がアイスコルの腕を引いた。
「ロイド…ロイド伍長は?」
 アイスコルを見知った兵士が敬礼した。
「伍長は、その…今、沼の方に…」
「…沼!」
 アイスコルのいる場所からは暗すぎて既に沼の方は見づらかった。
「昼間、ロイドはフレーザーと遺跡を見に行っていなかったか?」
「は。行っておりました。帰って来た伍長はひどく慌てていて」
「沼に?」
「は」
 やはりフレーザーはロイドに遺跡を案内させたのだ。
 俺がロイドを連れて行くのを見ていたのに違いない。狡猾な男だった。
 そしてアイスコルは自分の浅慮を呪った。
 フレーザーは決行した。
 遺跡を沼に捨てたのだ。
 アイスコルが兵士の制止を振り切って土塁を乗り越えようとしたその瞬間、まばゆい閃光が辺りの景色をくっきりと浮かび上がらせた。
 アイスコルはそれをただ茫然と見つめる事しかできなかった。
 何もできなかったしすることがなくなったことを意味していた。
 その夜は特別警戒態勢がとられ、駐留軍が〈保管域〉周辺への立ち入りを一切許さなかった。


 ロイドは戻らなかった。
 魔獣による被害が町に及ぶことはなく、町内にはどこかほっとした空気が漂っていたが、昨晩の光が〈対消滅〉の、しかも、かなり大規模なものだった事はアイスコルはもちろんそれを初めて見る者にもわかったはずだった。
 現場を見たくはなかった。
 アイスコルは朝の空気が暖まり始めた頃になりようやく重い腰を上げた。
 絶望的な光景を見るために動かす足は特別に重かった。
 駐留軍の捜査は終わり、数人の歩哨を残して遺跡周辺に人はいなくなっていた。
 アイスコルは防御土塁を越えたが特に止められる事もなかった。
 そして〈保管域〉に面したかつて沼だった窪みを見つけた。
 乾びた地面、焦げた草木。
 〈対消滅〉が生んだ光と熱は周辺の全ての命を刈り取っていった。
 アイスコルは窪みへ、かつて沼の底だった場所へ降りた。
 しばらく歩き回り、ひび割れた地面に忘れられたそれを見つけた。
 剣のペンダント。少し溶けたそれは、しかし、間違いなく見覚えのある、ロイドのそれだった。
「おはよう。下請け屋」
 声の方角に昨日よりも顔色の悪い、だが、満面の笑みを浮かべ歩いてくるフレーザーの姿があった。隣にはジェイコブ一人。
「もうここに用はないはずだぜ?俺の土地に勝手に入られちゃ困るなあ」
 のうのうと近づいて来たフレーザーはロイドのペンダントを蹴った。
 ペンダントは地面を滑らず、そこら中に生じた小さな地割れの一つに落ちた。
 アイスコルは体の向きを変え、手を伸ばし、ペンダントを拾おうとした。
 今度はジェイコブがその手を蹴ろうとつま先を突き出した。
 だがそれは大きく空振りし、次の瞬間ジェイコブの体は宙にあった。彼自身も何が起こったのかわからず、軸足が蹴り払われたと気づいたのはその大きな背中が地面に激突した後だった。
 アイスコルは一歩下がり、大きく足を踏み込んで、立ち上がろうとするジェイコブの顔面に蹴りを入れると巨体は糸が切れた操り人形のように地面に伏した。
「おもしれえ」
 フレーザーがジャケットを脱ぎ捨てた。
 今度は小細工なくパンチを打ってきた。本気だ。
 アイスコルは素早く足を動かし、後ろへかわした。
 荒れた地面の上とは思えない身のこなしだった。
「全力で来いよ」
 アイスコルの挑発をフレーザーは嘲笑った。
 そして間髪入れずジャブを繰り出し、アイスコルのガードが下がった瞬間強烈な右フックを放ってきた。
 アイスコルはそれを上体を反らすだけですっとかわすとフレーザーの腕を叩き落とした。
「え?」
 フレーザーが驚きの声を発したのは自らのパンチがなんなくかわされた事に対してではなかった。
 叩き落された自身の腕がぐにゃりとあらぬ方向に曲がったからだった。
 アイスコルは瞬間息を止め、足を踏み込み、腰の回転と腕の振りを拳にのせ、それをフレーザーのアゴ目掛け振り抜いた。
 フレーザーはふらりと崩れ落ちた。
 それでもすぐに立ち上がろうともがき始める。
 だがその時上半身を支えていた左腕がぐにゃりと曲がった。
「な…なんだ…これ」
 絶妙なタイミングで意識を取り戻したジェイコブがその様子を目にしてヒイと情けない声を上げた。
 フレーザーの体のところどころが半透明に変わっていた。
「ジェ、ジェイコブさん!」
「遺跡に触れたんだろ?」
「え?」
「〈現象〉ってやつだ」
「嫌だ。何とかしてくれ…。死にたくねえ。死にたくねえんだ」
「死にはしないだろう。ゼリーになるだけだ」
 アイスコルはペンダントを拾い上げフッと息を吹きかけて土埃を払った。
 その間にもフレーザーの体は急速に半透明に変わっていった。
「頼むよ。お願いします。フレーザーさんを助けてください」
 ジェイコブが泣き喚いた。
 アイスコルはペンダントを握りしめ、それから二人に背を向けた。
「頼むよ、下請け屋…。アイスコルさん!」
「キスでもしてやるんだな」
 アイスコルは〈保管域〉に向かった。
 局所的だった光と熱は〈保管域〉の方までは焼く事もなくそこは野草が生い茂り野花が咲き誇るまるで別世界だった。
 石板を跨ぎ、中心にある祠に辿り着くとその上にペンダントを置いた。
 そしてその足元に咲いていた小さな白い花を一輪手折り、静かに添えた。
 
 

〈了〉

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